河童の歌声

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脊椎損傷

2016-08-29 03:32:11 | 健康
リオデジャネイロでのパラリンピックがもうすぐ始まろうとしています。

私は車イスの人を見ると、
「脊椎損傷は、治るものにならないのか?」といつも思います。
人間の身体は実に複雑で、解明できない問題が山積みです。
そのメカニズムすら皆目、見当もつかない部分の山だらけです。

パラリンピックを見れば分かる通り、
その全員が(若い人)です。
彼等が何故、若い身空で障碍者にならねばならなかったのか?
そうなった人の全員が、恐らく一度は自殺を考えたと思います。
しかし、まだまだ若いのですから勿論、希望の塊りですし、
その将来を心から案じてくれる家族も居ます。

そういった期待に応えていかなければならない自分。
まだまだやりたい事を全然やっていない自分。
死を考えるという事は「生きたい」という気持ちの裏返しなんですから、
その結果が、車イスになってしまったのですね。
そういった悩み苦しみを、彼等の背中に思うと、
何故、この重い障害が治る様にならないのか?と、
いつも考えてしまうのです。

今は他人事ですが、
私達だって、何時その瞬間が訪れるのかは分かりません。
ある男性は、仕事でバイクに乗っていて信号待ちをしている時、
後から車に跳ね飛ばされて障碍者になってしまいました。
その時の彼の年齢は、65歳くらいだったそうです。

病院を退院した彼には、もう車イスの生活しかありませんでした。
彼は医者に言ったそうです。
「何故、死なせてくれなかったんだ」。
医者は言いました。
「せっかく助かった命なんですから、大切に生きなければ」。
しかし、彼が若かったら車イス生活に対応する人生があるかも知れなくても、
もう60代半ばの彼には(絶望)しか無いと感じます。

何年か前のニュースで、
何かの物質を使って、脊椎損傷に解明の道が見えた、
みたいな事を言っていた事があったのですが、
あれはその後どうなってしまったのか?


脊椎損傷と同時に、
治らぬものにならないのかと思うのは、中途失明です。
糖尿病、緑内障・・大体はそんな原因で失明するらしいですが、
失明というのは、ある意味、脊椎損傷より重大な事件だと思います。
ハンセン病(らい病)になってしまった患者もそうなんですが、
らい病になってしまっても、今日と明日とは取りあえず何の変化もありません。
しかし、それが素で失明する瞬間を、彼等は最も恐れたのです。

以前、あるバス停で見た光景なんですが、
老人と言っていい年齢の男が、白杖を、
多分、やけになってぶん回していたのです。
彼は何かの原因で最近、失明したばかりで、
そのやるせない自分をどうしていいのか分らなくなって、
ヤケッパチになっている・・私にはそう見えたのです。
中途失明は実に怖いですね。
これとて、いつ自分がなるか分らないのです。

駅などで、車イスや白杖者を見ると、
いつもそういった複雑な思いがするのは、私ばかりではない筈です。

医学界では、ガン根絶に血眼になっていますが、
こっちの方も、必死になって頑張って欲しいと心底思うのです。

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佐々木小次郎

2016-08-28 08:27:43 | 日記




世に名高い「巌流島の決闘」

言わずと知れた、剣豪・宮本武蔵と、佐々木小次郎の決闘。
巌流島は、本来「船島」というちっぽけな島で、
本州と九州に挟まれた関門海峡にある無人島です。

数ある剣豪たちの決闘、数々の決闘のうち、
これほど男たちの胸を焦がした決闘は、他には無いでしょう。
それほど「巌流島の決闘」は、あまりにも有名です。

が・・これほど謎の多い決闘もまた無いのです。
何故なら、まず、佐々木小次郎という剣豪の仔細がまるで(謎)だからです。

分っているのは、宮本武蔵と決闘をして敗れたという事。
厳流という剣法を使ったという事。
(それ故に、船島を巌流島と呼ぶ様になった)
物干し竿と呼ばれた長剣を使ったという事。
そのくらいかも知れません。
何しろ、全然分らないのです、佐々木小次郎という人物は。




私が初めて巌流島の決闘を知ったのは小学生の時でした。
その頃よくあった「偉人伝」で宮本武蔵を読んだ時でした。
その本には、巌流島の決闘は、大体こんな具合に書かれていました。

試合開始の時刻に、宮本武蔵はまだ宿で寝ていた。
ようやく起き、6時間も遅刻する船島に向かう小舟の中で、
武蔵は船を漕ぐ櫂を短刀で削って試合に立ち会う為の刀を作っていた。
船島に着いた船から武蔵は波打ち際の海に入った。
そこに走り寄った小次郎が、
刀の鞘をポーンと海に投げ捨てるのを見た武蔵は、
「小次郎破れたりッ」
「勝つつもりなら鞘が必要だろう、お前は何故鞘を捨てたのか?」
と言って、6時間も遅刻し、イライラも頂点に達し、
その上に心が動揺する様な言葉を言われた小次郎の心境は、
平常心など、何処かへ吹っ飛んでしまったのです。
それが、そこまでただの一度も試合に負けた事の無い、武蔵の読みだったのです。

秘剣、燕返しで横殴りに払った小次郎の剣を、
武蔵は空に飛んでかわし、小次郎の脳天に櫂を振り下ろしたのです。
小次郎はバッタリと倒れます。
小次郎の息を確かめようと近寄った武蔵に、
小次郎は、最後の気力を込めてその長剣を振り払いましたが、
武蔵は冷静に小次郎の脳天にとどめの一撃を打ち込みます。


そんな内容の偉人伝でしたが、
これとて、何が本当で、何処までが本当なのか?
それは誰にも全く分からないのです。

小次郎が秘剣(燕返し)を編み出したのは、
岩国の日本三大奇橋・錦帯橋のたもととありますが、
これが全くの大嘘。
だって錦帯橋が完成したのは、1673年。
巌流島の決闘は、1612年なんですから、61年も前なんです。

6時間も遅刻したというのも、
船の櫂を削って刀を作ったというのも、
吉川英治の小説「宮本武蔵」がその元凶みたいですね。

私は昔からドキュメンタリーが好きなんです。
フィクションはあまり好きではないのです。
そして、真実をフィクションに変えてしまうのは一番嫌いなんです。
それをやられると、真実が何処かへ消えてしまうからです。

「お通さん」なんて架空の女性が登場したりって、嫌なんです。
そんなのは、まるで事実と違ってるでしょう。
そんな話は、どうか最初から架空の話の中でおやんなさいよ。
ダメだよ、真実の姿は歪めちゃダメに決まってるでしょうッ!

吉川英治の「宮本武蔵」は有名な小説となり、
故に真実とは違った話が、
まことしやかに語られる様になってしまった功罪は大きいのです。
吉川英治氏は、A級戦犯だと私は思っています。

さて、佐々木小次郎を見ると、
その時29歳だった宮本武蔵に対し、一体何歳だったのか?
全然分らないのです。



長刀(物干しざお)は、3尺(90センチ)くらいあったとか。
普通の刀が2尺3寸(70センチ)とかに比べると、
本当に長い刀だと思います。
そして、長い分重たい筈です。
となれば、小次郎が大男だったは言えると思います。

佐々木小次郎を映画などで観ると、
長身痩躯で、気障な(歌舞伎者)みたいな派手な格好をしています。
そして背中に背負った長剣(物干しざお)
それは腰に大小2本の刀を差していて、
3本目の刀として、背中にあるみたいです。

小次郎は右利きだったらしく、右肩から左下へと刀を背負っています。
しかしですね、
この背負い方で刀を抜こうとすると、
90センチの刀は絶対に抜けません。
私はリーチが長く、180センチ近くあるのですが、
それでも、そのやり方で刀を抜こうとすると、
精々60センチくらいの刀しか抜けないのです。
これは本当に不思議だといつも感じています。

宮本武蔵が、色々な事実が分っているのに比べ、
佐々木小次郎は、何でこんなにも分らないのでしょう?
本当に不思議です、そしてイライラします。

巌流島の決闘は、100万円払っても見たかった。
そう思ってる輩は何千人も居ると思います。
仮に3000人の野次馬が一人100万円払って見に来たら、
そのあがりだけでも、30億円。
勿体なかったよな~武蔵よ。
アンタは一篇に億万長者になれたのにね。

剣豪として名を馳せてからというもの、
武蔵を倒して名を上げたい武芸者に、
いつその寝首を掻かれるかと用心して生涯、風呂に入れなかったんだもんね。
30億円無くてもいいから、せめて風呂くらいはゆっくり入りたかったよな~。

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黒部の偉人・・冠松次郎

2016-08-27 05:06:04 | 登山


冠松次郎は、黒部峡谷を初めて完全遡行した登山家(探検家)です。

1883年~1970年(87歳)
黒部の探検という事で、富山県出身と思われたりしますが、
東京・北区で生涯、質店を営んでいました。



1902年(19歳)頃より登山を始め、
1911年(明治44年)黒部に入りました。



1925年、下の廊下の完全遡行に成功します。
黒部湖より上流を「上の廊下」下流を「下の廊下」と言います。
廊下とは、絶壁に挟まれた深い谷を意味します。



多くの登山家が、高い山への登頂を目指している中、
それに背く様に、急峻な渓谷を探検していきました。



剣沢と棒小屋沢とが十文字に交差する、有名な十字峡を発見した時は、
同行者たちと感動で涙を流したそうです。



今でこそ、黒部峡谷はおとなしい流れになっていますが、
1963年に黒四ダムが完成し、水量がコントロールされる以前は、
今とはまるで違った激流で、その中を遡行する危険性は、とても大きかったのです。



岸壁をくり抜いた歩道は、黒四ダムの資材を人力で運ぶ為に関西電力が造った道であり、
松次郎が探検した時代には無かった道でした。
ダム資材運びは、担ぐ重さにより賃金が違い、
重いほど高賃金だった為に、人足たちはみな重い荷物を担ぎたがったそうですが、
重い荷物ほど危険性も大きく、時には足を踏み外して、
100メートル下へと墜落する事故が絶えなかったそうです。

昔、所属していたハイキングクラブの人で、
仲間達と、黒部・下の廊下に行った方の話ですが、
登山計画の話を聞いたある女性から「私も行きたい」と言われ、
軽い気持ちで「では一緒に行きましょう」となったのですが、
その女性が水平歩道から谷底に転落して死んだそうで、
彼は、軽く請け負った事をとても後悔していました。
落ちれば100メートル墜落・・完全に即死の世界なんですね。

歌手に「冠二郎」という方が居ますが、
彼が何故、こういった名前を付けたのかの理由は知りません。
また、岐阜県出身の歌手が、郷土の山という事で、
野口五郎(岳)という名前を付けたのは、山をやる人なら殆ど知ってる事ですが。
似た名前の山に「黒部五郎岳」というのもありますが、
この名前を付けた芸能人は今の所いませんね。

私が登山に行く理由に、雄大な大展望の世界を歩く醍醐味がありますが、
それに比べて、展望が無く、落ちれば一巻の終わりの断崖絶壁の危険な道を、
行く気にはなれないので、黒部渓谷は無縁の世界でした。

そういった世界を今と違って、物凄い水量の時代に遡行するなんて、
本当に凄いと驚嘆します。
彼の記した著書が、その後、黒部を行く登山家たちや、
黒四ダム関係者たちのバイブルになった事は間違いないでしょうね。
冠松次郎・・凄い人でした。

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風と共に去りぬ

2016-08-24 05:07:55 | 映画
8月5日の日記に書いた「世界文学全集」
その中で「赤と黒」「怒りの葡萄」を読み切る事が出来なかったと書きましたが、
実は、もう一冊読めなかった小説があります。
それがこの「風と共に去りぬ」です。



この本は、私の母と姉とが、口を揃えて褒めたたえていました。
それで私もと読み始めたのは、まだ20歳台の若い頃でした。
しかし、半分以上まで読んだ段階で、私はそれ以後を読むのを放棄してしまったのです。

何故でしょう?

面白くなかったからです。

何故、面白くなかったか?
「これは女性の読む本だ。男の読む本ではない。」
私はそう感じたのです。

確かに、この小説の面白さは抜きんでて面白い。
しかし、それは女性だからであって、男が読んでもそれほどは面白くはなかった。
でも、この小説が如何に優れているかは、痛切に感じていました。


さて、この小説は映画になりました。
1939年。日本での公開は1952年という事です。
アメリカと日本とで、これほど公開日に差があるのは、
第二次世界大戦が間にあるからでしょうね。

そして、この映画は空前の大ヒットとなり、
アカデミー賞の各賞を総なめにする程の映画になりました。

それはそうでしょう。
映画で観ると、これほど面白い映画はそうは無いからです。

その最大の要因は、
キャストが、まさにドンピシャ。
これほどの適役は絶対に無いと言える事に尽きます。
それはそうです。

この小説を書いた、マーガレット・ミッチェルは、
レッド・バトラーなる男性を書く時、
まさに、クラーク・ゲーブル(38歳)その人をイメージしながら書いたのですから。
これほどの適役が他にある筈が無いのです。



そして主人公の、スカーレット・オハラ。
この強烈な個性を持つ女性を演じる女優は、監督を大いに悩ませました。
しかし、カメラテストでヴィヴィアン・リー(26歳)を見た彼は、
一目で「この無名の女優しか居ない」とひらめき決断したのです。



そして、この二人のキャストこそが、
映画を大ヒットさせた最大の要因であったと私は思います。

レスリー・ハワードの、アシュレー・ウィルクス。
オリヴィア・デ・ハヴィランドの、メラニー・ハミルトン。
太った黒人メイドのマミー。

そういった主人公を取り巻く俳優陣の適役も、他に例を見ない程素晴らしい。
そういった俳優が、まさにその人そのものと思ってしまう程です。


この記念すべき大作は手元に持っておきたいと、
DVDを注文して、いつでも家で観られる様になっています。

小説では途中放棄した、この本が、
映画になると、息をもつかせぬ位に面白く、胸をときめかせるのです。
そして、もう一度あのシーンを観たいというシーンはいくらでもあるのです。

この映画は本当に凄いッ!
映画の中の映画と言える数少ない傑作でしょうね。





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貯金額12万8千円

2016-08-23 14:10:57 | 日記
今年の1月から始めた貯金が、
先日、128000円になりました。

8か月間で128000円という事は、一日平均500円くらいです。
そうです・・・この貯金は500円玉貯金なんですね。
いっぱいまで貯めると10万円になるというプラスチックケースなんで、
どのくらい貯まったかが見えているんですが、
もう入れられないくらいだったので、先日ぶっ壊したのです。

しかし、私達は年内にあと3回、仙台に行くのでこれでも足りないみたい。
他にも西伊豆旅行もあるし、キャンプはあるし、お金って本当に(お足)ですね。
足があるらしく、すぐに無くなっちゃうんだよね~。

そんでね、今度からは千円札貯金に切り替えようかな~?
それとも一万円札貯金にしよ~かな~?

一万円札貯金だと8ヶ月で250万円。
80ヶ月だと、2500万円。
すぐに大金持ちになっちゃうじゃんかね~。

2億5000万円なんてね、アンタたった800ヶ月でなっちゃうんだよ~。
8000ヶ月だと25億円だなんて、もう、すぐそこじゃんか!

80000ヶ月になったら250億円なんで、
そしたら実物大の「戦艦大和」を造るからね~。
世界中の軍艦の1/10模型の博物館も造るからね~。

世界一美しいドイツの戦艦「シャルンホルスト」も実物大のを造って、
大海原に乗り出すんだッ!



何処の国の港に行っても、皆から珍しがられ、祝福され、
俺は世界一モテる男になっちゃうんだな~。

もし是非にでも乗ってみたいと言うんだったら、
あの、海の男で名高い、加山雄三君など招待してあげようかね。

早く来ないかな~、80000ヶ月。
でも、0が多くて何だか分からなくなってきやがった。
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