とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

左右対称ツール

2022-07-31 01:50:08 | 映像作品
衝撃的すぎて「ぐぇあおあー! 」みたいな声が出そうになった。

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グラスの水の半分の例え

2022-07-30 00:35:30 | 雑感

僕はいつも楽天的なんだ。グラスに水が“半分しか”入っていないというより、グラスに水が“半分も”入っていると考える方だ(ジョン・トラボルタ)俳優


私は、よくこう表現されることの説明が、本当に素の状態でよく分からなかった。
いや、極めて表面的に浅く考えれば、水が欲しいものとして、自分の心理としては喜んでいるのか、それとも悲しんでいるのかについての教訓が書かれているように思う。

しかしそれでは本当に浅すぎではないのか。いくつかの観点で疑問が残る。
(みんなこれ疑問に思わんの? )

と言うのも、わざわざこう言うことを自分や他人に説明するということは、元々が水が半分しか無いと言う根源的な感覚があるが、それは自己意識の捉えようとしては合理化して考えることができるのではないか、と言う解釈がここにあるからだ。
言い換えれば、それは自己の根源的感覚から言って偽の感覚だろう。
表層の蓋をして納得したふりをしたその姿は本当に自己が求める自己理解の理想の姿なのだろうか? 
私はそうは思わない。

なので、本当に必要なのは、自己の嬉しさや悲しさと言う感情に振り回されるのではなく、半分と言う水で残り何ができるのかという現実的判断であろう。


また、別観点においては、「水が半分と言う現況」「その現況から来たり得る未来への感情」ではなく、「水が半分になった過程」を考えるべきなのだろうと私個人は考える。
水を半分にしたのが、自分が飲んだのであればそれに満足すべきだし、それを丁寧に飲んだのか否かで、自分はよく効率的に飲んだか、もしくは無駄に飲んだかの反省ができる。こぼしてしまったならば、未来にかけて反省すればいい。

また、水とは一体何であるのか、と言うことも考えた方がいい。
水が無くとも幸せに暮らせるだろうか、生命活動に必要であったとして、それが今手に入らなくとも、代用品は何か、その調達は可能か、これから水を飲むことは正義か悪か、水を飲むことは我慢できるか、他人に分け与えることは可能か・・・


水を自分の財産や、自分の人生の残りの時間と考えればこれらは意味を持つだろう。
そしてそれらを鑑みた時、ジョン・トラボルタ、いや、このたとえ話を持ち出す人間全員は、このことをよく考えたことがあるのだろうか、と疑問に思うものである。
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スポーツ観戦への熱中 それを見ないことへの自分の集中

2022-07-29 23:54:26 | 雑感

2022-07-25 21:00
https://www.oricon.co.jp/news/2243522/full/

 TBS系で中継されている『世界陸上 2022 オレゴン』が25日、放送最終日を迎えた。25年にわたり『世界陸上』メインキャスターを務めてきた織田裕二と中井美穂は、今大会でメインキャスターを卒業することが決まっており、午後7時より放送された『世界陸上』総集編に生出演し、織田は「地球に生まれてよかったー!」と最後に名言を叫んで卒業した。


と言うことなのだが、私はスポーツを見ない。
私が周囲のいろんな人と話をするに、どうも収入の多寡に関わらず、スポーツ観戦をする人が多い。

これは一種の棲み分けがなされているのだ。
登山が趣味の人と紅茶が趣味の人は交差しない(交差したら「登頂後に飲む紅茶はこれがいい」と言う発展を迎えるかもしれないが)。

ダウンタウン松本人志氏が著書で、スポーツは見れば見たなりにそこそこ面白いが、何が嫌かというとファンが嫌なのだという。頑張れ頑張れと言うお前が頑張れ、と。
これは、ロバート・B・チャルディーニの「影響力の武器」において、群集心理学として、スターダムに登った人間に自分を投影して熱狂する、と言う説明がなされた。
つまりスポーツに熱狂せず、自分のことに集中する人間は、その見方において正しいと言うことだ。

今回、織田裕二さんは「地球に生まれてよかったー!」と言ったが、これはスポーツに熱狂する大衆に向けての面白口上と言う側面からは出ることがなく、真理を穿っていない。
誰も傷つかないが、しかし何も意味のあることを言っていない。

そもそも、誰かが活躍するのを見て、自分が何かを感じ得られたと言う感覚そのものが偽なのである。
その当人が人生で何かを為し得たければ、自分自身の人生で自分自身が頑張らなければならない。
地球に生まれて良かったと言うのは、少しでも、例えそれが小さくとも自分の為し得たことを振り返って言うべきものであって、他人がどうしたと言うことに対して言うべきことではないのではないのか。

自分と言う物語に自分がその欲求に対しての満足感を得たければ、大衆であってはならない。
物語の構築として次のいくつかを引用する。

なぜ意志の力はあてにならないのか―自己コントロールの文化史
ダニエル・アクスト
「幸せな家庭の静かな時の流れは、物語の材料にはならない」『セルフ・コントロール』という教訓的な小説を書いたメアリ・ブラントンは二世紀も前にそう喝破した。「慎み深い愛情、穏やかな欲求、働きがいのある仕事、敬虔な黙想などは感じるもので、書くべき対象ではない」。これは誰もが認める事実だろう。だからメアリ・バートンの小説のヒロインは、悪人のボーイフレンドから逃れるために樺の樹皮で作ったカヌーに身体を縛りつけてカナダの滝に飛び込む。このエンディングは揶揄されたが、しかし小説はよく売れた。」

ブレイン・プログラミング  アラン・ピーズ
「人生は、きれいに手入れの行き届いた体で安全に墓までたどり着く為の旅であってはならない。もうもうと立ちこめる煙のなか、船の甲板を転がって舷側に叩きつけられ、全身が傷だらけになってすっかり疲れ果て、「まったくなんてひどい乗り心地だ!」と、大声で泣きわめいてこそ人生だ。」


パウロ・コエーリョ
船は港にいる時、最も安全であるが、それは船が作られた目的ではない


映画『ホテル・ニューハンプシャー』
「私達はいくらでも強くなれるんだ。失敗とか失望とかいった試練に会う度にね。それが力の源泉になる」


モンティ・パイソン
人生はゼロから生まれゼロに戻るのだから、失敗しても何も損はしない


ミニー・リパートン
私は神が私のことを見捨てたとは決して思っていない。 神はきっと、唯一私だけがこの試練に耐えられると思ったのでしょう
(※名曲「ラヴィン・ユー」で知られるミニー。彼女は乳ガンが全身に転移して31才の若さで他界した。その晩年の言葉。)

エドワード・ヤング
浪費された時間は単なる生存にすぎない。使用された時間のみが生活である

エジソン
失敗じゃないさ。この方法では上手くいかないって発見が出来たじゃないか。だからこの実験は成功なんだよ


サン・テグジュベリ
一度犯した失敗は今後もう起こりにくいので、この先、失敗する可能性はひとつ減ったこと
になる


アインシュタイン
間違いを犯したことのない人とは、何も新しいことをしていない人だ


坂本龍馬
何でも思い切ってやってみることですよ。どっちに転んだって人間野辺の石ころ同様、骨と
なって一生を終えるのだから

トム・ギロビッチ
人間は、行動した後悔より、行動しなかった後悔の方が深く残る


山口隆(サンボマスターのヴォーカル)
人生どうせ棒に振るならフルスイングで


ドラマ『CHANGE』
「アウトでも全力で走れ!」


マンガ『銃夢Last Order』
「不屈とは折れた事がないという意味ではない!折れてなお、立ち上がる者を言うのだ!!」

マンガ 暗殺教室
「どの川に棲んだか」じゃなくて「棲んだ川でどう泳いだか」

中原誠 棋士
前進できぬ駒はない


武者小路実篤
宝石だって石ころから宝石になるまでは、いくらでもこすられ、もまれることが必要だ。
初めっから無傷なものなんてありゃしない

ポール・ブールジェ
自分の考えたとおりに生きなければならない。そうでないと、自分が生きたとおりに考えてしまう



人生の仕事は老いによる喪失を感じてからその都度始まる。
人生の劇における終盤なのだから手を抜いてはいけない。
できないことは人に相談し、時には任せ、徐々に委任をし、後続に託し、きれいに減衰をする。

私と言う像を人生の時系列と言う大理石から掘り出せ。そこに形はすでにある。
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シリコンバレー派遣、5年で1000人に 起業家育成へ経産相表明

2022-07-28 22:48:23 | 海外・国内政治情報等

シリコンバレー派遣、5年で1000人に
起業家育成へ経産相表明
2022年7月28日 14:31
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO62967570Y2A720C2EAF000/

訪米中の萩生田光一経済産業相は27日(日本時間28日)、米シリコンバレーでグーグル本社などを視察し、「えりすぐりの挑戦者をシリコンバレーに派遣するプロジェクトを抜本的に拡充する」と表明した。現在の年20人規模から10倍にし、5年で計1000人をめざす。

視察後の記者会見で明らかにした。「日本のスタートアップをめぐる景色も一変するはずだ」と述べた。

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日本の「出生率」、0.7台に突入

2022-07-28 22:45:23 | 国内社会批判

https://cigs.canon/article/20220617_6835.html

 先月、出生児数の記録が2万人以下に落ち、今年の合計出生率が0.7人台に落ちる可能性があるという予測が出てきました。
 統計庁によると、6月の1ヶ月間に住民登録基準出生登録者数は1万9652人で、昨年6月比で10.72%減少しました。出生児数が2万名台を割り込んだのは12月を除いて今回が初めてです。
 これにより、現在0.8人台を維持している合計出生率が今年は0.7人台に落ちる可能性があるという観測が出てきます。

 統計庁は、合計出産率が今年0.77人に減った後、2024年には0.7人まで下落すると予想しました。
 特に保守的に見込む場合、2025年には0.61人までも落ちると見ています。
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