ボイシー日記

手がふさがっていては、新しいものは掴めない。

幻を見る、萩原朔太郎「猫町」。

2011-10-10 19:07:33 | 
初めて訪れる場所へ行くときは、
帰りの道順を間違えないように
時々交差点などで元来た道を振り返って
風景を確認することがある。

先日読んだ萩原朔太郎の小説「猫町」に、
町を逆の方向から見ると
違った見え方をするというのがあり、
そうそう!と共感した。

南はずれにあったはずのポストが、
反対の北のはずれに立っている。
北へ向かって歩いていた自分が
南へ向かって歩いている。
磁石の針がくるりと廻って逆空間が見え始める。
町には「反対の顔」があり、
隠された「秘密の裏側」を持っている。
何事にもダークサイドがあり、
逆にそのほうがわくわくすることもある。

話はさらに発展して、
主人公の「私」は、北陸のある地方を旅する。
胎内めぐりのような道を通って、ある美しい町へ着く。
町は群衆がいるのに静まりかえっている。
町全体が繊細な神経を張り巡らしているようで
次第に漠然とした恐怖を感じるようになる。
と、突然、猫、猫、猫、猫…の「猫の町」に一変する。
一瞬にして幻が現れ、やがて消滅し、
気がつくと平凡な田舎町に戻っている。。。

すばらしい白日夢。
こんな猫だらけの町だったら、
幻でいいからオイラも見てみたい。
たしかジブリでも、猫の世界に迷い込む
映画かなんかがあったような。。
しかし落ち着くと、こんな幻想も、
三半規管の疾病によるものだと気がつく。

その時代、三半規管がブームだったのか?
「猫町」は昭和10年出版。
その10年ほど前の大正14年には
詩人・北川冬彦が「三半規管喪失」という
詩・詩集を出版している。
もしかして、北川冬彦の「三半規管喪失」に
インスパイアされてつくったのか、萩原朔太郎は?

しかし、三半規管の疾病だけで幻覚体験をするものだろうか。
目眩とか、身体のバランス感覚が悪くなってふらつく程度で
幻覚まで果たして見るものだろうか。。。
と、アラ探しをしてしまった。
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