silly ski squadronスキー雑記

バカなスキー集団。スキーならなんでもやります京都方面本部。
突撃我ニ続ケ!!

体軸のはなし

2010年03月02日 19時15分20秒 | スキーテクニック編
興味深いコメントを頂きましたので、スキーに於ける一軸と二軸に関して考えてみたいと思います。

私自身、一軸・二軸という言葉を曖昧に使っていましたので再検証というところです。
スキーや(たぶん。やったことがないですが)ゴルフなどは大変蘊蓄の多い身近な運動だと思いますので、ああでもないこうでもないと検証するのも楽しみのひとつでしょうか。
もともとこのブログは防備録+自分がうまくなるにはどうしたらいいのだろう?
また人の滑りはどんなヒントをくれるのだろう?などというところから出発していますので本来的でもあります。
ブログ開始当初は、かなり厳密に言葉を選んでいましたが、最近はいわゆる『スキー界の業界用語』を余り考えもせず書いていたのを反省させられます。
ただ、、、言葉に厳密であるということは即ち、他に言い換えの効かない、予断を許さないことでもありますので場合によっては、それ専用のみの言葉ということにもなりかねません。
いわゆる専門用語ですね。なので難解にならざるを得なくなる時もあります。
政治家が好んで使うコンセンサスとかスキーム言った外来語とはちょっと違う。これらは単なる言い換えに過ぎません。
同業者間の隠語や略語とも違う。
好例として揚棄という言葉があります。Webで調べれば分かりますがドイツ語のAufhebenのことですが、いかように探しても日本語の中にAufhebenに対応する言葉がない。
では、そのAufhebenの意味である『対立する事象をいったん破棄してから、更に高度な段階へ導く』というものをどう現そうか?と日本の哲学者は考え、それが揚棄という言葉になって定着したようです。
もちろん哲学などの人文科学系のみではなく、自然科学系にもあちこちにそういう日本語は存在する。
というよりも“予断を許すような”言葉を使うと人によって理解が異なってしまう。哲学は科学の根源になる学問ですから非常に言葉に厳密です。
自然科学系の身近な例では、たとえば糖尿病です。この言葉のみを見ると尿に糖が出るのだなあと漠然と考える。
しかし診断基準が決まっていて、それから外れると糖尿病とは呼ばない。また人文科学系学問と同様に自然科学系学問も年々研究がなされていて、その基準が見直されたり新たな言葉や医学に於いては病名が作られたりする。
一時期『糖尿病』という呼称を捨ててもっと医学的に厳密な『高血糖症』としようという動きがありましたが結局メジャーになり得なかった。
言葉の力というのは凄いなあと思うのです。

すごく話が逸れてしまいました!
なにが言いたいかはだいたい分かって頂いたと思います。
世のスポーツの中には一軸、二軸と呼ばれている用語があるが、それはとても曖昧なもので誤解を生じやすいということです。
それでも敢えてスキーに於ける一軸二軸とは何か?を考えてみます。
私はSAJやSIAのインストラクターでも何でもないので教程に捕らわれないで自由に考えてみます。逆に言えば生徒としては学んでいますがスキー教師としての系統だったスキー学は学んでいないということにもなります。
この差はけっこうあると思います。正式なスキー教師トレーニングを受けていないと(即ちSAJやSIAのインストラクター資格がない)自分に合った感覚だけの意見を言ってしまいがちです。そのへんの“教え魔”にならないように注意すべきだと思っています。
では『スキー界の業界用語』を使うことをご容赦下さい。
今回は軸は軸でも『体軸』の話です。
SAJでは両脚部。。。脚部。。。こういう言葉もさらっと流せなくなってきました(笑)。はい、ソケイ部からつま先のことですね。
でも大切なことなんです。学ぼうとする人間のその言葉に対する認識がまちまちであると本来的な意味が伝達されない。
また話が逸れました。
ええとSAJでは一軸、二軸というのは体軸のことのみではなく、脚部の動きをも言っているよう?なのです。
下へ滑り降りる際に、脊椎がフォールラインに向かって右・左へ移動することなくアンギュレーション(ビッサージュ、逆ヒネリ)を使って外足主導でターンをするのが一軸な滑り。
対して脊椎がフォールラインをまたいで左右に動く感じでしょうか。それをするために内足の動きも使えということらしい。
スタンスで言えば閉脚と開脚と考えればいいのかなあと思います。それだと二軸のための方法論になりますか。
しかしそんな単純なものではないことは皆さんご存じですよねえ。
だいたい横滑り→ピボットでスキー板の方向を変える→反対側の横滑り、という滑りをターンと認めていないフシがあるのでそれもどうなのかな?と思います。
ピボットと言いましても、スキーブーツを中心に回りつつもスキーは落下をしているわけですから非常に小さなターン弧を描くことになります。
SIAにしても、言っていることはそう変わらないように思います。
どうやら現代日本の基礎スキーは二軸でアグレッシブに滑るのが流行のようです。
でもまあ。。。いわんとすることは分かります。現代スキーの強いサイドカーブを利用しながら正しく板を踏んでターンをすると、いわゆる“スキー板が走る”状況になります。
でもですよ、むかしのスキー板でもそれはあった。なので完全に一軸、二軸と別けて考えてしまうのはどうかなあと思うのです。
重心がフォールラインに対して比較的まっすぐなまま落ちてゆくVS完全に左右に重心が移動するかはデモンストレーションとしては分かりますが、ふつうはその間を適当に使いながら滑るものだと思います。

ところでわたしたちの仲間内で使っている一軸、二軸は非常に単純なもので、フォールラインから重心(主にそれはトルソー=胴体部分)が外れずに降りてくるのを一軸的、左右にトルソーが移動しながら降りてくるのを二軸的と呼んでいるだけです。
なので『縦に攻めている』のと一軸がほぼイコールです。
モーグル系では確かにウェイトをシフトする、という言葉を使っていた場合もありますがこれは多分、、、ですが板から重心を外さないために板とともに自分から外向傾を作って板を踏んでゆこうという表現法かな?と思います。身体と板が一緒に落ちてゆく感覚を積極的にしたもの。
そうなるとこれは二軸ですか。。。。。ね。
しかし筋力があり技術も伴うと2010年1月18日エントリーのNori氏のように徐々にその動きは見られなくなり、トルソーは左右にぶれない→一軸的と言えると思います。
なので2010年2月23日のエントリーの右のスキーヤーはモーグル的な一軸のラインを取りながらも、しっかり二軸の時のように回し込んでいると言えましょうか。言い換えるとモーグルラインを基礎の回し込みを使って器用に滑っている。
非常に弧の小さな円形デラパージュ(スキーの面だけで丸くずらし回す)です。

以上より、まったく自分としても一軸と二軸がモーグル系と基礎系でごっちゃになっていることが判明しました。
まだしばらく雪の上で悩ませて下さいまし。
しろうとなのに文章でスキーの感覚を表そうという無謀な試みは続きます。

※調べてみると他のスポーツ(と言いますか身体を使うこと殆どすべて)でも、この軸の話はよく出ているようです。
最近流行っているらしい『ナンバ歩き』と体軸の関連も関係者に訊ねてみようと思っています。
そう言えば。。。私とパートナーが冗談で“やるのかぁ~!?”と格闘の構えで向かい合ったら、二人とも右手が利き手なのに、右手右足が前、とお互いが気づきびっくりしたのを思い出しました(ボクシングだと逆ですね)。
私は中国武術をずいぶん前に8年ほどだけやっていた時期があり、彼女は居合と杖術の現役有段者なので偶然そういうことになってしまった。
また話が逸れまくって申し訳ないのですが、中国武術でも北方系は割と順歩、南方系は拗歩が多いような印象でした。
最後に習ったコンタクト系はほとんどの人が最初の構えは右構え(ナンバ)でした。
打撃系武術の究極的目標は、いかに強い力を相手に与えるか?ということだと思います。そこに辿り着くのにいろんな力の出し方や歩法などがあって、それぞれ空手や、拳法の流派が手段を模索しているのだなあ、スキーもたぶん同じなんだなぁと考えつつ、今日は本題から外れっぱなしで終わります。

コメント (2)
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