silly ski squadronスキー雑記

バカなスキー集団。スキーならなんでもやります京都方面本部。
突撃我ニ続ケ!!

何スキーヤー?

2005年03月08日 11時35分11秒 | スキー
ブログ始めたところだから自分スキー史のまとめ。うわ~、自分史みたいで感じ悪い。

小学校2年に京都市民らしく比叡山(もうない)にはじめてのスキーに父親に連れていって貰う。特に亡父はスキーヤーではない(熱狂的なスポーツカーマニアではあったが)。

小学校3年より母に連れられて、これ以降毎正月と3月に10~14日ずつ志賀高原に通うことになる。
宿舎は今はなき志賀高原ホテル。まだ終戦のなごりある進駐軍ご用達ホテルで正月などは客の70%は白人系スキーヤーという年もあった。ほぼ毎日SAJのプライベートレッスン受けてましたが、小学生だったので長期間の遊び相手というかそんな感じで母は預けていたんだと思います。スクールなんですがホテル専属のスクールで今やめっきりそういうのは少なくなって、赤倉観光ホテルでは現存しています。
写真はその頃のもの。多分東館山。フォトショップで加工しなくても勝手にセピアになってるし。

大学に入ってからは当然のようにスキー部に。競技スキー開始。正確には高校の時、大阪の高体連の大会に出ているのではじめてではないのですけれども。
まあ田舎の医科大学のスキー部なんて最初その体をなしていなくて、2年には早くも主将させられたり、でもその時からちゃんと夏の立山合宿、正月を挟み込んだ合宿、春休み合宿と西日本医科大学総合体育大会冬季大会にはじめて当校がエントリー。
忙しくも面白い時期でした。この頃滑走日数が年間70日をオーバー。学生ならではですね。

結婚してからもたま~に大会等出ていましたが、年間滑走日数10日程度の年もありました。
すぐ子供が出来たので、早くスキーヤーに仕上げて好きに自分が滑れるよう、1才の終わりにスキー場に連れていきましたがさすがにまだ板は履けず(笑)、2才の終わりからそれらしきものを履かせ、3才からまともなスキーブーツと板で滑らせはじめました。
おかげで早く独り立ち出来るようになった。作戦成功(笑)。つうかモーグルの道に連れ込んだんで高校生になったら抜かれてしまいましたが。うーむ。

それはともかく約15年前。ダイナランドでコブを縦に見たこともないスタイルで降りてくるスキーヤーに遭遇。これがモーグルとの出会いでした。
その時は、なんとなくスキーヤーだったし、ちょっとダレかけてたんですがおおこれ面白そうということでコブをしてみようという気になりました。

で、その後K2のエクストリーム何とかと言うスキーを購入。今まではSL板や、GS板ばっかりだったので思い切った方向変換です。
どちらかと言うと整地スキーヤーだったのではじめはかなりコブに苦しめられましたが面白いのなんのって。
草大会にも出たりして一時はコブしか滑ってなかったですね。

ま、その内カービングスキーなるものが出てきて、これもまた面白い。
で、今度はファットスキーなるものが出てきて、これもまた面白い。

■結語■

結局、僕は何スキーヤーと言うカテゴリアには当てはまらなかった。その時々はレーサーだったりモーグラーだったりしたけど。
中途半端と言えば中途半端なのかも知れないが、板を使って遊んでそれを厳密に区分する必要なんてないだろうと思います。
なので僕は、ただのスキーヤーということで終了。今は便利な言葉があるからそれを使うと“広義の”フリーライドスキーヤーでしょう。狭義だと巨大なキッカーやパイプでくるくる回らなきゃならないからー。無理ぃー(笑)。

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