とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

箱乗り絶句

2018-04-14 09:19:35 | 思い出
私が幼少の頃に育った地域は、幼少の私にとって普通の光景だった。
だが、他の人から聞いたことを材料に、その環境を比較したり、あるいは今住んでいるところから見て、過去の環境はどうだったかということを考えると、あまりよろしくない状況だったとも言える。

まず、十字路のカドに私が育った家があり、その道路は縦も横も交通量が激しく、一番最初の頃は道スレスレに家が建っていたので(その後その土地内で、道を避けるようにして建て替え)、騒音、振動、排気ガスが半端なかった。

私と言えば、常に気分が悪かったように思う。気分が悪いのが普通なので、そこから体調が良かったり悪かったりすることが判断のものさしにもなっていた。
小学生の頃は、2~3年に一日程度、体調が良くなる時があり、その時には体育の徒競走の結果はかなりよかった(が、それも血翌日には体調不良になっていたので、体調ももとに戻っていた(悪い方に))。

とある時、都市圏に済む友達が私の家を訪ねてきた時、暴走族に遭遇した。
あのゴッドファーザーのメロディのラッパ音でのバイクと、ハコ乗りをする車を見たらしい。

見た友達はそれを見て興奮していた。
「何あれ? 何あれ? 」
私は答える。
「ん? 暴走族だよ? 」
「そうじゃなくて、車の窓開けてそこから体出して座ってたよ! 」
「箱乗り? 」

と言うことで、私は暴走族にもイタリアマフィアにも縁がなかったが、ゴッドファーザーのラッパ曲とバイクの爆音はほぼ毎夜聞いていたので、何も驚くことはなかったが、都市圏の友人はそれが衝撃的な体験であったのだらしい。

「箱乗りはやる人はやるっしょ」的な反応をしていたら、その友人は絶句していた。


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私の幼少時のあまり良くない発見(排気ガス)

2018-04-08 14:29:21 | 思い出
私が幼少時、冬の時期は外に出ると寒いと言うことが分かっていたので外には出なかった。
(そもそも子供には脂肪が少ないので、余計寒さを感じるのだと思う)。

それでも外に出なければいけない時、何とかして暖を取ろうとした際に、排気ガスが暖かいことに気がついたので、エンジンがかかっている自動車の後ろ側に周り、暖を取っていた。

気分は悪くなるが、温かい。そのことに気がついた私は排気ガスの出るマフラー周辺にいた。
気分が悪いと言うのは、当時の私にとって日常的なことであり、その加減が増えるだけで暖かさを得られるのである。
呼気は苦しくなるが、確かに温かいのである。

近所の大人だったか、あるいは親だったか、どちらか思い出せないが、とにかく私は大人にそうした行為をいつしかやめさせられていた。

おとなになった時分、今でも私自身の肺が悪いのは、このせいではないかと考えている。
(そもそも子供時代から喘息持ちであった)。

排ガスがなければ、今の子どもたちはもっと健康になるだろう。
そういう社会を目指していかなければならない。
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祖母の窓の開け閉め

2018-04-08 11:54:14 | 思い出
曽祖父から私の父の代まで、私の生家は十字路の角にあって、そこで土地を借りて家を建てて暮らしていた。

昔は交通量が少なく、坂を登りきったところでその十字路があったので、大八車などを引いて昇りきったところで、「ちょいと休ませて下さい」と言ってきた人に、簡易な椅子とお茶などを出していたらしい。

が、高度経済成長に伴って、自動車の交通量も増えた。
通常社会を考える時、交通量も増えたということは経済が活性化しているのだね、と言うような喜ばしいことが語られるが、ミクロ視点においてはそうではない。

ミクロ視点における交通量の増加というものが何を意味するかというと、沿線に住まう人の、居住空間の悪化である。

まずトラックやダンプがガンガンに走る。振動と騒音が発生する。
安全性にも問題がある。

私の家が交通量の多い十字路の角にあるものだから、トラックかダンプがその塀一回突っ込んだことがある。
私が子供のころにそれを体験してから、「家には一回くらいトラックかダンプがつっこむものなんだ」と言う認識になった。
危険が日常に直結しすぎていて、その辺りの感覚が麻痺したのだろう。


当時の道と言うものは、中央にアスファルトの自動車用道路、その横に側溝があって、そこにコンクリ製の30cm×50cmほどの蓋がかぶせてあって、アスファルトとコンクリの蓋の間にガードレールがあり、そのガードレールで守られている側溝の上の部分が歩道と呼ばれていた(今ではきちんと歩道らしいものが整備されている)。

私が赤ちゃんの頃にはいはいで脱走した時、そのコンクリの蓋の上をはいはいで移動していて、その横をダンプがガンガンに走っていたと言う(ちなみに近所の吉村さんという方に保護されたようで、吉村さんには感謝を申し上げたい)。


私が子供の頃に祖母の不思議な光景を目にしたことがある。

空気の入れ替えをしたい、と言って、窓を開けるのだが、そこで入ってくる空気は新鮮なものではなく、排気ガスが常に入ってくるのである。当時の自動車の排ガスと言えば、現在のものとは大きく異なり、異臭や健康に悪い物質をまきちらすものだった。
しばらくすると、「排気ガスが入ってくるね」と言って窓を閉める。
これを日を開けて、何度と無く繰り返すのである。

私はちょっと不思議だった。なんで排ガスが入ってくると言うのが分かっていて、窓を開けるのか。それだったら締め切っていた方が良くないか? 
あるいは、私自身は排気ガスと日常があまりに結びついていたので、世界と言うものはこういうものなのだ、と言う風に思っていた。つまり排ガスが入ろうがそうでなかろうが、窓は開けっ放しにしていていいし、あるいは締め切っていたらいいんじゃないか、と。

大八車が通っていた頃の居住空間を知っていた祖母は、新鮮で綺麗な空気を家の中に取り込みたかったのだろう。
しかしそれは田舎の発展によって阻害され、泣き寝入りするしかない状況となってしまっていたのだった。
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幼少期の難読症 と父が持っていた本の記憶

2018-03-11 05:24:05 | 思い出
私の父は婿として入ってきた。父の旧姓は異なる。

婿入り道具として持ってきたのは、小さい電気ポットと1合炊けるか否かくらいの電気炊飯器とあとひとつの何かくらいだった。
その他は、本が大量にあったそうだが、その大半も捨ててしまったらしい。

家にある本については、私は全く読まなかった。

私の心の中であふれかえる情動こそが、私自身そのものなのだ、と自覚していた私にとって、文字と文章とは悪夢でしかなかった。
何故かと言うと、言葉や文章を読んで理解すると、自分の中の気持ちが整理されてしまい、元からあった情動がどこかに消失するのである。

文章を読めば心が整理され、そしてそれに伴う情動の消失は確実に到来しただろう。
情動の消失は私自身そのものの消失であり、そしてそれは私自身と言う存在の擬似的な死であるのである。
文章を読めば私が死に、色鮮やかであったはずの私の生きている世界は、あたかも味気のない灰色の空間に押し込められる危険性があった。

その危険を察知して、私は本と言う本を遠ざけ、文字と言う文字を遠ざけ、文章と言う文章を遠ざけた。



あるいは自己の自発性そのものが自分自身の存在を規定するということも、なんとなく察知していたので、他人の言うことも聞きたくなかった。
自我の発達に伴い、自己欲求の実現願望が強くなり、他人の言うことも聞きたくなくなる。
自我を通せば、自己の存在を規定できるのである。それができなければ自由人ではなく奴隷になる。

それが究極にまで達すると、他者が話している言葉ですらも覚えたくないのである。他者の認識はそもそも不十全で、間違っている可能性がある。
信号の色を見て、それは青だと言ったり(実態は緑)、鏡の向きが逆になっているの見て、それは左右が逆になっているのだと言ったり(実際に逆になっているのは「左右」ではなく「前後」)、時間の概念で過去と未来の実態があると思っていたり、1たす1は2と言うことを疑っていなかったり(1と言う数字は、人間が共通でもつ、数を数える時の分割と数えだしの認識のルールの最小単位のことなのであって、その最小単位がもう一つつくと2になるというルール。よってこれは定理ではなく定義になる。ペアノの公理は厳密に処しすぎていて、直感的ではない)・・・

あたかも天動説を信じているかのような人々の思い込みは疑って当然だろう。なので、私は私の理解を、他者の言葉に頼らずに構築する必要があったが、しかし「自分言語」を開発するに至るまでの頭の良さが私には無かったので、この点において構造的矛盾があり、自己の中にある疑問や、あるいは正当だろうと言う認識と、世間の中で共通して使用される誤認の認識の齟齬に日々悶々としていた。

そして誤っている認識を持っている人たちが、世の中のメジャーな認識のイニシアティブを持っていたので、私はバカにされるやら、それを説明できないやらで更に悶々とした。
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基盤のボタンを押した話し

2018-02-21 23:40:03 | 思い出
2015年の11月に、学生時代の同期達と会ってカラオケに行った時のことである。

カラオケに行ったら、満室であったらしく、待合室のようなところに通されたが、そのところの店員呼び出しボタンがあったのだが、カバーが壊れていて、基盤むき出しのスイッチがあった。

私は、この基盤の中央のスイッチを押せば、呼び出しがかかるんだな、と分かったのだが、他のメンバーは、むき出しの基盤を見て、これは触っちゃいけないもので、カバーがついていなければいけないと思ったらしい。

待合の時間が長く、予定の時間になっても呼び出しがかからないので、「呼び出しボタンを押して店員を呼べ」と言うことになった。
ボタンを持っていた私の隣のやつが「でもこれ・・・壊れてるよ」と言ったが、カバーが壊れているだけで基盤の中央のボタンを押せばいいのだから、私が「ちょっと貸してみ」と基盤中央のボタンを指でポチッと押したら「おおっ」だの「ええっ!?」だのと声が上がった。
「もう一回やって? 」って言われたので、ホイと押したら「なんで分かるんだ」みたいなことを言われたので、「押すとこはここしかないがな」と言った。





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