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とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

日本社会が目指すべき場所

2025-02-24 22:35:39 | 哲学・社会
日本社会が目指すべき場所について考える。

国家と言う単位で考えてみれば、どう考えても「その国の国民が幸せであること」を念頭にして国政がなされるべきであるが、その具体的内訳は何か。これを整理する。

・軍事的に平和であって、他国からの侵略がないこと。
・政治的圧力がなく、自由な発言ができること。
・自由な商売ができ、職業選択の自由があること。
・食料物資が十全にあって不足がないこと。農業生産が十全であること。
・犯罪などに遭わず、治安が良いこと。
・都会と地方によらず、上下水道、電気、ガス、インターネット、道路のインフラが問題なく利用できること。
・医療がその世界内において相対的に充実していること。
・人が一生暮らしていくことに関し、その就業状態が健全であること。
 就業は個人の人生の権利的確保と周囲社会の形成がために行われるものであって、上位層が利用して利益を出さんがための消耗品ではない。
・健全な内発的努力はあって良いが、外圧からの命令服従による奴隷労働に似た、人間の健全な活動営為を阻害するようなことはあってはならないこと。
・利得の増加と共に、負荷の低減と個人の人生営為の保証を行うこと。
・長期世代に渡る社会の構成を目指し、老人福祉重心の社会ではなく、出産、育児にもバランスを取る。そうでないと長期世代に渡る社会の構成はできない。

悪の構造

2025-02-19 23:13:50 | 哲学・社会
この世の中、悪はあるのか? と言うと、答えはイエス。
では、どのようにして悪が行われるのだろうか? と言うと認識がちょっと誤っているように思う。

多くの人は「意地悪い人がいて」「それがこちらを貶めようとして色んな意地悪をしてくる」と言うものがあるだろう。
実際にそうしたナチュラルなサディズムは存在するし、今は減衰をしているとは言え、一昔前は是認さえされてきた時代があった。

ただ、個人的には、そうしたこととは違うラインでも考える必要があるように思う。
すなわち、「マイナスを与えようとする意図は全くなくとも、結果的にマイナスになった」「その結果、被害者はマイナスを被るが、主体者は何も反省しないし、誰からも何もフィードバックを受けないため、むしろ自分をいい人だと思い続ける」と言うパターンである。
実際、この場合は、被害を与える人は真の意味で性格・人格ともにいい人が多い。そしてそれが実際の悪なるマイナスを人や社会に与えるのである。

簡単な例を出してみよう。
資本家と労働者と言う対立において、その多くが誤解するのが「資本家は労働者に悪さをして、労働をさせ、その収益を剥奪し、搾取しているのだ、資本家は悪意があるのだ」という論調である。
ここで正しいのは「資本家は労働者に悪さをして、労働をさせ、その収益を剥奪し、搾取しているのだ」までであって、「資本家は悪意があるのだ」に誤りがある。

資本家は、よくある娯楽映画の中での悪役のように直接的な明示的悪意があるわけではない。

しかし現実を見るに、資本家が織りなす運動に基づいて、労働者が被害を被っている例は様々にある。

これはどういうことかというと、「資本家は自身の資本金が運動することにおいいてそれが増殖せしむることを望む。そこに労働者に対する悪辣な意識はない。一方において、資本金の運動には、その配下の構造として会社の経営があり、その下に管理があり、その下に実態としての労働がある。この多段的な階層において、一番最下層の人間が犠牲になっていることを認識しないし、報告もその構造上受けない、そしてそれをして「自分は悪くないのだ」と言う認識を資本家は持ち、そして労働者を実態としてプレスし、搾取し続けるのだ」と言うことになる。

こうした「実態として末端に被害を出しているが、自分は悪くないと思っている」人間のことは、現代社会においてどういう分類をされるかというと、それはおおよそにして「サイコパス」と呼ばれる属性に分類される。

これは資本家と労働者の二軸の他、上司と部下、発注元と孫請けにも現れる。
特にその階層が社会的構造として多くなればなるほど、そうしたサイコパス特性が現れる。



理知と言う非情

2025-01-31 00:30:38 | 哲学・社会
理知は人間の叡智の結集であるが、それは倫理と道徳とは結びつかない。

かつて狩猟最終生活を送っていたアメリカ原住民は、そのハントする動物に制限を課していたのに、アメリカ入植者たちは、そのハント数に制限をかけることなく、かつ食料ではなく娯楽として野牛を狩っていた。

白人世界はその知識によって世界のトップに導くはずであったが、その啓蒙思想の行き着く先に毒ガス兵器による大量虐殺があった。

改めて記載する。
理知は人間社会を強くするが、道徳や倫理と結びつかない。
理知による高度文明の享受は、人間社会を強くし、そこのピラミッドに合わせて三角形の形に自分を変化させたり、他の動物を三角形の形に変化させたりした場合は、その窮屈さと自分の形の切断をしたことと引き換えに、種の存続を強力に得る。

ユヴァル・ノア・ハラリが言うように、人類は小麦の奴隷であるし、ある種小麦は人類の下で繁栄しているし、牛、豚、羊、ヤギ、馬なども歪な繁栄を向えている。

その人類の叡智の社会ピラミッドから外れている絶滅危惧種のサイや、あるいはそのピラミッドにおさまらなかったはぐれ系のロンリーウルフタイプの人間は、存続が危ういが、自らの身を切り刻むことを強いられるようなコントロールは受けない。

経済思想とは何か

2025-01-20 06:29:31 | 哲学・社会
経済思想とは何か。
端的に言えば、
①不足を充足することである。
②そして、あらゆる方向での量的不足を充足するために、量的に何をすべきかを考える考察である。
これを説明する。

今迄の我々の社会とそれに対する経済、そして経済はどうあるべきか、と言うのは、「不足を充足したい」「ではどうすべきか」と言う、重ね連なる課題の波に対する回答の歴史だった。

それまでの歴史においてはあらゆることが不足していたが、地域偏差もありながらも、次第に充足していった。

①水・食料・物資の不足
 →現代日本を見る限り、これらは不足フェーズから充足フェーズに移行している。
  但し、インフラが維持できないフェーズに移行しつつある。

②所得の不足
 →現代日本では高度経済成長期においては不満もなかったが、現代は後戻りしつつある。

③時間の不足
 →現代日本では改善されつつある。

④職位・役割の不足
 →誰々さんがこういう職業なんですね、と社会の役割を自他ともに述べられるものの不足。これは平等ではない。

⑤権利の不足
 →内発性により自然付与される権利ではなく、後付で特定の個人に偏在して付与される権利の方(相続権など)。これに濃度がある。

⑥平等の不足
 →学習機会、学習環境、それによる経年での生涯成果は、その結果の量や質に良い悪いの資質が偏在する。
  または住環境の優劣、就ける職位における優劣(社長が息子に事業承継させるなど)。
  食事から体躯が成るので、その食事も優劣が存在し、従いその体を以て人生を送るとその優劣が決定する。
  周産期での母体・子供の生育の良し悪しにより、体力が決定する。従いその体を以て人生を送るとその優劣が決定する。

⑦金融資産の不足
 →ダーウィンの頃から、富裕層は株で資産を増やしていた。(19世紀の1800年代)。ニュートンは南海泡沫事件により資産に打撃を受けたが、その後、晩年のマルクスは株式運用により資産を増やしていたらしい。 

⑥老後の充足の不足
 →既に充足しているじゃないか、と言う話もあろうが、衰退フェーズに移行する。
  今の高齢者層は問題ないが、これから高齢者になる人間にとっては不足する。
  その内の例として、年金受給開始年齢の遅延があって、日本では65歳以降、場合によっては70歳以降と言う話になっている。
  日本の年金制度が開始した頃は55歳から受給できる考えだった(55歳から定年退職して老人フェーズに入る、という考え)が、それが60に伸び、現在は65,70に伸びている。ちなみに米陸軍では30代後半で陸軍を退役する場合そこから年金が貰えるが、その後なぜか名前も知らない遠くの親戚から電話がかかってくるとのことだった(宝くじが当たった時と同じムーブ)。
 世界各地にある棄老習慣(日本で言う姥捨て)がある頃からは全く良くなった。
 スウェーデンではコロナパンデミックの時には、「老人とは死ぬもの」としていち早く閉塞解除に乗り切ったが、日本でのムーブメントは逆で老人を手厚くねぎらっていたという。