河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

朝から心臓が止まった

2022-12-17 15:43:55 | 日記


今朝は9時までに絶対に行かなければならない所があった。
その為には、7時20分くらいに家を出なければならない。

前日から「駅探乗り換え案内」のアプリで調べて、
全て頭の中にインプットするくらい暗唱してあった。
「え~っと、家を出るのは何時で、何分の電車に乗って・・」
何か問題があってはならぬと、
夜も夢に見るくらい緊張し、身体中がガタガタと武者震いするほどだった(やや嘘)

私はいつも朝は早過ぎるくらい早起きで、4時には起きている。
しかし、、真夜中ずっと緊張しっぱなしというのは無理で維持できなかったので、
いつもより少し早く3時半に起床したんです。
いくら何でもまだ早い。
それで、整理したかった動画の編集をやったのです。
数日前から気になって編集したかった作品の編集。
かなり進歩して、何だかホッとしました。
で、時計はと見ると。まだ5時前。

机の上のパソコンの右側に、小型の目覚まし時計があるので、
それを見ては安心してたんです。
「時間は・・まだ5時前じゃんか」

その時、隣部屋の妻が起きてきて、部屋のフスマを開けこう言いました。
「そんなにゆっくりしてていいの~?」



私は一瞬、妻が何を言ってるのか、意味が分かりませんでした。
「だって、まだ5時前だろ」
その瞬間、何故かハッと我に返り、上にある壁掛け時計を見あげました。
壁掛け時計と言ったってネ、我が家のは電波時計だよ~ン。
1秒たりと狂わない電波時計だよ~ン。

秒単位で狂わない電波時計が指していたのは、
7時15分だったのです。
で・・俺が家を出なきゃならない時間は・・!
7時20分。
全身が総毛立つとは、要するにこういった事だったんですね。
髭剃り、水も付けずにジョりジョり。
寝ぐせの付いた髪の毛(多少、少な目だけど)笑うんじゃね~ぞ。
水を付けてぱたぱた。
トイレなんぞ行くヒマも無い。
服は昨夜のうちに、ある程度考えていたんで迷わなかった。
こういったトコが、俺が並みの男と違うトコなんだな、きっと。

で、その突撃時刻、7時23分なり~!
予定してた電車の時間、7時32分に余裕で乗れちゃった~。
だって、駅まで徒歩5分あればいいんだから。

俺はネ、昔から朝からバタバタするのが大嫌い。
少なくとも1時間前には起きて、余裕をかましてなけりゃダメなタイプ。
例え遅刻しそうでも絶対に走らない、歩いて行くタイプ。
なんで、朝から走ってる奴はアホだと思ってる。
私を知ってる人は、きっと私が走ってる姿は見た事がないと思います。
まあ、短距離はさほどではないけど、
長距離走はそこそこ速かったし、好きだったんですけどね。
だから、こういった状況であっても、俺は走らなかったんだよ~ン。
「俺を誰だと思ってやがんだッ!」

でもね、本音を言うと、もう心臓が止まりそうだった(泣)
たかだか1本数十円の単三乾電池くらい、新しいのを入れとけよナ。
何もよりによってこんな時に電池切れ、そりゃないだろバカ。

朝から心臓が止まっちゃんで、今、アルコールでの回復作業をやってるトコ。
もう、こんなのはマッピラだぜ・・・
アルコールでの回復作業はこよなく大好き、愛してます~。

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みかんの花咲く丘・歌碑のこと

2022-12-14 06:42:29 | 日記
3連続で「みかんの花咲く丘」の事を書きますね。
というのは、ブログを書いた後で、伊東市役所のホームページに、書き込みをしたのです。
つまり「みかんの花咲く丘の公園を造るべきだ」という要望です。

伊東市からは、提案ありがとうございます、という返答を頂きましたが、
では早速工事に取り掛かります、とはいく筈もありません。

「歌碑を訪ねて西東」というホームページがあります。
管理人は(マイク)さんという方なのですが、
日本国内の歌碑を全て訪ね歩き、その数は1700とか在るそうです。
「みかんの花咲く丘」の歌碑は、伊東の宇佐見だけかと思いきや、
何と他にも6か所あるそうです。

〇 埼玉県深谷市       富士浅間神社
〇 静岡県伊東市       ホテル聚楽中庭
〇 長野県長野市松代町    真田公園
〇 和歌山県西弁婁郡     日本童謡の園
〇 兵庫県たつの市      童謡の小径
〇 山口県熊毛郡       ふるさと詩情公園

そして、私が行った伊東市の歌碑。
全部で7か所も在るんですね。
しかし、あの歌詞をよく見ると、

➀ みかんの花が咲いている  思い出の道丘の道
  はるかに見える青い海   お船が遠くかすんでる
➁ 黒い煙をはきながら    お船はどこへ行くのでしょう
  波に揺られて島のかげ   汽笛がぼうと鳴りました
③ いつか来た丘母さんと   一緒にながめたあの島よ
  今日も一人で見ていると  やさしい母さん思われる 

みかんの花咲く丘 川田正子


つまり、海の見える丘の上が、舞台なのです。
それぞれが、何故そこに在るのかの根拠は勿論ある訳ですが、 
それが内陸であったり、ホテルの中庭・・それはないでしょう。
やはり、「みかんの花咲く丘」は、
みかん畑の中の、海が見える高台が最も相応しいのですね。
(伊東市の歌碑は、以前はみかん畑に囲まれていたようです)

伊東市に在る歌碑が最もあの歌に相応しいという事ははっきりしています。
ですが、私達が行ってみて思ったのは、
道路事情が悪く、ゆったりとした気分でそこを訪ねる事は不可能だという事。
宇佐見市街から亀石峠に向かってつづら折りの坂道を登って行くのですが、
歌碑の少し前に(この先、みかんの花咲く丘歌碑)といった看板がありました。
もしそれが無かったら見落とした可能性が大きかった。
反対に、亀石峠から宇佐見に向かって坂道を下りて来ると、
左急カーブを曲がった先の右側に在る歌碑は、ほぼ見落とすと思います。



また、歌碑地点には乗用車1台分のスペースしかなく、
もし先客がいたら、路上駐車しかないのですが、
カーブの連続する道路事情によって、それは危険性が大きいと感じました。
反対車線などに停めようものなら多分、事故を誘発するでしょう。
写真は私が撮った物ではありませんが、
この写真より道路幅は拡張されていた様に思います。
しかし、歌碑を見終わった私達は、宇佐美へ戻るべくUターンをしたのですが、
両方向ともに見通しの悪いカーブで、
私は車の窓を開けて聞き耳を立てて、車の接近を耳で判断するという危険な行為でした。

この、国民的な名曲の歌碑がこんな状態なのは悲しい事です。
キチンとした見晴らしの良い公園を造り、
乗用車も観光バスも、もっと沢山の人達に来てもらい、
この素晴らしい歌を沢山の人達に知ってもらい、唄ってもらい、
後世に残す努力を伊東市にお願いしたいのです。

共感されるという方は、
伊東市観光課から「意見箱」をクリックして頂き、
「みかんの花咲く丘」という名曲の素晴らしさ、
そしてそれを後世に残す為に、今すべき事を書きこんでください。

現在のあの状態の歌碑では、素晴らしい歌が死んでしまいます。
あれは絶対に後世に伝えるべきだと私は思うのです。

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みかんの花咲く丘・誕生秘話

2022-12-13 09:48:54 | 歌声喫茶
みかんの花咲く丘 川田正子


この歌が生まれた経緯を、
同志社女子大学のブログを参考にして書いていきたいと思います。

この歌の作曲者は、歌声喫茶でもお馴染みの海沼實氏です。
海沼實氏は「里の秋」が大ヒットした翌年(昭和21年)、
静岡県伊東市で放送されるNHKラジオ「空の劇場」という番組で、
童謡歌手、川田正子に唄わせる曲を依頼された(8月25日放送)のですが、
伊東にふさわしい曲、それも歌詞が見つかりませんでした。
たまたま川田正子(12歳)を取材に来ていた作詞家、加藤省吾が、
静岡県・富士市出身である事を知った海沼實は、
地獄に仏とばかり加藤に作詞を懇願しました。

明日、放送する予定の歌詞を、その場ですぐに書いてくれという無茶な依頼でした。
しかも、海沼から加藤に対して、
伊東の丘に立って、海には島と船が浮かび、船には黒い煙を吐かせて欲しいという、
注文までついていたのです。
加藤はそれをわずか30分で3番まで仕上げたそうです。

➀  みかんの花が咲いている 思い出の道丘の道
   はるかに見える青い海  お船が遠くかすんでる
➁  黒い煙を吐きながら  お船はどこへ行くのでしょう
   波に揺られて島のかげ  汽笛がぼうと鳴りました
③  いつか来た丘母さんと  一緒に眺めたあの島よ
   今日もひとりで見ていると 優しい母さん思われる

完成した詞を受け取った海沼は、川田正子を連れて伊東行きの列車に乗り込み、
列車の中でその詩に曲を付けなければなりません。
しかし、小田原を過ぎてもまだ曲想が浮かびません。
熱海に近づいた頃、窓外のみかん畑の景色を見ているうちに、
ふと頭にメロディーが浮かびました。
そして伊東駅に着く前に完成したのです。
その間わずか30分でした。

作詞30分。作曲30分。
たった1時間で国民的な名曲が出来上がってしまうなんて・・絶句。
それが今では日本人の心を揺さぶり、多くの人々の涙を誘う歌となるなんて。
本当にその素晴らしい才能の彼等には、感謝しかありません。

この歌にはもうひとつの秘話があります。
3番の「やさしい母さん」が、一時「姉さん」に改訂されました。
その理由は、戦争で母を亡くした子供がたくさんいたからとの事です。
でもやはり「母さん」の方がいいと元に戻したそうです。





先日(12月10日)に、前日行われた(伊東の歌声喫茶)の帰りにこの歌碑を見に行ったのです。
1981年(昭和58年)に創設されたそうで、
国府津駅と、伊東駅の発車メロディーにもなっているそうです。

宇佐見駅から車で15分。
国道19号線(宇佐見大仁道路)の亀石峠の2キロくらい手前の道路脇にありましたが、
ぼんやりしていると気づかずに見過ごしてしまう歌碑で、
私達が空きスペースに車1台停めるのがやっと。
亀石峠から下ってくると、全く気付かないで見過ごしてしまうでしょう。
国民的名曲の歌碑がこれというのは、如何にも悲しい。
伊東市は、「みかんの花咲く丘」公園を造るべきだと思います。
観光バスが何台も停まれる公園を造って、
この歌が如何に日本人の心に浸透し涙する歌であるかと、世間に訴えるべきです。
この稀代の名曲を風化させてはならないと、私は思うのです。

以前、とある歌声喫茶で私は前に出てこの歌を唄ったのですが、
ひとりの女性が涙ぐんでしまいました。
司会者が「あ~あ河童さん、女性を泣かせちゃって」と私を冷かしました。
そうなんです、添付した動画でも泣いていた女性が写っていましたね。
この歌を聴いて泣いてしまう人は珍しくない、というくらい心を打つのです。
それは、やっぱり3番の歌詞「やさしい母さん思われる」なんでしょうね。
実は私もこの歌はジーンとするのです。

「みかんの花咲く丘」の動画は検索すると沢山出てきますが、
私はこの、utabito 2017さんがアップしているこの動画、
これ以外の動画を観る気がしません。
これは本当に素晴らしい動画ですね。

「みかんの花咲く丘」は、日本人の心にいつまでも残る名曲で、
いつまでも、いつまでも唄い続けていきたい歌ですネ。




  
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伊東の歌声喫茶&小旅行

2022-12-11 07:27:38 | 歌声喫茶
横浜で歌声喫茶「星と涼風」を主催する、石原さんと星さんが、
伊東で新しく歌声喫茶を立ち上げたという事なので、行ってきました。



と言うのは今から11年前の2011年7月に、
まだ結婚する前だった私達夫婦は、キャンプに行く予定だったのですが、
折悪く天候に恵まれずに中止して、急遽、伊豆へのドライブに切り替えたのでした。
その時、通りかかった伊豆高原で、歌声喫茶のこんな看板に出会い、
「こんなトコでも歌声喫茶をやってるんだ」と撮ったのがこの写真。
この写真はずっと放ったらかしだったのですが、
最近になってフェイスブックに投稿したら、石原さんがそれを見て、
電話したりやったんでしょうね、主催者の人と知り合えて、
紆余曲折を経て、伊東で歌声喫茶を立ち上げるという話に至ったらしいのです。

そういった事で、私にも(縁)のある歌声喫茶だと、参加申し込みをしました。
コロナになってから、遠く(というほどではないが)に行くのは久しぶりな事なので、
本当にワクワクする思いの日々がとても嬉しかった。



メンバーはいつも通りの安心のスタッフ。
会場は伊東駅から徒歩15分、伊東消防署横の、生涯学習センター・ひぐらし会館。
前宣伝がまだ行き届いてはいなかったので、入りは多くはなかったのですが、
伊豆新聞社から取材も来てましたので、これからはお客さんも段々と増えていくのでしょう。
来年からは毎月開催されるそうです。



東京方面からの客人は伊豆急での日帰りみたいでしたが、
私達は「伊豆といったらやっぱり泊りだろう」と、会場からほど近い宿を取りました。
貸し切り露天風呂が気持ち良かった。
今度は、妻じゃない秘密の女性とご一緒したい(内緒だよ)

翌日は、汐吹公園の高台から太平洋を眺め(15分の階段登りに妻はあえいでいた)
眼前には初島が在りました。
駐車場に停まっている車に所沢ナンバーの車がいました。
その車に大きなザックを背負った若い男がやってきました。
見ると彼が背負っているのは釣り道具。
重さは20キロはありそう、釣り好きって本当に気違いじみて好きなんですね。
それは又、私達歌声好きと共通した(心意気)を感じてしまいました。
そこから次に小室山へと行きました。





標高321メートルの小室山は、そこから4キロくらい離れた大室山(580メートル)が、
良く見えましたが、大室山には行く事はあっても、小室山に行く人は少ないでしょうね。
リフトで登れて、なかなか印象に残る山頂風景でした。
(俺達はマニアックな小室山に行ったんだぞ、ザマミロ)

次に行ったのは、石原さんが是非にと絶賛していた、ステンドグラス美術館。









私達夫婦は、心が純粋で美しいってどなたからも言われるので、
こういったいわゆる(美しさの原風景)的な事象に出会うと、
心が反応し、共鳴し果てしない音叉の世界に浸ってしまったりするのです。
(これはやっぱり伊豆に来て良かった、伊豆が俺達を呼んでいる)
ま、そういったバカ話はやめにして、
最後に行ったのは(♬みかんの花咲く丘)の歌碑。

みかんの花咲く丘 川田正子


昨日の歌声会場で、最後の方でかかった(みかんの花咲く丘)
この歌が大好きな私はマイクの前に出て、
お客さんたちに後ろ姿を見せるのではなく、お客さんと顔を見せ合いながら、
コロナになってから初めてそういったスタイルで大声で、マスクなど外して唄ったのです。
イヤー、嬉しかった。
凄く嬉しかった~~ッ!

大好きな歌をマスクなどしないで、お客さん達の顔を見ながら、
一緒になって唄う事の素晴らしさ。
もう、目いっぱい、心から大きな声を張り上げて唄う事の素晴らしい事といったらなかった。
惜しむらくは、アルコールが入ってなかった(涙)
あれでアルコールが入ってたら、誰も俺の暴走を止める事など出来ゃしない。
「ヤイヤイ、矢でも鉄砲でも持ってきやがれってんだッ!」





それで最後に行ったのは、宇佐美から車で15分の道路沿いに在る、
「みかんの花咲く丘」の歌碑でした。
ウッカリすると気づかずに通り過ぎてしまいそうな場所でした。
太陽の位置が逆光線で悪くあまり上手く撮れませんでした。
出来ればキチンとした公園などが在って、そこに歌碑があればいいのですが・・・

「伊豆・伊東の歌声」
良かった~、久しぶりに歌声喫茶の良さを堪能した。

次はどの女性と一緒に貸し切り風呂に入るか?
あ、間違えた、誰と一緒に高田馬場のともしびに行くか・・だったナ(ベーッ)





お土産に買ってきたのは、
ステンドグラス美術館の、キャンドルライト。
今月24日のクリスマスイブには、これを灯して妻と二人のイブをやろうかな。

今回のミニ旅行は政府の旅行支援をフルに使って、1万円分くらいのお得旅行でした。

それは兎も角、
「みかんの花咲く丘」の余韻に浸っているオレ。でした。

ー----------

動画「みかんの花咲く丘」は、
utabito 2017さんの動画を借用させて頂きました。


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平家物語、入門

2022-12-02 11:34:19 | 読書


「平家物語」
私はこの本の、よく言われる(滅びの美学)に、とても惹かれるのです。
我が世の春を、これ以上ないほど謳歌していた平家一門が、
一旦は蹴落とし世間から忘れ去られた存在になったと思われていた源氏一門に、
逆に蹴落とされるどころか、一族郎党、女子供、血の一滴までも根絶やしにされる悲劇。
僅か20年程度の全盛期から、京の都を捨て敗走、西へ西へと落ち行き、
総氏・平清盛が亡くなってから、たった4年で遂に壇ノ浦に滅びゆく憐れさ。
それ以後、生き残った平家血縁を根こそぎ、生かしてはおくものかと、
地の果てまでも追い詰める源氏執念の平家落人狩り。
見つかったが最後、一人残らず皆殺しとなる恐ろしさ。
生きた心地もなく日本全国の奥地へ奥地へと、死に物狂いで逃げ廻る平家の生き残りたち。
(盛者必衰)この言葉を語るに、これほどの物語はあまりないでしょう。
日本全国、数十か所に存在すると言われる(平家落人の里)
大勢の人達が隠れ住んだ所もある一方、
中にはごく僅かの人数で、ひっそりと生きていた人達もいて、
彼等が死に絶えた事により、果たして平家落人部落だったのかの真偽もわからずに、
廃村になってしまった村落も在るのです。



この壮絶な憐れさを人々は、琵琶法師によって後世に伝えました。
文字の読めない多くの平民たちは、彼ら琵琶法師たちの語りから、
源平合戦を知り、平家残党の憐れさを知り、
そのあまりのドラマチックさに涙したのでした。

琵琶演奏 「祇園精舎」 ~伝統音楽デジタルライブラリー


私もそういった琵琶法師の語りを聴きたく、
田原順子さんのミニコンサートに行った事があります。
いつかまた聴きに行きたいと思っています。

さて、この平家物語、いったいどのくらいの本が在るのでしょう。
古典の原文で読んだという人はほぼ居ないと思います。
よくあるのは、上下を半分に仕切って、
上が現代文、下が古典原文といった形式ではないでしょうか。
あまりにも様々な作家が、この本を書いてますので、
どれを読んだらいいか、よく分からないというのが本音だと思います。
そんな中で私が推薦するのがこれです。



著者は、ドキュメント作家として知られる吉村昭氏。
私はドキュメンタリーが大好きなので、この作家の本を何冊も読んでいます。
〇 「羆嵐」   北海道で巨大な羆に7人が喰い殺された。
〇 「高熱隧道」 丹那トンネルの難工事。
〇 「海の史劇」 ロシア、バルチック艦隊との日本海海戦。
〇 「関東大震災」 あの大震災の様子。
〇 「三陸海岸大津波」 明治時代に起きた岩手県の大津波災害。
他にも挙げればきりがありません。

吉村氏は、何を書くにもしても事実を忠実に書く事を心がけているので、
一人っきりで各地、現場を訪れて生き証人から話を訊く様にしています。
とは言っても「平家物語」に生き証人が居る筈もなく、
しかし、私は吉村氏のそういった作風に期待して、
この長い物語(のダイジェスト版)を読んだのです。

平家物語には、話の本質とは無関係の宗教的な部分が多く、
そういった話はカットして書いたそうです。
ただ、本来の作者が書いた物を盗作している様な、後ろめたさを感じるように思えて、
今回限りで現代語訳は二度としないと言っています。
吉村昭という作家のそういった愚直さが、私は好きです。



それと正反対なのが、吉川英治氏。
宮本武蔵という、吉村昭氏とある種共通した愚直な剣豪の物語に、
「お通さん」などという架空の人物をでっち上げ、ありもしない話を作り上げてしまう。
こういった作風は、私は好きになれません。
お願いだから、史実をゆがめて後世の人達を惑わすのはやめて頂きたい、と思うのです。
一旦、吉川英治風な「宮本武蔵」という人物像が伝わってしまうと、
以後、人々はそれが真実だと思い込んでしまうのです。
そういった話を書きたいのであれば、全くの作り話を書けばいいと思うのです。
どうか真実の話で(ウソ話)をこしらえるのは、やめにしてほしかった。

真実というのは、ひとつしかありません。
今更どうにも出来ない真実は、それを忠実に後世に語り伝えて行くべきだと思っています。
平家物語の真実を知る人は誰もいません。
ですが、少しでも(真実はこうだった)と思わせてくれる文体で、私は読みたい。
そういった人に私が薦めるのは、この本です。
更にもっと深く読みたいと思っている人達も、
この本をきっかけにして、本物の世界に辿り着くのも、いいでしょうね。



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