ボイシー日記

手がふさがっていては、新しいものは掴めない。

北八ヶ岳、白樺湖、霧ヶ峰、諏訪の旅。

2014-08-19 13:55:55 | 山・高原・渓谷
8月17、18日は、まえに天龍村の
遊歩道コースを歩いた同窓生メンバー3人で
北八ヶ岳から白樺湖、諏訪周辺の旅へ行ってきました。

はじめ、小淵沢の駅で待ち合わせをして
サントリーの白州蒸留所を見学する予定でしたが
3時間待ちということで、キャンセル。

国道20号をUターンして、原村を抜けて、北八ヶ岳へ。
ロープウェイで山頂まで登ると、あたり一面が霧!
遠くの山まで見渡すことはできませんでしたが
白く神秘的な雰囲気で、
それはそれで、またいい感じでした。

山頂付近には「坪庭」と呼ばれる
日本人好みの箱庭というか枯山水の世界が広がり、
大きな盆栽の中にいるようでした。
そこをしばらく歩いたあと白樺湖へ。

早めに白樺湖ビューホテルに着き、ひと休みした後、
食べ放題、飲み放題のバイキングへ。
税別7800円というバイキング夕食プランに誘われて
みんな来ているのか、
レストランがオープンする前から
扉の前に行列ができていました。
食べ物は、そこそこおいしかったです。


2日目は、二人は諏訪のゴルフ場へ。
オイラは、そんなリッチな生活をしていないので
二人を車で送ったあと、
諏訪から霧ヶ峰あたりをドライブしてました。

諏訪に来たら諏訪大社、ということで上社本宮へ。
ここは、全国の諏訪神社の総本社。
鳥居をくぐるとすぐ一の御柱が立っています。
ぐるりと一周してそこそこにお参りをし、
上諏訪の美しい高島城へ。

ここは1592年築城。
ということは、武田信玄が没したのは1573年、
武田勝頼が没したのは1582年だから
その10年後ということになる。
どうも、このあたり歴史がわかりにくい。。

武田信玄によって切腹となった
諏訪頼重は、諏訪氏の宗家。
ここで諏訪氏の宗家は滅亡したけど、
その従兄弟の諏訪頼忠が
諏訪神社の神官として生き残り、
武田家滅亡のあとに、諏訪氏を再興。

その後、諏訪頼忠は、信濃に攻め入ってきた
徳川家康と和睦して家康の家臣となる。
頼忠は、徳川が関東に移封されると
一緒に諏訪から武蔵へ移封され、そのあとは、
信長、秀吉に仕えていた日根野高吉が
諏訪高島藩に入り高島城を築城。
しかし、日根野家も下野へ移封され、
諏訪頼忠の子・諏訪頼水が諏訪高島藩に復帰。
諏訪一族が諏訪高島藩を再び治めたことになる。
(ウィキペディア参考^^)


霧ヶ峰へ向けて山道を登っていく。
1時間ほどで着きリフトに乗って見晴らしのいい場所に。
きりがみねぇ~♪という、耳慣れた歌が聞こえてきそう。
前日よりは雲が少なく、八ヶ岳のなだらかな山麓や、
中央アルプスも望めました。
頭上では、グライダーが気持ち良さそうに
滑空していました。

霧ヶ峰の風景を堪能して八島ケ原湿原へ行くと
駐車場が満車であえなく断念。
和田峠へ出て諏訪に戻ってきました。
諏訪のデニーズでランチを食べ、
その後、前から見たいと思っていた
片倉財閥の片倉館へいったら、
どうも見学予約が必要みたいでここも断念。。

そしてゴルフ場の二人を迎えに行き、
夕方、またまた預けていた猫を迎えに
動物病院に寄り帰ってきました。

北八ヶ岳も、白樺湖も、霧ヶ峰も、
どれも、すばらしく、何度も行ってみたいと思いました。
そして、帰ってから録画しておいた
テレビ信州のゆうがたGet!を見たら、
ちょうどビーナスラインの特集をしていて、
霧ヶ峰の絶景が望めるカフェなども紹介されており
またまた、あの草原と空を見たくなりました。


遊歩道が整備されている北八ヶ岳坪庭


北八ヶ岳山頂駅の前。巨大なキツツキが・・・


霧が広がりつつある白樺湖


部屋からは湖が望めた白樺湖ビューホテル


諏訪大社上社本宮


諏訪大社上社の神紋、三本梶の葉に4本の根。下社は5本になる


“諏訪の浮城”と呼ばれた高島城


霧ヶ峰から車山方面。気持ちいい!


青い空、白い雲、緑の草原の、霧ヶ峰


霧ヶ峰から八ヶ岳山麓、茅野方面。
滑走路をグライダーが軽トラックに引かれていく


空に憧れて~♪と飛び立ったグライダー


片倉館の千人風呂。重要文化財の風呂にみんなが入りにくる


スワンボート、鴨が遊ぶ諏訪湖

コメント
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