武田泰淳の「富士」を読んだ。
時代は戦時下、富士山麓にある精神病院を舞台にした話だ。
精神科医師の実習生として働く大島の視点から語られており、
多くの精神患者たちと話しているうちに、
本当に異常なのは、医師側なのか、
患者側なのかわからなくなるような展開になる。
たとえば、自分は「宮様」だと言う虚言症患者の一条実実は、
精神科の医者を養っているのは、患者なのだ、
患者がいなければ医師は成り立たない、みたいなことを言っている。
ほかにも、読んでいくうちになるほどと思うことが多く
固定観念を揺さぶられる一冊だった。
さらに時代ごと、あるいは国ごと、
正常と異常が逆転してしまうことがある。
戦時下という状況では、自分たちを異常だとは思えなくなる。
日本中が精神病になっていた、
そんなことも感じさせる内容だった。
そして、本題の話もそうだが、
最初と最後の章では、「神の餌」「神の指」という話がある。
「神の餌」では、神は餌を与えることで支配できるとし、
最後の「神の指」では、医師は神にはなれないが、
「神の指」となり、神の真似をしている。
神の代理人というわけだ。
クスリという「餌」をまいて、神様の真似をして
患者を支配している。
いまでいえば、抗鬱剤の売上が伸びるのと比例して
鬱で悩む患者の数が増加していることが、そうかもしれない。
鬱病患者が増えたから、クスリの売上が伸びたのか。
クスリの売上が伸びたから、鬱病患者が増えたのか。
昔も、精神衰弱とかで悩んでいた人はいたと思うが、
いまほど鬱で悩んでいた人はいなかったと思う。
ストレス社会ということもあるが、
病院側も心療内科といってハードルを下げて
患者がくればすぐクスリを処方する。
それほど重症でない人も、クスリ漬けにされてしまう。
ところで、あとから振り返って、
あの時は異常だったなと思うことがある。
その時は、視野が狭くなって、
目の前のことをやらなければと必死なのだが。。
とにかく、忙しかったりすると平静を保てず異常になる。
でもそれは、あとで振り返ったときにはじめて気がつく。
時代は戦時下、富士山麓にある精神病院を舞台にした話だ。
精神科医師の実習生として働く大島の視点から語られており、
多くの精神患者たちと話しているうちに、
本当に異常なのは、医師側なのか、
患者側なのかわからなくなるような展開になる。
たとえば、自分は「宮様」だと言う虚言症患者の一条実実は、
精神科の医者を養っているのは、患者なのだ、
患者がいなければ医師は成り立たない、みたいなことを言っている。
ほかにも、読んでいくうちになるほどと思うことが多く
固定観念を揺さぶられる一冊だった。
さらに時代ごと、あるいは国ごと、
正常と異常が逆転してしまうことがある。
戦時下という状況では、自分たちを異常だとは思えなくなる。
日本中が精神病になっていた、
そんなことも感じさせる内容だった。
そして、本題の話もそうだが、
最初と最後の章では、「神の餌」「神の指」という話がある。
「神の餌」では、神は餌を与えることで支配できるとし、
最後の「神の指」では、医師は神にはなれないが、
「神の指」となり、神の真似をしている。
神の代理人というわけだ。
クスリという「餌」をまいて、神様の真似をして
患者を支配している。
いまでいえば、抗鬱剤の売上が伸びるのと比例して
鬱で悩む患者の数が増加していることが、そうかもしれない。
鬱病患者が増えたから、クスリの売上が伸びたのか。
クスリの売上が伸びたから、鬱病患者が増えたのか。
昔も、精神衰弱とかで悩んでいた人はいたと思うが、
いまほど鬱で悩んでいた人はいなかったと思う。
ストレス社会ということもあるが、
病院側も心療内科といってハードルを下げて
患者がくればすぐクスリを処方する。
それほど重症でない人も、クスリ漬けにされてしまう。
ところで、あとから振り返って、
あの時は異常だったなと思うことがある。
その時は、視野が狭くなって、
目の前のことをやらなければと必死なのだが。。
とにかく、忙しかったりすると平静を保てず異常になる。
でもそれは、あとで振り返ったときにはじめて気がつく。
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