とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

【テレビ番組案】:サザエさん深夜枠移動、堀川君の悪夢シリーズ

2018-09-05 22:56:52 | 脚本
むしろ迷走している雪室脚本を、サイコ側にパラメータガン振りをして深夜枠で思い切りやれば。

・堀川くん悪夢シリーズ
・花沢不動産、東京の土地を戦国シミュレーションのごとく獲得していく(参考は半沢直樹)
・中島くん、プロ野球選手になるまで(全24話)。最終回は覚醒剤で捕まる。
・2020年版サザエさん、シジミちゃんスタート

>長谷川町子美術館が許さない
堀川くんがサイコであるという雪室脚本は許してるんか・・・omg


国民的アニメが視聴率低迷 「サザエさん」復活の策あるか
2018年8月27日
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/236135

 "国民的アニメ"といえば、「サザエさん」(フジテレビ=日曜午後6時30分)を挙げる人も多いはず。1969年に放送が開始され、来年50周年を迎える超長寿番組だ。

 かつては30%超、21世紀に入ってからもしばらくは20%以上の高視聴率を稼いできたが、ここ数年は1ケタの回もあるなど"サザエさん離れ"が著しい。

「『現代の家族像とかけ離れている』『フネや波平の声優が替わって違和感がある』『フジテレビ自体に元気がない』などなど、視聴率低迷の理由についてはいろいろ言われていますが、そもそもサザエさんをオンタイムで観るという習慣自体がなくなってきています」(テレビ誌ライター)

 サザエさんを見終わると、翌日から始まる忙しい日常を思い浮かべてユーウツになるという「サザエさん症候群」なる言葉が生まれるほど、かつては若者からサラリーマンまで日曜夕方の習慣として定着していた。が、それももう"昭和の遺物"として、このままサザエさん離れが進んでしまうのか? テレビコラムニストの亀井徳明氏がこう言う。

「今年3月で東芝がメインスポンサーを降板し、近い将来のシリーズ終了のウワサまで流れましたが、それはなさそうです。4月以降、視聴率が1ケタだったのは5月27日の9・4%、7月1日の9・9%、8月12日の9・3%の3回だけ(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。フジテレビにとって貴重なコンテンツであることに変わりはありません」

 今のご時世、視聴率10%前後でも「上等」と亀井氏は言うが、つい数年前まで20%を稼いでいた番組としては「低迷」と言わざるを得ないだろう。そして、亀井氏は「視聴率を"復活"させるには、どうしても番組の著作権をもつ長谷川町子美術館の協力が必要です」と、こう続ける。

「テレビ東京の『おそ松さん』や『深夜!天才バカボン』は、昭和の名作をリブートして若者の人気を獲得しました。それにならって『夜のサザエさん』とか『裏サザエさん』のような思い切った深夜アニメを作るのはどうでしょう。ただ、長谷川町子美術館が許さないでしょうねえ……それが無理なら、もともと新聞連載の4コマ漫画だったことに立ち返り、『めざましテレビ』あたりで『サザエさん』の過去の1エピソードだけ毎日放送し、"新旧の客"を呼び込むという手はあると思います」

「夜のサザエさん」はタイトルだけでも面白そうだが……いずれにせよ、国民的キャラクターの価値は計り知れない。番組のテイストは"昭和"でよくても、ビジネスモデルまで"昭和"のまま視聴率による広告収入というだけでは、せっかくの財産もジリ貧になってしまう。

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作品におけるベースモチーフの選択

2018-08-19 12:11:03 | 脚本
創作のストーリーは大きく分けてノンフィクションとフィクションに分かれる。
そのフィクションはモチーフを使用しないものとモチーフを使用するものの2つに分かれる。
このモチーフを使用する作品について考えてみたい。

創作において、その作品のベースとなるものはいくつかある。

舞台(中世ヨーロッパなど)であったり、物語の文化背景・キャラクター(ドラキュラ、忍者、西遊記、妖怪)、プロット(象徴的な勝利やその後の伏線の提示)、武器・武具・神話などなど・・・

それらを体系化して方法論にすることをすべきであるが、ここではまだ整理しきれていないので、もう少しミクロ視点に立ったものを書く。

それはベースモチーフの選定である。
物語を象徴するモチーフは、キャラクターに直結するイメージを直接指定するものや、あるいは名前だけ借りるもの、あるいはストーリーを予期させるものなどがある。

キャラクターに直結させる例としては、タロット(ジョジョ)、トランプの絵札、十二支(ハンターハンター)、星座(聖闘士星矢)、惑星などであるが、人が古くから感覚的に認識していた、直感的体系の具象的発露がこれに当たり、これはもう掘り尽くされた感がある。

そこに読者や視聴者は、それらに紐付けられたキャラクターに、ある種の直感、隠喩と暗喩、将来的な予感としての神秘的なインスピレーションを受けることになる。

あるいはそこから少しだけ派生させるのもよい(太陽と月であれば、シルバームーン&ゴールドサンなど)。

あるいはLookin' in the sunlight, turnin' in the moonlight.だとか、Dancin' in the moonlight.などなど。

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身近な何かでも良い。
魚介系を敵のボスキャラにしたダライアスは優れていたし、動物や昆虫をメカにしたゾイドも良かった。
PCエンジンで、ミミズとかダンゴムシを敵のボスキャラにしたのは、あれはよくなかった。格好悪い上に気持ちが悪い。

シンケンジャーは漢字を書くのがモチーフで、仮面ライダーウィザードは四元素だったかな。
仮面ライダー鎧武はなんとモチーフが果物だった。

ワンピースが海賊モチーフだったが、連載初回当初は、このモチーフが当たるとか誰が思っただろう。
(ビッケがあるじゃないかという話だが、ビッケも大当たりクラスじゃないしなあ・・・)

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名前だけ借りるのもOKだ。

鋼の錬金術師での初期の敵キャラはお酒の名前でこれも良かった。

あるいはジョジョでは敵キャラの名前は洋楽のバンド名であったりする。

世界にあるモチーフの中でまだ未使用のものもあったりするがここでは割愛したい(私だけの秘密にしたいので)。
キーワードを言うとN&Gかな。

書ける部分だけ書くと、ダンスの技の名前(インディアンステップなど)や、洋楽のジャンル名をちょっと変化させる(エレクトロ→エレクトロニカ、パーカッション→パーカッショニア、フィジェット・ハウス→フィジェット・モロ)。

あとはネットの大規模サイトを日本名にするのでもいい。
洋津辺、津井田、トゥイットゥル、長谷部、三串、二胡堂などなど・・・

猫の種類(アメリカンショートヘア→アメーショ)、犬、馬、牛、羊、ヤギ、水牛、シャチ、クジラ、サメ、猛禽類、鳥・・・
あとは、果物、音楽、楽器、自動車、飛行機、船、七大洋の名前、港の名前、気候の名前・・・

赤ちゃんの名前辞典がキャラクターの名前を決定するのに便利だって言うから、モチーフ辞典とか作ろうかな。

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勿論、既存の世界のモチーフを使用せず、新たにジャンルを作り出すのも全くOKだ。

能力バトルもの、中世魔法ファンタジー、異世界転生、闇金融、闇金融の裏側バックサイドストーリーアネクドート、民族料理とアクションストーリーの攻防などなど・・・

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コードギアスとドラマトゥルギー

2018-08-05 13:59:17 | 脚本
コードギアスは実は途中までしか見ていない。

先日あった、MBS動画イズムでの一挙放送が一部までしか放送していなかっただとか、私に視聴する時間がなかったとかその辺りが理由なのだが、その他の理由として、映像作品を見るための体力が無いのである。

若い時には映像作品を食い入るようにして、自分の脳裏に焼き付けていたが、それをする体力がなくなった、と言うことだ。
流し見をする適当な作品であればいいのだが、この作品に関してはそうもいかない。

さて、その途中まで視聴した結果であるが、やはり面白い。
と言うのと同時に次のことも書いておかなければならない。

このコードギアスには、よくも悪くもドラマトゥルギーでのみ構成されており、背後に書かれる精神的テーマが無い。
少し整理する。
ドラマトゥルギーとは、具体的な劇作法・劇作術のことであり、どのように構成し、どのようにセリフを立て、どのようにストーリー展開していくか、と言う手法そのもののこととして上記は使用している。
つまりは、人が見ていてどのように心を揺さぶられるか、と言う揺さぶりの技法であるが、本当に純粋にそれだけしか使われていないのである。

そして精神的なテーマ性が無いと言うのは、通常のドラマや映像作品では、その作品に感銘を受けた後、「こういう風に生きていこう」だとか「このように考えよう」と言う精神的なフィードバックと、それに伴う若干の精神的成長が見込まれるものだが、コードギアスに関しては、物語に通底するそのようなフィードバックが一切ない(ミクロ的視点では名言がよくあるので、それが視聴者にインプレッションを与えるだろうが、大幅な線表においてはそれがない)。

よって、コードギアスは、大衆エンターテイメントとしての極地にありながら、人生哲学に影響を与えるテーマというのは基本的にないという構図になる。逆に言えば、テーマ性は無いが、しかし視聴者が楽しめるものとして、映像作品の中では群を抜いた仕上がりとなっている。

この意味において、どちらかというと、ゲーテよりもシェイクスピア寄りになっている作品とも言える。
シェイクスピアでは読後に「ああ、私はこの主人公に感銘したから、このように生きよう」などという感想は発生しない。しかし、個々のセリフにはインスピレーションを引き起こすものが多々存在し、色々な文献に引用される。
マルクスもシェイクスピアを引用したし、その他にも好例が見つかるだろう。

もしかしたら、もしかすると、コードギアスもそうした形で今後引用されていくのかもしれない。

「変化無き日常を、生きているとは言わない。それは、ただの経験だ。」
「行動の果てには、結果という答えが待っている。例外は無い。」
「男は床で寝ろ」
「勝つにしろ負けるにしろ、全てを出し切らなければ何も獲得出来はしない それは国でも個人でも同じこと」
「哲学を語っている余裕はない」
「全ては過去、終わったことだ」
「では聞こう! お前たちは、誰かがブリタニアを倒してくれるのを待つつもりか!? 『誰かが自分の代わりにやってくれる。』『待っていればいつかはチャンスがくる。』甘えるな! 自らが動かない限り、そんないつかは絶対にこない! 」
「君には借りもある、情もある、引け目もある、しかしこの場は、忠義が勝る!」

「勝てよルルーシュ。自らの過去に。そして、行動の結果に」
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東京五輪の開閉会式演出、野村萬斎が総合統括に就任

2018-07-31 00:10:08 | 脚本
おめでとうございます。

一方でワイの開会式脚本案が採用される道は閉ざされたンゴ・・・
めっちゃおもろいのに

露と落ち露と消えにし我がアイディア 五輪のことも 夢のまた夢


東京五輪の開閉会式演出、野村萬斎が総合統括に就任
2018年7月30日15時43分
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201807300000023.html

 2020年東京オリンピック(五輪)・パラリンピック開閉会式を演出する総合統括に、狂言師の野村萬斎(52)が就任することが30日、決まった。福島県のJヴィレッジ(広野・楢葉町)で開かれた大会組織委員会の理事会で承認された。

 五輪統括には映画監督の山崎貴氏(54)、パラリンピック統括には広告クリエーティブディレクターの佐々木宏氏(64)が就任した。五輪は野村と山崎氏、パラリンピックは野村と佐々木氏が中心となって具体的な演出企画を制作する。

 野村がリーダーとなった理由を組織委の中井元チーフセレモニーオフィサーは「狂言、映画、舞台と伝統から現代まで幅広い見識がある。日本の文化は多様なのでそこの間口が広く、いろいろなことをやっていた方が良いと判断された」と語った。

 山崎氏は映画「ALWAYS三丁目の夕日」「永遠の0」で日本アカデミー賞最優秀監督賞を2度受賞し、「日本を代表する映画監督」として選ばれた。

 佐々木氏は、16年リオデジャネイロ五輪・パラリンピックのハンドオーバーセレモニー(東京大会への引き継ぎ式)の演出チームとして活躍。安倍首相がスーパーマリオに扮(ふん)した五輪版、「ポジティブスイッチ」というスローガンで、障害を負った後もそれに屈せず、さまざまな分野で活躍する人々に焦点を当てたパラリンピック版の制作経験を、20年東京パラリンピックにも継続して生かしてほしいとの理由から選ばれた。

 その他にも「東京五輪・パラリンピック総合チーム」を設置。歌手椎名林檎(39)、演出振付家MIKIKO(40)、大手広告会社電通の菅野薫クリエーティブテクノロジスト(40)、映画「君の名は。」などを手がけた川村元気プロデューサー(39)、右下肢に障害がある栗栖良依クリエーティブプロデューサー(40)が就いた。椎名、MIKIKO、菅野氏は佐々木氏と同じく、リオ大会の引き継ぎ式制作チームだった。

 例えば、野村、山崎氏が五輪の式典の音楽分野については椎名に助言を求めたり、振り付け分野ではMIKIKOに相談したりし、相互に協力できる体制だという。さらに専門家を演出チームに招くことも可能。映像や音楽などを制作する実務スタッフを含めると、全体のスタッフは数百人規模になる予定。

 この8人は昨年12月、五輪・パラの開閉会式4式典の「総合プランニングチーム」に選ばれていたメンバーと全く同じ。各式典の具体演出を決める前に、起承転結で4式典を貫く基本計画を練ってきた。組織委は8人を発表した時点では、各式典の演出、監督はこの8人以外から選ぶ可能性があるとし、他の演出家への調査も行ってきた。

 しかし結局、演出の責任者はこの8人から選ばれた。中井氏は「平昌大会の視察にも行ってもらった。(演出の)具体案も考えながら、基本プランを考えていた。それらが非常に結びついていた。この6カ月でずっと、本当に2020の式典について考えてくれた。現実的にここまで考えてくれている人はいない」と、外部から登用しなかった理由を語った。
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【脚本案】不老不死キャラの人生観

2018-01-21 10:07:16 | 脚本
(声は若本規夫さん(シャルル・ジ・ブリタニア)の声で)

少おし面倒くさいことを言おおう。

私がいろんなフィクションの創作物を読むに、「不老不死」のキャラクターが登場人物として物語の要所要所に配置されるのだが、その作品中での彼らや彼女らが言うに、「普通に死にたい」などと彼ら彼女らの心情の吐露として抜かしよるのよ。

いや確かに不老不死の人間でもそういう変わり者はいるだろうし、そういう人間性の方がドラマチックな物語を作りやすいのだと思うのよ。
だがしかあし、あんまりにも脚本にそれが使われすぎてきて、ある種のパターンになっちゃっていたりなんかしちゃったりしているわけよお。

これはあれだ、フィクション作品に不老不死キャラが登場したとき、「あっ、不老不死のキャラだ、この人もよく分からないけれども、死にたがるんだね」などと思われたりしないのかと思うわけ~よぉ。

実際には違あう。

例えば私が葬儀とかに出たりすると、もう本当パターン化して、「安らかに眠ってね」と思って自分が死にたいとか思わないわけ~よぉ。
いや、そりゃ確かにちょっとは悲しい。でも普通に寿命がある人とはちょっと感じ方が違うんだということを分かって欲しいのぉよお。
不老不死もお~、100年くらいは悲しいのだけれども、200年を過ぎる頃に煩悶し、400年くらいで「そういうものなのだ」と諦観するのよ~。
不老不死とは言えど、元は人間よお~。悲しみに明け暮れるけれども、その内、牧師や神父、坊さんなどと同じく絶対的倫理基準と思われた死生観にでさえ変化が訪れ、そして慣れ、定着しちゃうのよ~。
葬儀も手慣れたもんで、カトリック、プロテスタント、仏教などでテキパキと動くようになって、「葬儀に慣れるのもなんだかな」と一種の贖罪感を感じたりもするけれども、月一で繁華街の某所赤ちょうちんに集まる「不老不死になっちゃった会」で集まる面々の話を聞くとぉ~、そこでは色んな話を聞いていく内に、手慣れるのは仕方がない、それよりも他の人の人生もその過程で大事にしようね、そして我々の人生も同様に大事にしようね、と言う形で収まるわけ~よ~。

例えば、どこかで赤ちゃんが生まれたと~す~る~。
我々も、勿論、それを祝福することには変わりない。ただ違うのはここから、だ。
この赤ちゃんも「いずれ120年後には必ず死ぬのだ」と言う感覚が我々不老不死者にはあって、勿論それは親御さんや他の人には言わないが、その過程を歩く間、無病息災を祈って、安全安心にし、120歳までの死ぬまでの間に、あなたが神に与えられた天命を全うしなさいよ、と言うのが我々の願いであり、自然とそう思うものなの~だ~。

だからと言って~、この考え方は~ドラマにはならない~、フィクションにもならない~。だ~か~ら~脚本に採用されない~。
そこには安静と安寧があって、人が持つ矛盾や葛藤が無いがために、作品化されない~。
作品化されるのは、常に死にたがりの不老不死者と言う矛盾だ~。
ゆえに、誤解が生まれる~。

ダニエル・アクストは言~う~。
「いまの世の中では、あたりさわりのない穏やかなことを書いたのでは嫌がられる。もちろんまっとうな市民生活はそれなりに尊重すべきだが、必死にがんばって老後の資金を貯めた話しとか、早朝に車を相乗りして通勤する際のもめごとや、何十年にも及ぶ妥協の結果として添い遂げた夫婦の物語など、誰も聞きたいとは思っていない。物書きならそんなことは百も承知だ。
 「幸せな家庭の静かな時の流れは、物語の材料にはならない」『セルフ・コントロール』という教訓的な小説を書いたメアリ・ブラントンは二世紀も前にそう喝破した。「慎み深い愛情、穏やかな欲求、働きがいのある仕事、敬虔な黙想などは感じるもので、書くべき対象ではない」。これは誰もが認める事実だろう。だからメアリ・バートンの小説のヒロインは、悪人のボーイフレンドから逃れるために樺の樹皮で作ったカヌーに身体を縛りつけてカナダの滝に飛び込む。このエンディングは揶揄されたが、しかし小説はよく売れた。」

私がここで言いたいのは次の通りだ~。
・不老不死者が悠久の時を生きてきたがために死にたがると言うパターンは真実ではな~い~。
・文学作品や大衆フィクションは、そうした我々の心情的内面の吐露を作品化すべきであ~る~。
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