またしても、タイトルだけは知っているが
まだ読んでいなかった本を読むシリーズ。
ということで、アンドレ・ジイドの「狭き門」を読んだ。
「力をつくして裏門より入れ・・・」じゃなく
「力をつくして狭き門より入れ」という
新約聖書の言葉からとられたタイトル。
本来の意味は、天国の救いに至る道は
困難であるということらしい。
狭き門という言葉は、よく大学入試のニュースで、
「う~ん、狭き門ですね」などというコメントを聞くが
そんな厳しい競争社会を描いた小説なのかと
思って読んだら、全然違っていた。
信仰と恋愛の板挟みに悩み、揺れる女性の心を描いている。
物語はジイド本人ともいえる主人公ジェロームと、
二つ年上の従姉アリサの恋物語。
ジェロームはアリサに恋して、アリサも彼を愛している。
(実生活でも、ジイドは従姉マドレーヌと結婚した)
そしてアリサはいつも、神の御許に近づきたいと願っている。
神の御許に近づく行為こそ、幸福なのだと思っている。
それ故、最愛のジェロームにも
神の国へ行かせてあげたいという気持ちから
自分との恋愛に終止符を打って
ジェロームがもっと「徳」を身につけて、
神の国へ行けるようにさせたいと願う。
「愛」<「徳」と考えるようになる。
自分と恋愛をしていては、彼は救われないと悩むのだ。
「主が示したもう道は狭い。二人並んでは
通れないほどに狭い道なのです。」という一文がある。
だから、天国へ続く狭き道を一人で歩いて行けるように、
彼との恋愛から身を引いて修道院にこもる。
愛するゆえに、我が身を引く。
これが敬虔なクリスチャンの生き方というのだろうか。
しかし、人生も、天国へ続く道も、
人、ひとり分しか通れない狭い道なんだなぁ。
ところでオイラは今まで、いつも楽で広き門を
くぐってきたような気がする。。。
そして、これからも。。。アヒャヒャ
そして、何度もでてくる女性のアリサという名前が
アサリに読めて、しかたなかった。。
まだ読んでいなかった本を読むシリーズ。
ということで、アンドレ・ジイドの「狭き門」を読んだ。
「力をつくして裏門より入れ・・・」じゃなく
「力をつくして狭き門より入れ」という
新約聖書の言葉からとられたタイトル。
本来の意味は、天国の救いに至る道は
困難であるということらしい。
狭き門という言葉は、よく大学入試のニュースで、
「う~ん、狭き門ですね」などというコメントを聞くが
そんな厳しい競争社会を描いた小説なのかと
思って読んだら、全然違っていた。
信仰と恋愛の板挟みに悩み、揺れる女性の心を描いている。
物語はジイド本人ともいえる主人公ジェロームと、
二つ年上の従姉アリサの恋物語。
ジェロームはアリサに恋して、アリサも彼を愛している。
(実生活でも、ジイドは従姉マドレーヌと結婚した)
そしてアリサはいつも、神の御許に近づきたいと願っている。
神の御許に近づく行為こそ、幸福なのだと思っている。
それ故、最愛のジェロームにも
神の国へ行かせてあげたいという気持ちから
自分との恋愛に終止符を打って
ジェロームがもっと「徳」を身につけて、
神の国へ行けるようにさせたいと願う。
「愛」<「徳」と考えるようになる。
自分と恋愛をしていては、彼は救われないと悩むのだ。
「主が示したもう道は狭い。二人並んでは
通れないほどに狭い道なのです。」という一文がある。
だから、天国へ続く狭き道を一人で歩いて行けるように、
彼との恋愛から身を引いて修道院にこもる。
愛するゆえに、我が身を引く。
これが敬虔なクリスチャンの生き方というのだろうか。
しかし、人生も、天国へ続く道も、
人、ひとり分しか通れない狭い道なんだなぁ。
ところでオイラは今まで、いつも楽で広き門を
くぐってきたような気がする。。。
そして、これからも。。。アヒャヒャ
そして、何度もでてくる女性のアリサという名前が
アサリに読めて、しかたなかった。。