とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

社会はどう構築すべきか? 余談として女性の社会進出とその企業における労働量、及び家庭の時間について

2019-04-30 22:23:42 | 国内社会批判
私の個人的意見。

私の職場の過去を振り返って見るに、優秀な女性が物凄く沢山いた。
これは3つの見方がある。一つは本当に皆優秀だった。
もう一つは優秀な女性しか目立ってなかった。
最後の一つは、私の仕事の出来が確実に平均以下で低レベルなので、普通の女性の仕事っぷりを見ても、それらは相対的に上に見える。

ただ、健康診断のクリニックに言って看護婦さんと男性の医者の仕事っぷりを見れば、役割があるとも言えるがしかし優秀な女医さんもめちゃくちゃいるんだよね。
あるいはスチュワーデスの人も感心するし、書店店員さんや髪をカットする女性も凄く感心する。

私は女性に対してこんな考え方なので、社会進出? 優秀な人はどんどん進出すればいいじゃないか。とは思っている。

一方で、日本特有に存在する過度の労働量の仕事文化から見れば、そこに女性が進出すべきではないとも思っている。女性が夜の12時なんかに帰っちゃいけないし、徹夜もしてもならない。
本当の緊急の緊急時にはそうした行動は男女問わずしなければいけないが、そんな緊急事態を非常時だけでなく、通常時にも常習的に起こしている会社組織は、労働設計に失敗している会社であると言わざるを得ない。

人はなんのために生きるのか、と言うことを問うと、当然ながら第一の目的は生存だ。
しかし生存だけではダメで、第二に衣食住が必要である。
第三に適切な社会を構成するための職に就いていることが必要で、それには教育が必要である。
第四に、地域社会への奉仕、協力である。
自分だけが生きていればいい、と言うのはあまりよろしく無い。
従来の倫理道徳的に褒められるものではない、と言うのは勿論だが、実は役割分担を決めて税金豆乳から人員配置を決めて、公的な役割にすれば、その分効率的になる。
この辺りについて、福沢諭吉の書いた「学問のススメ」にそれが詳しい。
例えば国家機構も機能もないところに、「ここは俺の土地だから警備も消防も俺が出した金で設備と人を揃える」となると莫大な金銭が必要になるが、集団で生活している人からの税収をして、機構への配分によってそれらがなされる場合は、金額的に安く、そして効率的な動きができる。
公的機関でなくともいいじゃないか、と言うのはその通りである。我々はおおよそ上記の動きを「保険」でも賄っているが、これは保険会社の多くは公的機関ではなく民営である。
なので、より安く済ませるために税金を払う、と言う考え方も有効な選択肢のうちの一つであることも記憶の隅にとどめておいた方が良い。
つまり、地域社会への奉仕、協力は別に義務でも何でもないのだが、それをすると返って自分が生きやすくなるのである。
第五は継続可能なコミュニティの形成である。
人間が何のために生きているかと言えば、上記で上げたものは、生物の個体としては生存や、人間としての生きる生活のための環境整備、コミュニティの形成と奉仕だ。これは個人が生きるためのものであって、それをやればその個体が生きている間の短期間は存分に生きられる。
しかし生物の個体ではなく、群とすればどうだろう。生物が群をなし、そしてDNAを継続する意味においてはどうか。
例えば生物群が増えていくのではなく減っていく個体群があれば、その群は生物としての意味を果たさない。
人間で考えてみれば、出生率が2.0を下回るとそのコミュニティは時系列的に縮小して消滅をするので、意味をなさない。
よって、その地域集団の子供を作りやすくするための環境をコミュニティ的になすべきなのだ。

少し無駄話になるが触れておく。
小さな鉢の中で小さな生態系をつくることをビオトープと言う。
発泡スチロールの中に水と生物群を入れておけば、循環する生態系を作ることができる。
この中で、メダカのみを研究して、メダカの繁殖そのものもその研究の一部であるケースを考えよう。
弱ったメダカが個体数を徐々に減らしていった場合、その時はどのように考えるべきなのだろうか。
答えは幼生の頃から餌をやるやら、あるいは水質などの繁殖しやすい衛生環境に気を使うやらになる。
もう少し言えば、そういう飼育計画や、育成プログラムの設計を行わなければいけない。

ここで人間社会に目を戻そう。
人間社会においては少し勝手が異なるようで、出産・育成がもう無理と思われる世代に助成金を出したり、あるいはメダカが減っているならグッピーを入れれば個体数は減るどころか増えるからそうすべきだ、と言うような生態系の維持ではないことをやろうとしている。真に必要なのは既存生物群が持つDNA維持と、それに必要な環境と社会運用の履行、そしてそれを行うための計画と設計なのだ。


アメリカの心理学者マズローの自己実現理論では、

「生理の欲求(食事・睡眠・排泄)」
「安全の欲求(安全性、経済的安定性、良い健康状態の維持、良い暮らしの水準、事故の防止、保障の強固さ)」
「社会的欲求と愛の欲求(社会的機能地位の確保とそれに紐づく自己アイデンティティーの確立)」
「承認(尊重)の欲求」
「自己実現の欲求」

の五段階に分けたが、私の上記の論では
生存
→衣食住などの生活に必要なもの
→職と教育(マズローの「社会的欲求と愛の欲求」と同じ)
→地域社会での貢献
→その地域生物群の継続的維持

と言う具合に進めている。

さてこの論に従った場合、現在の日本社会はある種の異常を起こしている。
社会制度設計が、個体の繁殖、及び継続的な生物群の維持と言う意味においては、減衰を許容し、社会運用におけるハードなやり方の方を優先している。

お父さん、お母さんがバリキャリのキャリアであっても全然構わない。
しかし、それがゆえに子育てができない環境になるのはおかしい。

昨今の欧米基準で言う「個としての権利」は十全に守られているが、「群としての権利」つまり生物が存続するための十全な社会とルールと認識が保全されているかというと、そうではない現実が存在する。

キャリアに行くのは問題ないが、しかし子育ての時間も存分にとり、そしてその地域の生物群が減衰ではなく維持や増殖に行けるように社会の認識と制度を傾けていくべきなのだ。





【狂気】有名な放置女児が妊娠したらしく、親が血眼になって相手を探している。路上で育ったといっても過言じゃない彼女の運命は…

710: 名無しの心子知らず 投稿日:2013/10/04(金) 20:06:45.19 ID:Dn5HzDGW
ちょっとスレチかも。
小学校一年から放置子で有名だったA子が妊娠したそうだ。

710: 名無しの心子知らず 投稿日:2013/10/04(金) 20:06:45.19 ID:Dn5HzDGW
親のAがものすごい勢いで相手を探している。
A子は中三でわが子の同級生。小1から放置子で路上で育ったと言っても
過言でない。この分譲住宅街のお宅にきなみ入り込もうとして皆に嫌われて
小学校の中学年には他の地区に出張っていた。
親はりっぱな職業持ちの共働き。このあたりで一番広めの分譲地に大きな家を建てている。
でも勤務先が遠方とかで父親の方は勤務先近くにマンション借りているとかで
たまにしか帰ってこないそうだ。母親の方もりっぱな職業で夜中にしか帰ってないかったみたい。
A子が小学校入る前まで父親の方の祖父母が一緒に住んでいてA子の面倒をみていたけど
母親のAと教育方針の対立とかで出て行った。
それから学童にいれたけど、お迎えの七時に間に合わないとかですぐ辞めさせて
自宅いさせたから放置子になったみたい。
我が家の子供は小学校中学と同じのために母親Aが心当たりがないかと聞きに来た。
A子は相手の名前を絶対に言わないそうで、しかももうおろせない月数になっているとか
母親のAが泣いていた。泣くぐらいならもっと早く施設にでも入れてやればよかったのに。


712: 名無しの心子知らず 投稿日:2013/10/04(金) 20:31:58.67 ID:qSJlYSKa
>>710
子どもの復讐だな。


711: 名無しの心子知らず 投稿日:2013/10/04(金) 20:28:46.45 ID:D44vIdKr
よく女の子を放置できるなぁ
妊娠どころか、性犯罪のターゲットになってもおかしくないのに


713: 名無しの心子知らず 投稿日:2013/10/04(金) 20:37:22.75 ID:o3qtUkAo
>>711
性犯罪のターゲットになったうえでの妊娠じゃないのかねえ…


714: 名無しの心子知らず 投稿日:2013/10/04(金) 20:46:57.23 ID:FzEz4EEy
こういう場合、相手がわかったところでどうしようもない
責任とれるような相手じゃないだろう
(成人だった場合中学生に手を出したわけだし)


716: 名無しの心子知らず 投稿日:2013/10/04(金) 20:49:11.86 ID:qSJlYSKa
子どもの同級生にもこうなりそうな子がいるから、他人事じゃないわ


717: 名無しの心子知らず 投稿日:2013/10/04(金) 21:00:00.52 ID:Dn5HzDGW
母親Aは相手を見つけて責任取らせる。うちの子だけ辛い思いさせるのは
納得いかない。相手もそれなりのペナルティをと言っていたけど
相手を同級生とか思っているのかな?
うちの娘にA子は誰と付き合っていたかと聞いていたけど、A子は中学に入ってから
保健室登校で11時ごろ学校に来て給食食べて帰るをしていたから
ほとんど同級生と接触なしだから、そんなのわかるわけない。
そうやって言ったら「保健室登校って何?」だって。学校から連絡言っているはず
なのに聞いてないのか?すごく不思議だよ。年に一回の三者面談どうしていたのかな?


718: 名無しの心子知らず 投稿日:2013/10/04(金) 21:02:44.86 ID:fXX1vbjt
なんだか恐ろしい話になってますねえ・・・


719: 名無しの心子知らず 投稿日:2013/10/04(金) 21:03:59.30 ID:qSJlYSKa
立派な職業なのに、そこまで無関心ってある?
体面とか気にしないのかね


721: 名無しの心子知らず 投稿日:2013/10/04(金) 21:11:56.85 ID:y+ER3AGh
中3のこの時期に妊娠で堕ろせない月齢・・・
中卒確定じゃないか


722: 名無しの心子知らず 投稿日:2013/10/04(金) 21:19:08.33 ID:vPzMnjIR
赤ちゃんがかわいそう


725: 名無しの心子知らず 投稿日:2013/10/04(金) 21:33:46.30 ID:6d+JoxMu
うちの子と同じ幼稚園だ放置子も、ご立派な両親だよ。父親は大企業のエリート、母親は帰国子女のエリート研究者。二人して家庭と子供に無関心。
ただこの放置子は男の子だけど、現在引きこもり5年目で、17歳。
こういう人達ってどうして子供作ったんだろうね。


728: 名無しの心子知らず 投稿日:2013/10/04(金) 21:44:32.56 ID:qSJlYSKa
>>725
自分達も同じように育てられてきたんじゃない?


729: 名無しの心子知らず 投稿日:2013/10/04(金) 21:46:34.09 ID:vvvGP9q+
放置子がエリートになれるとは思えない。


732: 名無しの心子知らず 投稿日:2013/10/04(金) 23:01:28.88 ID:X3MnWLb3

両親エリートで金持ちなんだから
全寮制の学校にでも入れりゃいいのにね。

小学校からの全寮制エスカレーター有名私立なんかあったら
喜んで入れるんじゃない?


735: 725 投稿日:2013/10/04(金) 23:50:00.15 ID:2VshXhzJ
>>732
それが、全寮制私学にはお断りされたそう。
全寮制は一人でも問題児が混ざると、大変な事になるので、無問題家庭の子女でないと駄目なんだと。


736: 名無しの心子知らず 投稿日:2013/10/05(土) 00:36:19.97 ID:5gVd8PML
>>735
問題有りとどの辺で学校は見抜いたんだろう。
一応両親は肩書き・外面は良かったんだよね?
面接時に親子から何かしら異様な雰囲気が感じられたんだろうか。


737: 名無しの心子知らず 投稿日:2013/10/05(土) 03:56:06.68 ID:MeDmzrkh
>>736
分かるよ。
大切に育てられた子供と放置された子では全然違うじゃない。
そうだよね、全寮制だと基本的な生活習慣が出来てないとダメだよね。
共同生活だもの。


738: 725 投稿日:2013/10/05(土) 06:36:57.71 ID:bepLrLFi
>>737
そうそう、放置子と普通の子には、野生の狼と室内犬くらいの、雰囲気や空気感に差がある。




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邦楽J−POPでの日本語歌詞の優劣

2019-04-30 20:40:50 | 文章・日本語・言葉
日本語の美しさとは何であるか、と考える時、それは海外のそれと比較すると、その言語上での共通する感受性が分かる。


イギリス「これは凄い!」英国人少女がお~いお茶新俳句大賞で海外初の受賞について

http://toshi910.xsrv.jp/kaigai/2017/09/03/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%80%8C%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%AF%E5%87%84%E3%81%84%EF%BC%81%E3%80%8D%E8%8B%B1%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%81%8C%E3%81%8A%EF%BD%9E%E3%81%84%E3%81%8A/

伊藤園が主宰する「第二十八回伊藤園お~いお茶新俳句大賞」にて、過去最多の18,248句の応募句数となった「英語俳句の部」において、イギリス在住で日本文化の学習プログラムを取り入れているパブリック・スクール ウィクリフに在学しているGracie Starkey(グレーシー・スターキー)さん(13歳)が選ばれました。
英語俳句の部では、海外からの外国人応募者として初めての受賞となったということで、これをイギリス紙が報じていました。

記事では

・彼女が帝国ホテルの会場に入ると20人以上のカメラマンに写真を撮られて驚いたこと。
・この受賞で東京旅行と賞金を獲得したことに加え、”お~いお茶”のボトルにこの俳句が載ること。
・受賞スピーチでは日本語で自己紹介して、あとは日本語の先生に通訳してもらって話をしたこと。
・彼女はこれまで詩にあまり興味はなかったが、これがより詩と日本文化に興味を持つきっかけになると語ったこと。

などを伝えています。

グレーシーさんの俳句がこちら

【英語俳句の部】 応募総数 18,248句

freshly mown grass
clinging to my shoes
my muddled thoughts
            (訳)刈りたての芝生が/靴にくっつく/まとまらない私の考え


と言うことで、俳句が諸外国に紹介される時(シンプソンズが日本旅行に来た時での、まだまともな描写だったフェーズ時の説明のように)、


英語俳句の作り方
http://st.japantimes.co.jp/st_haiku_howto.htm

(1) 簡潔 性を追求すること、(2) できるだけ季 節感を大切にすること、(3) できるだ け5―7―5音節で書くこと、(4) 一 句の中に「切れ(字)」(や、かな、けり) を入れること、(5) 考えや思想や概念 よりも、物を提示する詩にすること、 (6) 説明文や散文にならないように気 を付けること、です。


と言う風に説明される。

簡単に言えば、自分の心情と、周囲の情景をフレーズに盛り込むことで、神の視点と自分の視点が一致した詩での、その純情たるスナップショットの切り抜きができるというのが俳句の醍醐味でもあるように思う。

さて、そんな日本語は俳句の他にもジャンルを超えて存在しないのかというと、実はある。J−POPである。
あまり音楽を聞かない私の意見だが、基本的に90年代以降の日本の歌謡曲には私の個人的実感として半分以上が意味の無い歌詞になっている。
抽象度を上げ、誰にでも適用できるような歌詞にしているようなのだが、ちょっとそれがいきすぎると「良い意味にも悪い意味にも取れる」と言う曲があるらしい。これは一体何を言いたいんだ? 

さて、そんな中、ザ・ハイロウズの「青春」が「俳句における心情と情景のスナップショットを切り出す」と言うこの究極の真骨頂を叩き出しており、ヒメリンゴの下りは、そこだけ普通に読めば、だからなんだ的な話だが、個人の心情とその時の純粋な風景が素晴らしく沸き起こるものである。

惜しかったのがTHE YELLOW MONKEYでの曲たちで、メロディが物凄くいいし、歌詞もそれなりに合っているが、しかし真島昌利の究極の形と比較すると、どうしても何らかの不足が見えてしまう。

例えば、「土砂降りの痛みの中を傘もささず走っていく」と
「雨の中を傘もささずに走るのは」を比較するとどうしても前者が輝き、後者が霞んでしまう。

とは言え、イエモンも好きですけれどもね。
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分類の哲学 分類について我々はどのように考えるべきなのか

2019-04-30 13:11:24 | 哲学・社会
次に挙げる内容は、私の個人的な意見であり、既存に存在する哲理的体系のまとめではないため、他の方の意見と合致しないことがあるので、これをご注意頂きたい。
また、今回の件は即時には役に立たない。よくある見解は、具体的な例示をすることで即時こうしたらいいという分かりやすい考えを提供するもので考える必要がない。
一方、哲理的な抽象における考え方は少々難解で、とある思考の類型や雛形・金型を用意した後に、そこに具体的現実を落とし込んで解決を図るものだが、今回は更にその奥の段階、抽象の抽象を考えるが、できるだけ分かりやすく説明していきたい。

さて、分類であるが、我々は日々に過ごして「分類」と言うものに悩まないで生きていられるが、しかし時たま困ることがある。

この小さいネジ一個は、ネジ箱の中のどこにしまえばいいか、台所にある香辛料はどういう風に並べればいいか? レシート管理はどのように整理しておけばいいのか、仕事で共有フォルダーをサーバーに作ったが、仕事を進めていく上で分類や階層分けをしていくのに、どのようにフォルダーを作っていけばいいのか。これはどのように箱や袋・置き場所を分けたり、あるいは箱の中の箱、袋の中の袋と行ったように階層分けについても悩むことがある。
この海洋生物はどのようにカテゴリーを分けるべきなのか、この動物は、この菌は、この植物は・・・
あるいは何年度の就職活動生の履歴書はどこに入れるべきか、この患者の新緑記録を書いた紙はどこにどのようにしまうべきか・・・

結論から言ってしまえば、私個人が観測するに、分類や階層分けの手法において「どのように分類分けや階層分けをすべきか」と言う方法論で、現実の類例に共通するものを見出すのは難しい(具体例も提示できるがそれは後述する)。
それはなぜかというと、我々が分類分けや階層分けをする際に求める目標というのは、各種の世界ごとに「雑多かつ大量に集まったものを、ある程度の単位で仕分けをして整理をしておけば、次の再利用に利便性が見込める」と言う理由があるからである。

例えば裁縫をあまりやったことがない人が、破れたYシャツを縫うのに縫い針を二本買ってきた場合は分類と階層分けの必要がないが、キルトを縫う人で、縫い針を大量に持っている人は、縫い針・待ち針などの種類ごと、もっと行けば長さに応じて管理していたり、あるいは錆びた針を仕分けておく箱も用意しておくべきかもしれない。

あるいは工具箱に雑多に入れているよりかは、ナット・ボルトは種類ごと・大きさごとに分けていた方が断然使いやすいし、無駄もない。紛失も防げる。

分類分け・階層分けと言うのは、その世界においての、利便的な再利用性のある次回の動作、あるいは全体的な動作に作用する形で設計すべきであって、その世界で何を求めているのか、そしてそれの体系を再利用する時にどのようにすれば利便性があるかを考えなければならない。

大根やじゃがいもを出荷する時に、破損や病気の有無を選定してから、形や大きさ別に仕分けると言うのは、そうした方法論があるべきとして決定しているのではなく、市場に「大きさ別に買いたい」という需要があり、出荷の際にその作業が求められているからだ。

これはITでのプロジェクトでも同様で、プロジェクトごとに似たような需要の類型はあるだろうけれども、あちらのお客様はこれを求めていて、こちらのお客様はこういうことを求めている、と言う差異がある。
そのために、各社のプロジェクトフォルダには、それぞれなかった個別対応のフォルダを新しく作成することもあるだろう。

現実的な類例を提示するとすれば、例えば、企業などでプロジェクトをするにあたってフォルダを作る、あるいは予算配分をするということになった場合、「構成人員別」にフォルダや予算を切ったり、あるいは「対応時期別」にフォルダ・予算を切ったり、あるいは他にも色々あるだろう。
言葉を濁してしまったが、私個人がここで例示を提示し続けるのはやめたい。
何も分類や階層分けというのは、人員別・時間別に限らず、もっと他の応用例があるはずで、「整理して分類・分割・階層分けを行ったら、将来的に管理が楽になる」「効率的な体系の確立ができ、我々が認識する樹形図の派生をどのようにすべきか考えるべきである」と言うのが今回のお題であるからだ。

イチゴを分類する時、学術的には「果菜」カテゴリーで、厳密には「果物」には入らない。
一方で、ケーキ屋などでは「フルーツ」に分類してヒトコマとして入れてしまった方が、扱いが効率的になるだろう。
美術での静物画の対象では、「赤い食べ物」と言う分類の方が格段に楽になる(そういう抽象画はないかな? )。

愛と恋とは何かな? と問いを立てた時、それは単なるホルモンの分泌による脳での化学反応です、あるいは人類がその継続的な種の保存に必要としている人間の本能です、と言うよりも、人間自身が人間自身に対して持つべき美徳と律すべき背徳である、と言った方が、人間側から見ればしっくりきたり、そちらの方が人間自身における自分自身の行動を考える上で役に立ったりする。

どのように分類や階層分けをすれば、科学的再起認識によっての分類もあるべきであるが、しかしそれ自体も人間の認識という範疇からも脱することはできず、その後の活動性に一番良い効率を与えられるか、と言うことがまず第一に存在し、その現実的実装として分類と階層分けが存在する。

つまり、世界がどうあるべきと言うことを科学的に分類するもの正解であるが、まず我々の世俗的功利での認識ありきで分類を規定しても良い。

なので、「どのように分類や階層分けをすべきか? 」と悩んだ時には、「市場需要や、求められている要求、達成したいプロセスや、消化すべき課題を、主観によって良いので大分類ごとに分け」「分類ごとに時期別、チーム別で当たれるように工夫をし」「然るべき現状から求められる要求・行動・課題を振り分けて」分類・階層分けをすべきである、と言うことになる。
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水ダウ先生モノマネについて

2019-04-29 00:43:09 | 雑感
みんなね、あの番組は普通に見ているけどね、あのレベルのモノマネ芸人を生で見るっていうのは本当贅沢なんだってことを理解しなければいけない。

ものまねショーパブに入り浸って(? )いた私としては、あの水ダウの先生モノマネは本当凄いことなんだと思うんですよ。

ちなみにそのショーパブは、ホリさん、ブレイクする前のはなわさん、みはるさん、お亡くなりになってしまいましたが前田健さんなどがいらっしゃいました。本当面白かった。


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「〇〇っぽい」「〇〇らしい」と言う言葉を言われることの忌避感

2019-04-28 23:43:10 | 雑感
個人の意見による個人的雑感。
本当に冗長すぎる文章で、要点が掴めないが、とにかく書き出す。

日常で通常の感覚で使用される言葉の中でも、私が言われて嫌な言葉がある。
それが「〇〇っぽい」「〇〇らしい」である。
〇〇には私の名前が入る。

例えば、私が服を買ったら「あー色合いが〇〇っぽい」だとか「色が〇〇らしい」などと言われる。

いやね、ヘビメタだとかとびきり変な服装に関しての感想を求められて、そういうのにコメントを求められて、窮してこういう答えを出しました、と言うような苦しき紛れに言うシチュエーションでの使用だとかであるならば、まだ話は分かるんですよ。
これだけは自分自身で自分自身のことを言うのですが、私はそんなに変な格好をしている訳ではないと思うのです。
(一応全部無地で、衣料量販店の安いものを買ってきていて、極普通のレベルだ)。

そこへ来て、私の服装の話題になった時、「あー色合いが〇〇っぽい」だとか「色が〇〇らしい」などとは一体何なのか。
これを読む人にはニュアンスが分からないと思うのですが、もうこれを言われたら微量のストレスがたまるたまる。
なぜ嫌なのか、今まで自分自身で理由を明確にして来なかったのだが、あえてそれを今回は書き出していく。

まず、会話中でのこの「あー色合いが〇〇っぽい」だとか「色が〇〇らしい」と言うセリフは、YOUメッセージである。
このYOUメッセージと言うのは、Iメッセージと対で説明がなされる「言い方の類型」のことである。
Iメッセージと言うのは、「私はあなたのことを○○だと思う」と言う言い方である。
YOUメッセージと言うのは、「あなたは〇〇ですね」と言う言い方である。
両者は似ているが非なるもので、前者は反論ができるのに対し、後者は反論ができない(仮にできたとしてもしにくい)。

YOUメッセージは隠れた主語に「世間は」と言うものがあるか、あるいは「世間から見たら」と言う言葉で補強されている。
つまりは一般論としてあなたはこうだから、と言うメッセージが隠されている。

例えばハゲの人に対して、
「私はあなたのことをハゲだと思う」と言われた時と、
「あなたはハゲですね」と言われた時でどういう反応になるか。

前者だと「なんて失礼な人なんだ」と怒ることもできるが、
後者の場合はただ本人が傷つくだけである。
このような形で反論ができない。

上記の言葉を整理すれば、「あなたの色のイメージは世間的に見ればこういう色なのね」と言う反論できない形で暗に言われていることになる。

これだけだったら別に服の色をどうこう言われたからって気にすることはないんじゃないの? と思われるかもしれない。
その通りだ。だが、これの詳細は後程書くことにして、次の点を説明したい。

YOU言葉で言われた場合、どうなるかというと、そのばその場で自分自身が相手に対し、「あなたはこの枠で生きているのよね」と言う意味合いで規定されてしまう。
なぜ相手がそのような社会認識上を差配するような権限を持っているのだろうか。
いや本当は持ってなどいないはずなのだが、この言い方で、会話上において自然に評価上のマウントを取られるのである。

いつの間にか相手を暗に評価して、枠におさめ、そして行動さえコントロールしてしまいそうなこの言い方に若干の気持ち悪さを感じる。
そして相手が悪意がなく使っていそうという現状についても気味が悪い。
是正は困難であり、極力近づきたくない。

私は元々血液型は■型なのだが、幼少の頃からこの血液型にコンプレックスを持っていた。
私はなんらかのことができなかったタイミングで「〇〇は■型だからねー」と言われていたので、■型の人間は全てダメ人間の集合であるという認識で固まっていたのである。

そこに転機が訪れる。2006年4月から5月と、僅か二ヶ月間だけ仕事でお付き合いしたSさんという方がいる。
この人は広島県出身でバドミントン経験者、英語が苦手でゲームボーイを絶賛していて、三面型の歯磨きが出ないかとちょっとおもしろいことを言っていて、あるいはスケジュール帳はいずれPDAに統合されるという未来を予見していた人だった(その当時は誰もが「スケジュール帳は紙から離れられないだろう」と言うことを言っていたが、形を変えて見事スマホに移行した)。
この人の特徴を更に言うと、血液型は私と同じ■型だったが、しかし自信家であるか否かについては、生来的に自信を喪失している私と正反対で、健全な自信を自分に持っていたのである。

天地がひっくり返るほど、と言うのは言い過ぎだが、しかしその当時の私にとっては、本当に本当のカルチャーショックが訪れたことを書かなければならない。■型ってダメ人間の集合なんじゃないのか? なんでこんな人がいるんだ? と
しかもこのSさんが言うところには、「俺は■型だからこれができる」と自分の血液型そのものを自信の論拠にしさえしていたりした。
私と正反対だ。なぜこのようなことが起こったのか? いや、私がそもそも■型だからという理由で自信を失っていた理由は一体なんであったのだろう。

その原因が、幼少から常々「〇〇は■型だからねー」と言われて育った私が原因であることに間違いはない。

この言い方は実にグロテスクだ。反論を許さないし、世間的には攻撃でもなんでもないのだが、しかし人の人生を破壊し、当の言った本人は罪を問われないし、罪を犯していると言う自意識もない。

冒頭の「〇〇っぽい」「〇〇らしい」に戻ろう。
この「〇〇っぽい」「〇〇らしい」と言う言葉は、上述のような人の人生を破壊する、グロテスクなYOUメッセージを、微量に含んでいるにおいがする。明確ではなく、目には見えないレベルで、人を規定し、枠の中に閉じ込め、そしてあまつさえは人の人生を悪い方へいざなう危険性がある。
そしてそれを訴えようとも、この微妙な感覚を会話の短時間内で伝えることはできないし、真剣に受け止めようともしないだろう。理解もされないだろう。

だから明確ではないが、しかし確実に存在する人を破壊たらしめる微量の毒薬への忌避感もあって、私は微量のストレスを感じ、それが永続的に貯まることに苛立ちを覚えるのです。

とにもかくにも気持ちが悪い。

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