リオデジャネイロでのパラリンピックがもうすぐ始まろうとしています。
私は車イスの人を見ると、
「脊椎損傷は、治るものにならないのか?」といつも思います。
人間の身体は実に複雑で、解明できない問題が山積みです。
そのメカニズムすら皆目、見当もつかない部分の山だらけです。
パラリンピックを見れば分かる通り、
その全員が(若い人)です。
彼等が何故、若い身空で障碍者にならねばならなかったのか?
そうなった人の全員が、恐らく一度は自殺を考えたと思います。
しかし、まだまだ若いのですから勿論、希望の塊りですし、
その将来を心から案じてくれる家族も居ます。
そういった期待に応えていかなければならない自分。
まだまだやりたい事を全然やっていない自分。
死を考えるという事は「生きたい」という気持ちの裏返しなんですから、
その結果が、車イスになってしまったのですね。
そういった悩み苦しみを、彼等の背中に思うと、
何故、この重い障害が治る様にならないのか?と、
いつも考えてしまうのです。
今は他人事ですが、
私達だって、何時その瞬間が訪れるのかは分かりません。
ある男性は、仕事でバイクに乗っていて信号待ちをしている時、
後から車に跳ね飛ばされて障碍者になってしまいました。
その時の彼の年齢は、65歳くらいだったそうです。
病院を退院した彼には、もう車イスの生活しかありませんでした。
彼は医者に言ったそうです。
「何故、死なせてくれなかったんだ」。
医者は言いました。
「せっかく助かった命なんですから、大切に生きなければ」。
しかし、彼が若かったら車イス生活に対応する人生があるかも知れなくても、
もう60代半ばの彼には(絶望)しか無いと感じます。
何年か前のニュースで、
何かの物質を使って、脊椎損傷に解明の道が見えた、
みたいな事を言っていた事があったのですが、
あれはその後どうなってしまったのか?
脊椎損傷と同時に、
治らぬものにならないのかと思うのは、中途失明です。
糖尿病、緑内障・・大体はそんな原因で失明するらしいですが、
失明というのは、ある意味、脊椎損傷より重大な事件だと思います。
ハンセン病(らい病)になってしまった患者もそうなんですが、
らい病になってしまっても、今日と明日とは取りあえず何の変化もありません。
しかし、それが素で失明する瞬間を、彼等は最も恐れたのです。
以前、あるバス停で見た光景なんですが、
老人と言っていい年齢の男が、白杖を、
多分、やけになってぶん回していたのです。
彼は何かの原因で最近、失明したばかりで、
そのやるせない自分をどうしていいのか分らなくなって、
ヤケッパチになっている・・私にはそう見えたのです。
中途失明は実に怖いですね。
これとて、いつ自分がなるか分らないのです。
駅などで、車イスや白杖者を見ると、
いつもそういった複雑な思いがするのは、私ばかりではない筈です。
医学界では、ガン根絶に血眼になっていますが、
こっちの方も、必死になって頑張って欲しいと心底思うのです。
私は車イスの人を見ると、
「脊椎損傷は、治るものにならないのか?」といつも思います。
人間の身体は実に複雑で、解明できない問題が山積みです。
そのメカニズムすら皆目、見当もつかない部分の山だらけです。
パラリンピックを見れば分かる通り、
その全員が(若い人)です。
彼等が何故、若い身空で障碍者にならねばならなかったのか?
そうなった人の全員が、恐らく一度は自殺を考えたと思います。
しかし、まだまだ若いのですから勿論、希望の塊りですし、
その将来を心から案じてくれる家族も居ます。
そういった期待に応えていかなければならない自分。
まだまだやりたい事を全然やっていない自分。
死を考えるという事は「生きたい」という気持ちの裏返しなんですから、
その結果が、車イスになってしまったのですね。
そういった悩み苦しみを、彼等の背中に思うと、
何故、この重い障害が治る様にならないのか?と、
いつも考えてしまうのです。
今は他人事ですが、
私達だって、何時その瞬間が訪れるのかは分かりません。
ある男性は、仕事でバイクに乗っていて信号待ちをしている時、
後から車に跳ね飛ばされて障碍者になってしまいました。
その時の彼の年齢は、65歳くらいだったそうです。
病院を退院した彼には、もう車イスの生活しかありませんでした。
彼は医者に言ったそうです。
「何故、死なせてくれなかったんだ」。
医者は言いました。
「せっかく助かった命なんですから、大切に生きなければ」。
しかし、彼が若かったら車イス生活に対応する人生があるかも知れなくても、
もう60代半ばの彼には(絶望)しか無いと感じます。
何年か前のニュースで、
何かの物質を使って、脊椎損傷に解明の道が見えた、
みたいな事を言っていた事があったのですが、
あれはその後どうなってしまったのか?
脊椎損傷と同時に、
治らぬものにならないのかと思うのは、中途失明です。
糖尿病、緑内障・・大体はそんな原因で失明するらしいですが、
失明というのは、ある意味、脊椎損傷より重大な事件だと思います。
ハンセン病(らい病)になってしまった患者もそうなんですが、
らい病になってしまっても、今日と明日とは取りあえず何の変化もありません。
しかし、それが素で失明する瞬間を、彼等は最も恐れたのです。
以前、あるバス停で見た光景なんですが、
老人と言っていい年齢の男が、白杖を、
多分、やけになってぶん回していたのです。
彼は何かの原因で最近、失明したばかりで、
そのやるせない自分をどうしていいのか分らなくなって、
ヤケッパチになっている・・私にはそう見えたのです。
中途失明は実に怖いですね。
これとて、いつ自分がなるか分らないのです。
駅などで、車イスや白杖者を見ると、
いつもそういった複雑な思いがするのは、私ばかりではない筈です。
医学界では、ガン根絶に血眼になっていますが、
こっちの方も、必死になって頑張って欲しいと心底思うのです。