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とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

『いきなり! ステーキ』の対義語

2025-04-06 20:53:40 | 文章・日本語・言葉



と言うことで、ここから丁寧に「いきなり」の意味を考える。

前もってカルパッチョ
→「いきなり」は計画上事前予定されていなかった(人の期待はここに含まれない)、と言うニュアンス

まだ牛
→「いきなり」は長期的な成長や収穫、加工、流通、販売などの各プロセスを意識させないほどにタイミングが早い。

満を辞して刺身
→「いきなり」は人の期待も含め、計画上事前予定されていなかった、と言うニュアンス

おもむろにサラダ
→「いきなり」は、短期的動作が早く、こちらが所作として余裕のない心理状況の時に咄嗟に出されたという意味(「おもむろ」は動作が静かでゆっくりしていて心理的余裕のある所作)

まだかよサラダ
→「まだかよ」の場合は、人が期待するタイミングよりも遅い時間かつ未到着の状態であるが、「いきなり」は、それを意識させないくらいタイミングが短い。

いまさらユッケ
→「いまさら」は期待していたタイミングよりもかなり遅いタイミングで到着した。
→「いきなり」はそれを意識させないくらいタイミングが短い。

いまだにお通し
→「いまだに」は期待していたタイミングよりもかなり遅いタイミングで到着しており、かつ物語の最序盤であるべきプロットが後半の今になって踏まれたと言う失望感を示す。
→「いきなり」はそれを意識させないくらいタイミングが短い。

約束通り寿司
→「いきなり」はこちらの心の約定や期待と言うものがなく、突如として無計画のものが発された。

死角からおひたし
→「いきなり」は正面から言明を以て堂々と提供される様子を示す。

でしょうねハンバーグ
→「でしょうね」は、期待せずにちょっと下の予想をしていたらその通りのちょっと下の予想値通りのものが到来した。
→「いきなり」はそうした期待値との比較を許さず、突然と表明することによって、社会的所作の組み入れ的に、全体評価にこちら側の評価を組み入れない。

遅いぞナッパ
→「いきなり」はちょっとした叱咤がない。

いままで母乳
→ここだけちょっと背景事情を考慮する必要がある。乳幼児において母乳→離乳食→普通の食事という具合に変遷するが、いきなり肉料理の対義語としては、乳幼児を主体にすればこの語は成り立つ。

どんよりヴィーガン
→「いきなり」は威勢と気風が良く、春風がそよぐような爽やかさでこちらの気持ちを洗い流してくれるような表現である。

おせぇよサラダ
→「いきなり」はタイミングの遅れによる失望や怒りがない。

ワンテンポ置いて生魚
→「いきなり」はワンテンポおかず、こちらの余談を許さぬままに最序盤でこちら側の期待や予想を上回る形で物語のプロットを提示する。


自尊心低めな自己紹介の例

2025-04-02 23:08:20 | 文章・日本語・言葉
手前のような一愚民(いちぐみん)が
私のような一芥(いちあくた)が
砂礫の一粒(ひとつぶ)が
コンクリートジャングルの地中5メートルほどに埋もれた誰にも認識されぬ灰色の砂粒が
海岸に打ち捨てられたビニールのゴミよりも顧みられぬ不要物が
私のような一(いち)ポケモンが
ピラミッドの構成物にすらならぬ、そこから100キロメートル離れた砂漠で流るる砂の一粒が
糞便ならばマイナスの見方をもってして認識されうるけれども、マイナスにすら大衆の目に映らず、届かない位置にいる末端のなにがしかが

韓国語での「トイレの水を流す」について

2025-03-29 18:30:22 | 文章・日本語・言葉
話題が話題だけに先に書いておくのですが、今回のこれは韓国語を揶揄する内容ではありません。
(否定的に捉えられるかもしれないけれども)
飽くまで比較文化の話。

「トイレの水を流す」をハングルで書けば、
화장실(화장→化粧(ファジャン)、실→室(シル):トイレ) 물을(ムル:水を) 내리다(ネリダ:下げる、降ろす)

と言うことで、どこかの海外掲示板で、韓国の人が「日本語はなんで『流す』なんだ? 違和感がある。普通は『내리다(ネリダ:下げる、降ろす)』なんじゃないか? 」と言う意見があったと記憶。

で、実際問題、この韓国の人の主張と理屈は分からんでもない。
物理的には水を下流に放流するんであるからその通りではあって、韓国語の表現が実態のそれに近い。

しかし、日本語の流す(流れの中に物品を置いて、下流に向かって手を離して、その物品を湾曲的に捨て去る行為。そしてそれによって自身の生活の中からそれを物品の物理的存在と共に心のありようもクリアにして綺麗さっぱりに捨て去る営為)と言う行為も、英語におけるFulsh(水が勢いよく流れる、流して洗う)も、水をどのようにするのか、と言うことだけではなく、「『水をどのようにする』ことによって、その結果どうなることまでを企図する」と言うところまでがこの言葉とそこに含まれる営為に含まれているように思います。

逆に言えば、韓国語にはこれが含まれていないのではないか、と言うのが、今のところの私の作業仮説です。

でまあ、ここまで書くと「韓国を揶揄しとるんか」と言う意見があると思うんですが、今回たまたまそうなっただけで、韓国にあって日本にないものも沢山ある訳ですわ。短期的な爆発力とかが特にそう。この逆も然り。
よって、各国文化の優劣と言うことではなく、独自の特色を並べて、それを比較して、時には相手の長所を真似をすることが、互いの国にとっていいよね、と言うことを言いたい。

想像しやすい揶揄の意図はないことを記載してこの文章は終わりにします。

フォニイ / phony - kafu

2025-02-01 01:54:35 | 文章・日本語・言葉


と言うことで歌詞を丁寧に考える。

この世で造花より綺麗な花は無いわ
何故ならば総ては嘘で出来ている

と言うことだが、これは隠れている前提に対する反句である。
元々は「真実のみが美しい」と言う議論不要の大前提があるからこういう言葉が出てくる。

詳細を書けば、
「この世は理想論や建前として『真実のみが美しい』だなんて言われているけれども、しかし嘘が実力を以て、この世の中を動かしていて、それが例え嘘であったとしても、実際的な真実であるのだ」と言うことになる。

しかし私はこれに補足をしておく。
「だからこそ真実は美しく、価値があるのだ」と。


簡単なことも解らないわ
あたしって何だっけ

これも丁寧に考える
虚偽の仮面をかぶった自分でなければ、この世の中を渡り歩くこともできないし、本当の自分を出せば、理想としてはそれが本来あるべき真実の美しい姿であるのにも関わらず、忌避され、調整を必要とし、「世の中は本来ある真実のあなたを必要としているのだ」と言う理想の声があるべきだという社会の希望もあるし、またそういう声があって欲しいのに対し、実際に言われるのは「仮面のつけたお前でなければ用はない」と言う冷酷な非情だ。

おまけ: