ボイシー日記

手がふさがっていては、新しいものは掴めない。

「失われた時を求めて」を最後まで。

2020-09-12 08:34:30 | 
海外小説の最高峰、
マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」を
とりあえず最後まで読みました。

光文社古典新訳文庫、高遠弘美訳の1〜6で
「ゲルマントのほうⅡ」まで読み、
その先はまだ訳が進んでないので
集英社の鈴木道彦訳=抄訳版を図書館から借りて読みました。
途中、難解な文章で分からないところがありながらも
最後まで行ってみました。。

主人公が紅茶に浸して食べたマドレーヌの味に
少年時代からの記憶が蘇るという
あまりにも有名なプロローグから物語は始まります。
(といっても、その件がでるまで120ページほどある。
そこまでに挫折することもあるようです、、)
とにかく記憶量?と様々な分野の知識が膨大。

堀辰雄が、神西清に宛てた手紙の中に
「プルーストの小説は他の作家のものが
すべて時や分を記述するのとは異なり、
秒を記述している」とあるように。

貴族が集まるサロンの様子や交流する人の様子が詳細に描かれて
建築、絵画、音楽、文学など芸術全般や、ユダヤ人を陥れたドレフュス事件、
(当時からユダヤ人問題があった)
果ては、あまり語ることができなかった同性愛、ソドムとゴモラについても。

とくに好きなシーンは海辺のリゾート地、架空のバルベックでの日々。
といっても舞台はカブール。そこにグラン・オテルも実在する。
少女たちが自転車で登場するシーン、アルベルチーヌとの出会いなど、
わくわくしました。

最後は、年老いた主人公が、昔出入りしていたゲルマント家からの
マチネ=午後の集いの招待状を受け取り、
出掛けていくがそこは老人ばかり。
しかし、そこで自分の生きてきた時間の価値に気付き
一冊の本に仕上げようと決意する。
時間は過ぎ去ったのではなく
自分の中に積もっていた。

−−− 生きてきた時間は失われたのではなく
自分のあとについていて私を支え、
その目も眩むような頂に立っているのだ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 猫が遊んでくれません。 | トップ | 高嶺山の星見。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事