河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

慶應応援歌VS早稲田応援歌

2023-08-24 07:13:49 | スポーツ




昨日は、世界中を震撼させた・・(あ、チョッと言い過ぎたかな)
日本中を興奮のるつぼと化した・・(あ、チョッと言い過ぎたかも)
高校野球の決勝戦がありましたね。
結果は、慶應高校が、8対2という予想外の圧勝でしたが、
実力拮抗という相手同士でも、こういった予想外の結果というのは、ある事ですね。

私は、歌声喫茶仙台バラライカに30回通い詰めたという歌声バカですので、
バラライカの常連客とは、何人もの友達が出来上がっていました。
で、これは仙台育英高校を応援するっきゃないだろうと思っていたんですが~・・・
まさか決勝戦を戦うのが、神奈川(横浜)の慶應高校になろうとは・・
これは申し訳ないのですが、予想外だったのです。
となるとですね~、私は東京出身ですが、神奈川県民を40年くらいやってたし、
横浜市民は、30年以上やってたという人生を歩んで来ましたんで、
ここにきて、仙台応援とはいかなくなっちゃったんですね。
あぁ、これで仙台の友人達とはこれっきりの縁切りだけど、仕方ないよね。

それで、あの慶應応援歌の「若き血」を一緒になって唄っちゃったんですね~。

2020年度 9月慶應義塾大学入学式(学部・大学院)(動画配信)/ 若き血


この歌は、以前から「いい歌だな~」と思っていました。
この歌を作詞、作曲したのは、堀内敬三という人です。



堀内敬三  1897年(明治30年)~1983年(昭和58年)86歳。
  作曲家・作詞家・音楽評論家。
  1949年(昭和24年)、NHKラジオ番組「話の泉」で、
  司会と解説を務めました。
  私は子供の頃、その番組を何度となく聞いていましたが、
  堀内敬三氏の博識ぶりには、子供心に「凄い人だな~」と思っていました。
  蒸気機関車が大好きで機械工学を学び、マサチューセッツ工科大学で修士課程を修了、
  音楽でも著名な作曲家とかにも師事しました。
  まさに、大谷翔平クラスの地球外生物のはしりですね。

さて、1907年(明治40年)
早稲田大学創立25周年に完成した早稲田大学校歌(都の西北)は、日本の大学では一番最初に出来た校歌でした。

この歌を作る時、初めは学生からの応募で23編の応募があったのですが、
これといった作品が無かったので、
審査にあたった坪内逍遥と島村抱月は、卒業生の相馬御風に作詞を依頼します。
これに曲を付けたのは、当時講師であった東儀鉄笛でした。

早慶戦(早稲田VS慶應)が始まったのは1903年(明治36年)とされています。
そしてその後、早稲田大学の校歌(都の西北)が唄われ出しました。

【歌詞付き】早稲田大学校歌


早慶戦では、早稲田はこの校歌を歌って勢いをつけていました。
しかし、慶應大学にはこれに対抗する歌が無かったのです。
慶應はこれに対抗して堀内敬三氏に作曲を依頼。

1926年(大正15年)29歳の堀内敬三は「若き血」を作詞、作曲します。
この応援歌を用いての応援は、1927年(昭和2年)から始まりました。
「若き血」に押された早稲田は、その雰囲気に押され、
昭和2,3,4,5年と勝てない時期が続きました。

【歌詞付き】早稲田大学「紺碧の空」


そこで昭和6年、早稲田応援団は全学生を対象に歌詞を募集し、
住治男作詞の「紺碧の空」を一文字の修正もなく採用します。
この歌の作曲を当時、無名だった古関裕而を推薦したのは、
「イヨマンテの夜」の歌手、伊藤久男の従兄の伊藤しげる、彼は早大応援部の幹部でした。

これは古関裕而最初の出世作となり、
以後、慶應、早稲田は「若き血」と「紺碧の空」で早慶戦を張りあったのです。

1933年(昭和8年)には語り草となっている(リンゴ事件)が起こりました。
その時、慶應、早稲田は激しい点の取り合いになっていたのですが、
審判の判定を巡ってトラブルが重なっていました。
後に読売ジャイアンツ監督となった、水原茂氏が審判に詰め寄り猛烈に抗議。
こうした経過から両校の応援団は興奮状態にありました。
水原が三塁の守備に就くと、三塁側早大応援団席から水原に向かってリンゴが投げ込まれ、
試合は慶應が9ー8の逆転サヨナラ勝ちとなったのですが、
早稲田応援団は慶應ベンチになだれ込み大乱闘となり、
警官隊が出動する大騒動になりました。
この事件がキッカケとなって、早稲田は1塁側、慶應は3塁側に固定されたのです。

【早稲田大学応援部】紺碧の空 早稲田へようこそ受験生


ちなみに、私は何と言っても「紺碧の空」が好きです。
歌もいいし、チアガールの振り付けもいい。
チアガールの足が何処まで上がるか?
腰までしか上がらない人は失格。
頭の上まで上がるチアガールで、勝負は決するのです(ウソ)

早慶戦、いいな~、俺も「紺碧の空」唄いたかったな~。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 夢・・艦船模型ミュージアム | トップ | 学童疎開船、対馬丸の悲劇 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

スポーツ」カテゴリの最新記事