とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

情報いろいろ

2015-02-28 23:17:38 | 雑感
雑感。

いま生きる「資本論」 佐藤優 P74 より

 ちなみに、ミスプリントというのはけっこう重要なんですよ。官僚が、新聞社に「ここだけだからね」と言って、特定秘密情報を流します。それはもちろん報道してほしいからです。あるいは情報の流れをつかんだり、この記者は約束を守るやつかどうかのチェックをしたいかいらです。何人かの記者に情報を流した紙を同時に渡すのですが、朝日、読売、産経、日経、毎日と、それぞれに話津紙の誤植の場所を変えておくんです。つまり、少しずつ意図的にミスプリをしておく。もしくは項目の順番をわざと入れ替えておく。そうすることで、情報が流れた時に、どこのルートから漏れたのかがわかる。新聞記者ではなくて、記者との関係があやしい政治家に渡す場合もあります。そうすると新聞に出た時に、外務官僚の側は、「あの政治家はこの新聞社と関係が深いんだな」などということを読み取っていくのです。
 ところが、百戦錬磨の政治家、野中広務(ひろむ)さんとか鈴木宗男さんとかになると、新聞記者に紙を渡さないんですね。情報は流すのだけど、その場でザーッと読み上げてしまう。しかも、わざと順番を変えたりもする。こうやると、情報の趣旨がきちんと伝わるだけで、情報源はバレないですむ。ただ、これはいささか昔話で、今の官邸にしても、自民党の政治家にしても、相当体力が弱っていますから、官僚の精査の罠にすぐ引っかかってしまう。それはもう手に取るように、誰がどの新聞のどの記者と仲いいかなんてわかっていますよ。
 ミスプリントにはこんな話しもあります。エリ・コーエンという伝説的なモサド(イスラエル諜報特務庁)のスパイがいます。父親の方の(ハーフィズ)アサド政権期のシリアに長く潜入していました。食い込み方がものすごくて、政権中枢まで入っていって、あわや国防大臣に任命されそうになった(会場笑)。モサドのスパイが国防大臣になるのはさすがにヤバいから、どうにか固辞して、国防省の顧問に就いた。
 ところが、ソビエトのKGBからの情報で、イスラエルのスパイであることがバレてしまいます。KGBが通信を押さえ、それで秘密通信をしていることがバレて、エリ・コーエンは逮捕された。ところがモサドは、エリ・コーエンが逮捕されたことを瞬時に知った。なぜか? シリアの秘密警察はエリ・コーエンに、捕まったことがイスラエルにバレないように、監視下でどんどん偽情報を送らせたんです。暗号化して電報を打つのですが、イスラエルはその電報を受け取った時、彼が逮捕されたとすぐわかった。誤植が一ヶ所もなかったからです。いざという時のために、必ず毎回ミスプリントを末尾に入れていたんですね。もし完全に完璧な電文が来た時は、敵の手に落ちたという合図だと決めていた。シリアはまさかそんな合図があるとは思わない。言われた通りのことを暗号をかけた電報にしているとしか思っていなかった。エリ・コーエンは逮捕された後もシリアを欺いたわけです。


いくつか。
1.『「あの政治家はこの新聞社と関係が深いんだな」などということを読み取っていくのです。』というのは、実際安倍政権発足時に行われたように思われる。
2.『官僚が、新聞社に「ここだけだからね」と言って、特定秘密情報を流します。』ということは、特定機密保護法が成立している現在は、こうしたルートはない。
3.『いざという時のために、必ず毎回ミスプリントを末尾に入れていたんですね。』申し訳ありませんが、ミスプリは文章の末尾に限定されないと思います。「モサド、その真実」(落合 信彦)、「スパイのためのハンドブック」(ウォルフガング・ロッツ)のどちらかにこの記述がありましたね。そこには末尾とは記載されていませんでした。
両方とも80年代特有のうさんくささがあるのですが、どこかに本物の文章が隠れている。佐藤さんの指摘と上記の書籍での記述とには微妙な齟齬があります。これが今回の「ミスプリ」なのかもしれません。
4.このエリ・コーエンはスパイだと露見した後にシリアに処刑されている。イスラエルは「せめても死後は祖国に眠らせてくれ」と死体の返還要求をしているが、シリアは応じていない。体内の中に何か発見できていないメッセージが潜んでいる可能性があるからだという話がある。「逮捕された後もシリアを欺いた」コーエンに、シリアは死後も欺かれるわけにはいかなかった、という一進一退の攻防がある。
5.『モサドのスパイが国防大臣になるのはさすがにヤバいから、どうにか固辞して、国防省の顧問に就いた。』とあるが、いや笑えない。
世界にあるどこかの国の話しとして流布される話に次のようなものがある。真偽は不明だが載せる。
とある議員がとある時代に国家公安委員長になった。その時に反国家注意人物リストなるものがあるのでそれを見ていたら、そこに自分の名前があって絶句した・・・と。尚、「民主党幹部は閲覧後、まず人数の多さに驚き、そして自分たちの名前が並んでいるのにどう対処したらいいのか途方に暮れたと聞いている。」とのことで、いやいや、どうすべきなのかね・・・とも思うのですがいかがでしょうか。
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思想の影響を受ける技術史

2015-02-28 23:08:34 | 哲学・社会
メモ。

鉄道の誕生 イギリスから世界へ P40より

 自然現象を機械論的に解明しようとする風潮は一八世紀になると、大学や各地の文芸・哲学協会、さらに新聞・雑誌などによりますます広まっていった。バーミンガムで毎月開催されたルナー・ソサイエティは地方の知識人の集まりの代表例であるが、蒸気機関の開発を完成の域に到達させたジェームズ・ワットもその有力メンバーの一人であった。アメリカの経済史の泰斗ジョール・モキアは、このような時代思潮を産業的啓蒙主義(industrial enlightenment)という言葉で説明している。この産業的啓蒙主義は科学革命の延長上に位置づけられ、注意深い観察にもとづく実験、数量的なアプローチ、知識の進歩への信念とともに、経済合理的な判断も重視されていた。蒸気機関の開発もこのような時代背景のなかで考えるべきであろう。
 思想史・技術史に詳しい山本通によれば、産業的啓蒙主義は、当時ヨーロッパ大陸に広く流布した啓蒙主義の一部を構成するものであるが、イギリスでは、ニュートン力学が科学モデルとなって工業化を育み、工業技術に応用されて、産業革命を準備した。これに対し、デカルト主義が根強かったフランスでは産業革命の開始が遅れた。実験を重視するイギリスの科学的伝統に対し、デカルトの自然哲学は思索的・演繹的であり、デカルト主義者たちは工業への適用が可能な機械的工夫に関心を持たなかったと考察している。


なるほど。
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勇気付けられる動画

2015-02-28 22:35:08 | 映像作品
メモ。
ネットではかわいいとかの感想が溢れるが、自分の感想は違う。
私はこれに勇気付けられた。
これは私だ。
一人で孤独に色んな世界を歩いて、最後は敗北する。


not over
https://www.youtube.com/watch?v=oHmKxCKlfHo



しかし、最後の「終わるまで、終わりじゃない」というメッセージはその通りだと思った。

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動画の制作に必要なものを読み取る

2015-02-28 20:59:48 | 映像作品
動画をどのように加工すべきかを考えてみる。

まずはこちら。
雪かきで雪に足を滑らせる男である。



次に加工済みの動画だ。



一瞬気づきにくいが、1枚目の写真の男がきちんと紛れ込んでいる。
ここで言いたいのは、どのように紛れ込ませるかという動画の加工方法ではなく、「動画映像内にどのように役者を配置し、どのように動かすか」というのがここで分かるだろう。
ある程度乱雑でも構わなく、そしてカメラワークの向きと角度、そしてその流れと映像の切り替えが重要になってくることが分かるだろう。
ある程度ぱっぱと映像を切り替えても視聴者側には、視聴における不都合や不自然さ、ストレスはない。
私自身は役者の演技が完璧でなければいけないと今まで思っていたのだが、これで覆された。いや、無論現場では役者の演技は完璧でなければいけないのだが、それを上回る構成要素が映像には存在し、制作時にはそれを意識せねばならないのである。その具体的な答えはまだ見つかっていないが・・・。

おまけはこちらである。



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パクリとオマージュの違い

2015-02-28 20:09:41 | 雑感
メモ

“パクリ”と“オマージュ”の境界線とは?
http://www.oricon.co.jp/news/2049239/full/

 文章や写真の無断使用を指摘された大手バイラルメディア『BuzzNews』が、2月6日をもって閉鎖した。テレビ、新聞、WEBを問わず、さまざまなメディアでも話題となっているのが、安易な“パクリ”や“盗作”問題だ。しかしこれも、“オマージュ”や“モチーフ”、または“パロディ”などの言葉に変換すると、ずいぶんと聞こえがよくなるのも事実。では、“パクリ”と“オマージュ”の境界線とはどこにあるのだろうか?

■“リスペクト”の有無がパクリとオマージュを大きく分ける

一般に、“オマージュ”とは、尊敬するクリエイターや作品に影響を受けて、似たようなアプローチの作品を作ることを言い、“リスペクト”という言葉も同様の意味で使われる。一方、そうした敬意や尊敬の念を持たず、独自のアイディアや表現を加えない単なる模倣や盗作を“パクリ”と呼ぶようだ。有名なところでは、映画『荒野の七人』は黒澤明監督の『七人の侍』のオマージュと言われるし、マンガの『ドラゴンボール』は『西遊記』のオマージュだ。 

しかし、“創作の基本は模倣にある”とはよく言われることだし、シェイクスピアの戯曲の多くは、過去の作品の“おいしい”部分をつなぎ合わせただけとも言われている。日本においても、平安時代から“本歌取り”として、有名な古歌(本歌)の一句もしくは二句を自作に取り入れる表現方法がある。

■模倣の仕方が上手なら“オマージュ”、下手なら“パクリ”!?

マンガやアニメ、ゲーム等のクリエイターで、出版業にも携わるK氏にパクリとオマージュについて話を聞いた。

「典型的な物語の話をしましょうか。荒野にある小さな街に、ひとりの風来坊がやってきます。そこで出会ったのは、薄幸そうな女と、世をすねる若い男。風来坊は若者に“男とはなにか”を説きながら、かつて愛した女を捜す旅を三人で続けていく……」
「それって、『幸福の黄色いハンカチ』ですか?」
「私は『北斗の拳』のつもりで話したのですが(笑)。このように、物語なんてある程度は似たような展開ですし、物語のパターンは数十種類ぐらいしかないとも言われます。要するに、多少のパクリなり模倣はしょうがないとも言えます。極端に言えば、そのパクリ方が上手なら“オマージュ”、下手なら“パクリ”とも言えるのではないでしょうか」

 さらには「この作品の元ネタはコレです」と堂々と言えるのが“オマージュ”で、言えないものがパクリ、とも続けるK氏。たとえ同じ題材であっても、違う切り口、違うアングルをクリエイター側が提示できれば、それは“オリジナル”になるのかもしれない。

■オリジナルの商材を育ててこなかったツケが“パクリ”として表面化

 一方、そうした“パクリ”作品や“コピペ”作品を次々と世に出し続けているメディア側の責任はどうなるのだろうか?

「ひと言で言えば、“客をなめている”のではないでしょうか。今で言うと、『「進撃の巨人」っぽいのを作ってよ~』的な、○○っぽいもの、昔流行ったアレ、みたいな仕事の発注ばかりがきています。メディア側が、きちんとコストや時間をかけてオリジナルの商材を育ててこなかったツケが、“パクリ”問題として浮上してきているのかもしれませんね」(K氏)

 上記のコメントは、メディア側にいる我々にとっては耳が痛く、改めて襟を正す必要に駆られる。急速に発達したネット社会では、今や「情報=タダ」というのが当たり前になっている。テレビにしろ雑誌にしろ、メディア側が“タダ”の情報を引っ張りあげて“コピペ”し、それがさらにコピペされ、どんどんと劣化していったあげくに間違った情報が流通していく……という悪循環に陥っているのが、現状なのかもしれない。

 結局、自分で努力した、いわゆる“自分の足で稼いだ”ネタではなく、安易に“タダ”の情報に依存していることに、“パクリ”と“オマージュ”の問題の原因があるようだ。とは言え、その境界線自体が非常にあいまいであることは否めない。メディアやクリエイター側が発信したものは、最終的には受け手側、ユーザー側の審判を受ける。それは称賛であったり、売り上げとしての利益であったりするわけだが、その過程で、こうした“パクリ”か“オマージュ”かといった問題が浮上すること自体、ある意味では市場が健全に機能していることだとも言えそうだ。

極論すれば、大衆の多数が“おもしろい”と思って受け入れるか、逆に“おもしろくない”と拒絶するかが、“パクリ”と“オマージュ”の境界線なのかもしれない。また、メディアやクリエイター側としても、そうした大衆の審判を受けることを常に胆に銘じながら、発信、創作することが求められているのだ。

(五目舎)


2chでも言われていることですが、元ネタを師って貰わなければ困るというのがオマージュで、元ネタを知ってもらったら困るというのがパクリである、と。
リスペクト云々はこれに関係ないと思います。


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