

「エベレスト」というタイトルに引きつけられて、
ブックオフでDVDを買ってしまいました。
夢枕獏さんの小説を映画化した1996年の作品だそうです。
映画として見ると、私は個人的には好きになれない映画でした。

1999年にエベレストで75年ぶりに発見されたマロリーの遺体。
彼が登頂に成功したか否かは永遠の謎ですが、
彼が生前、報道陣の問い「貴方は何故登るのか?」に対し、
「そこに山が在るから」という有名な言葉は日本では誤解されたままです。
何もそこに在るのが高尾山だったら、誰も見向きもしません。
そこに在るのが、まだ誰も登った事のない、
世界で一番高い山だからという意味です。
ですから「そこに未踏の世界最高峰があるから」なんですね。
私は登山家のやる事は、子供心の延長線だと思っています。
まだ誰も行った事がないなら、「俺が真っ先に登ってやる」
要はそういった単純な子供心と同じだと思っています。
そういった視点でこの映画を観ると、
あまりにもストイックに神々しく哲学的に描き過ぎている。
という事です。
そんな気難しい事なんかじゃなく、
結局は「俺が真っ先に登ってやる、他の奴らなんかに負けてたまるか」
たったそれだけだと私は思っています。
主人公は羽生丈二という登山家で、
それを阿部寛が演じています。

その羽生丈二のモデルとされているのが、登山家の、森田勝(まさる)です。
写真の左が森田勝で、右は高名な登山家・長谷川恒男です。
森田は1937年、長谷川は1947年生まれの10歳差です。
私は40年くらい前に、北アルプスの涸沢で長谷川恒男を見かけた事があります。
その頃、彼はアルプス三大北壁登頂を成し遂げスーパースターだったので、
周りの人達は尊敬と羨望の眼差しで彼を見つめていました。
森田勝は1937年(昭和12年)生まれ。
小学校4年の時に母親が亡くなり、父は再婚しました。
千葉県野田の醤油工場に奉公に出され、
中学を卒業できないまま実家に戻されて金型工になります。
その頃、ブームになり始めた登山をする様になります。
1959年(昭和34年)22歳。緑山岳会に入りました。
日本の登山も段々と海外に行くようになり、
1966年(29歳)南米アコンガグア遠征に緑山岳会も遠征する事になりましたが、
森田は遠征費用が無く、断念せざるを得ませんでした。
そういったウップンを晴らすべく、
森田は谷川岳・滝沢第三スラブの積雪期初登攀を目指します。
しかしそれはあまりにも危険で無謀だったので、万が一失敗したら山岳会の名前を汚す事を恐れ、
山岳会から退部するように言われます。
しかし、無謀と言われた初登攀は成功したのでした。
そういった頃、同じ人種でもあった長谷川恒男を彼はよく知っていました。
森田は、自分に学歴が無い事をコンプレックスに思っていて、
それは長谷川恒男に於いても同じだったのです。
学歴も金も無い自分達が自己をアピールできる場は登山しかありませんでした。
もし、ザイルパートナーと二人で登っていて事故を起こし、
ザイルを切れば、どちらかは助かるという状況になった時・・・
森田は「俺だったらザイルを切る」と即答したそうです。
「その為に俺はいつでもナイフを持っている」と。
周囲の登山家たちは「彼だったらやるだろう」と納得したそうです。


それは、日本山岳史上最強の登山家と言われた山田昇が、
「あいつとだったら一緒に死んでもいい」と誰からも慕われ、
彼が死んだと知らされたヒマラヤのシェルパ達はみな号泣した、
という山田昇とはまさに正反対にも思える言動でした。
1970年、森田は木村憲司とアイガー北壁に挑みました。
途中、木村が滑落し、木村も森田も共に重傷を負いますが、
彼等は必死に頑張って登頂は成しとげます。
その時、「ザイルを切る」と言っていた森田が、
「お前がダメになったら俺もここで死ぬ」と号泣して、
それに木村は感動を禁じえなかったそうです。
常に感情を抑える事ができない、
周囲の反応を考えずに、思い切った事をストレートに口にするので、
周りの人達から拒絶される。
そういった男だと思われていた森田の真の姿は、
生きるか死ぬかの瀬戸際に発せられた、
「お前がダメになったら俺もここで死ぬ」・・そこだったのかもしれません。
顔馴染みでもあった長谷川恒男が、
アルプス三大北壁全制覇で一躍世界の長谷川になった頃、
森田勝はそういった陽の目を見ない場所で格闘していたのですね。
1974年に結婚。
以来、彼に変化はやはりあったみたいです。
しかし、1977年に行ったK2(ケイツー)登山。
世界第二の高峰(8611メートル)カラコルム山脈のK2は、
世界一難しい山と言われる山でもあります。
登山隊の指揮官から第二アッタク隊と言われた森田は、
誰かの後じゃ意味は無いんだ、真っ先に行かなきゃ意味は無いんだ。
と、体調不調を口実に山を下りてしまったのです。
やはり森田は森田だったのです。

そんな森田を佐瀬稔氏が小説にしています。
他にも「いい登山家」は居るだろうに、何故、問題児・森田勝なんでしょうね?
1980年、自らが主催する登山学校の生徒だった村上文祐と、
2度目の難関、グランドジョラス北壁へ行きました。
それが森田勝最後の山になりました。
800メートルを堕ちて登山家としての生涯を終えます。
彼とザイルパートナーは同じザイルに繋がれたままで逝っていたそうです。
狼は帰らずか~、
森田勝は本当に狼だったのか。
僕は福岡の生まれで、クライミングに
大変興味を持っていた小学生時代、福岡にそんな
場所はなく、福岡城の城壁を上って怒られてました(笑)
もう廃版になっていると思うんですが
おもしろい少女漫画がありました。
コインランドリーで目にして、全巻揃えて
呼んだのでした。
こちら愛、応答せよ!
もう、どこからどう見ても少女漫画の絵
内容は、相当ハードに描かれた登山漫画でした。
まぁ、少女漫画なので恋愛模様も描かれてましたが、、、
高校生選抜登山隊が、K2へ挑戦という
漫画ならではの話もありますが、しっかり
どうなるかを描かれた記憶があります。
僕が福岡で育って、クライミングやガチの
登山に触れる機会が少なかったのが幸い?
して、山で死ぬようなハードな登山にはまりませんでした(^-^;
近くにいい場所があったなら、一流のクライマーになっていたかも知れないのでしょうね。
名だたる登山家で、クライミングをする事なく有名になった人は、加藤文太郎とか深田久弥とか数えるほどしか居ませんね。
名を残す登山家はみなハードな岩場登攀をした事によって有名になっていますね。
でも、思うのですが「天才クライマー」といった言葉をよく見聞きしますが、山で死んじゃったら天才と言っていいものかどうか?
そういった意味で真の天才は、間違いなくラインホルト・メスナーじゃないのかと思います。
私は所詮、尾根歩きのハイカーでしかないのですが、それでも山は好きでした(過去形)
昔の知り合いに8000メートルを登る人がいました。一度一緒に丹沢の沢に遊びに行ったら、我々が「滑りそうだ」と尻込みしてる場所を運動靴でいとも簡単にサッサと登ってしまうのを見て、まるで次元が違い過ぎると思いました。
その彼いわく「森田勝は三点支持という古い常識を打ち破る事が出来ないから、登れないんだ」と断言していました。頭の上にある支点に足をかける位のやりかたじゃないと、もう登れない世界になっているのですね。私には分からないですが。