

先月行った、下田への歌声旅行では、
歌声の翌日は観光で、下田港遊覧船・サスケハナ号に乗るつもりでしたが、
あまりの強風に海が荒れていて断念せざるを得ませんでした。
春に行われた下田歌声旅行の時には無事に乗れたのですが・・・
1853年に、
アメリカのペリー提督が下田沖に4隻の黒船でやって来て、
日本中が蜂の巣をつついた様な大騒ぎになった事件を知らない方は居ないと思いますが、
その黒船と呼ばれる軍艦とは一体どんな船だったのでしょう?
そして、サスケハナ号という日本的な名前の由来は何なんでしょう?


ペリー提督らの黒船4隻は、
旗艦・サスケハナ 3824トン
ミシシッピー 3220トン
プリマス 989トン
サラトガ 882トン の4隻でした。
これらの軍艦は、当時の日本最大の商船である、
千石船や二千石船をはるかに上回る大きさで、
船体は黒色に塗られていました。
そして、いずれの船も三本マストの帆船ではあるが、
船体の両舷には日本人の誰もが見た事のない不思議な半円形の装置を付け、(つまり外輪船)
そして甲板からはマストとは違う長い筒が伸び、
その先端からは黒い煙を吐き出していました。
帆船ではありましたが、
帆を張るでもなく黒い煙を吐きながら動く真っ黒い巨体は、
日本人の度肝を抜き、恐怖心を抱かせたのです。
では何故真っ黒い船体をしていたのでしょう?
それは船体が木製であったので腐食防止の為にタールを塗っていたからです。
この習慣は、やがて船体が鉄や鋼鉄で造られる様になってからも続き、
1970年代頃まで世界の商船の船体は黒で塗られていました。
ペリー提督という人物は如何なる人物か?
彼は1794年生まれのアメリカ人で、
下田に来た時は58歳でした。
階級は日本には無い階級の代将。
つまり大佐と少将の間に位置するれっきとした提督でした。
ペリーの行った外交はブログ本来の主旨ではないので、
では、サスケハナの名前の由来を書きましょう。
サスケハナは、SUSQUEHANNAです。
これを正しい発音で言うと、ススクエハンナとなります。
SUSQUE (ススクエ)とは、アメリカ東部のペンシルヴァニア州一帯に住んでいた、
アメリカインディアンの名前です。
また、ススクエ族が定住していた地域を北から南に流れる大きな川がありますが、
ススクエインディアンの言葉で川の事を、
HANNA(ハンナ)と言いました。
そして、この川の名前は、
ススクエ・インディアンの間では、ススクエハンナと呼ばれていましたが、
これは(ススクエ族の支配する川)を意味するものでした。
この船の名前を日本人が訊ねた時に、
乗組員が(ススクエハンナ)と答えたものを、
当時の日本人が日本的な発音に聞こえ、
以後、(サスケハナ)と誤って伝えられたものらしいのです。
しかし、見た事もない巨体と真っ黒い船体。
帆を張らずに黒い煙を吐きながら動く船を見た日本人は、
度肝を抜かれ、仰天し、さぞ怖かった事でしょうね。
その恐怖の船に観光気分でのんびり揺られるなんて、
時代って奴は・・面白いもんですね~。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます