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河童の歌声

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カフェレーサー

2019-01-14 11:33:26 | バイク
SR400 | 美しきカフェレーサー


この動画は、Anomaly Gang さんの動画をお借りしました。

カフェレーサーという言葉があります。

1960年代にイギリスで生まれた言葉で、
ロックンロールに影響されたバイク好きの若者達が、
改造した自慢のバイクでカフェに集まり、
コインを一枚入れて、ジュークボックスの音楽が始まると、
一斉に飛び出して、曲が終わるまでにカフェに戻って来るという
遊びしていたのです。

その様な改造したバイクを、
カフェレーサーと言ったのです。



これこそ、私が一番惚れたバイクスタイル。
オートバイは、トライアンフ・BSA・ノートン・・
もう最高のスタイルでした。
私もトライアンフに乗っていましたが、
如何せん、お金も無い若い頃だったので、
改造も出来ず、ファッションにも金をかけられず、
貧しきトライアンフライダーをやっていました。



ただ、ゴーグル(メガネ)だけは、
高かったけど、こういったゼロ戦パイロット型のを買ったのですが、
東京の何処かの店まで買いに行って、
帰りの最寄り駅で、もう待ちきれずにケースを開けたら、
ホームにゴーグルを落っことしてしまったのです。
で・・ガラスにひびが入ってしまったのです。

もう、ホームに突っ伏して泣きたくなりました。
買い直すお金など有るはずもなく、
バイク趣味から足を洗うまで、ひび入りゴーグルをしてたんです(泣)





ヘルメットは絶対にクロムウェルでなければなりません。
ですが、これも買える金はなく、
仕方なく、安物のクロムウェルもどきのままでした(これも涙)









こういった、如何にもカフェレーサーといったバイクを見ると、
今でも胸がときめきます。
成金親父のデコレーション・ハーレー集団など見ると、
ヘドが出そう。
あぁいったスタイルは嫌ですね。
ハーレー・ダビットソンというバイクのメカニズムは、
まあ一応は好きだし、認めますけど、
あの成金趣味と徒党を組んでの、見せびらかし集団は、
とてもとても好きなどにはなれません。
イヤですね~、あ~ゆ~のって。

そう言えば、昔、横浜伊勢佐木町に、
カフェがあり、そこの名前がケンタウルスだったか?
あるいはその店によく来るバイク仲間の名前がケンタウルスだったか?
彼等がバイクを駈って走る映像を観た事があるのですが、
箱根新道を400CCのバイクで時速200キロ。
圧倒的な迫力に息を呑みました。

オートバイというのは前傾姿勢でというのが、私の好きなスタイル。
30年以上前に、何処かのサービスエリアで、
20代の若者が、完璧にカフェレーサーに改造したのを乗っていて、
あまりのカッコ良さに8ミリカメラ(当時はビデオじゃないよ)で、
写させてもらったのですが、
私の家に残っている8ミリフィルムに残っている筈なんですが、
如何せん、映写機が無いんですから、見たくても見られない。



いいね~。
カフェレーサーこそオートバイだ!
バイク乗りの神髄は、カフェレーサーにあり。
と言いたいけど、もう既に棺桶に片足オヤジの独り言だな(泣)




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ホンダCB-72とヤマハYDS-1

2019-01-13 06:31:21 | バイク
Honda CB72 Supersport


ホンダ・ドリームCB-72と、
ヤマハ・YDS-1は1960年発売の、
日本初のスーパースポーツタイプのオートバイでした。

この2台のオートバイが、日本のバイクのスポーツタイプの、
先鞭をつけた、エポックメーキングとなったのです。
お互いはライバルでした。
販売台数では、ホンダに軍配は上がりましたが、
ヤマハYDS-1の存在感は大きかった。

今も健在!YDS1の勇姿


この2台のバイクには、決定的な差があります。
ホンダが4サイクルエンジンなのに対し、
ヤマハは2サイクルエンジンなのです。

この頃のバイクは皆、2サイクルエンジンというのが常識であり、
そこに4サイクルという複雑な構造を持ち込んだ、
ホンダという会社の凄さを感じます。
私個人は、4サイクルエンジンの持つ、
エンジンブレーキの制動力を買っていたのでホンダファンでした。
2サイクルエンジンというのは、アクセルをカットしても、
エンジンブレーキが殆ど効かないのです。



ホンダ・ドリームCB-72



ヤマハ・YDS-1

どちらも、本当に美しい姿ですね。
今でも、ホンダはごく稀に見かける事があります。
しかし、ヤマハは全く見かける事はありません。
その辺は販売台数の差なんでしょうか?

この2台は、私がオートバイを大好きになった、
中学生の時のバイクなので、本当に思い出・印象が深いのです。



家の前に、木型屋さん(木型を彫って、そこに溶けた鉄を流し込んで鋳物を作る)
があり、そこの若い職人さんがバイク好きだったのです。
彼が、ある日ホンダ・ドリームCB-72で通勤して来たのです。
そして、昼休みになると、
煙草を吹かしながら、買ったばかりの愛車を惚れ惚れとして眺めていたのです。
そして、仕事を終えて帰る時のバイクにまたがる姿が無茶苦茶カッコ良かった。

その彼とは、それから40年くらい経った日、
運転免許の書き換えに行った時に、試験場で見かけたのです。
「あッ、あの人だ」とすぐに分かりました。
彼は当時中学生だった私を認識できたかどうか?
でも、私は声をかけるという事が出来なかった。
よって、その彼とは永遠に、もう会う事は無いのです。
これは本当に後悔しています。

でも、ヤマハのYDS-1。
金茶色と言われ、ウォーンという独特の排気音を轟かせ、
走り去って行く姿は、強烈に思い出せるのです。

CB-72とYDS-1。
一世を風靡した忘れられないオートバイでした。





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315万円のトライアンフ

2017-09-30 21:01:12 | バイク
【クリッパーズ】 トライアンフ ボンネビル(69年式)マフラー音 純正


この動画は、以前のブログでも登場したのですが、
トライアンフ・ボンネヴィル特有の、
排気音の素晴らしさがよく出ています。

イギリス車のトライアンフは現在も製造され続けていますが、
1958年から1962年くらいだったかの、
この時代のトライアンフくらい美しく魅力的ではなくなりました。

その、トライアンフ・ボンネヴィル(650CC)が、
315万円で売られています。

「欲しい~ッ!」

心から欲しい。
喉から手が出るほど欲しい。
でも、いくらなんでも、それを操縦できる技量はもう無い。
バイクというのは、
一度「怖い」と思ったら、もう乗れないのです。
少なくとも私はそう思っています。

40歳くらいまでは、血が疼きました。
しかし、50歳にもなると、
もう乗れなくなっている、弱い自分に気づいていました。
そうなると金輪際、乗るべきではないと思っています。

ですから、315万円でこいつを買ったとしても、
飾っておくだけ。
それではあまりにも勿体ないし、
それだけの為の315万円などは、勿論無理。

だから(夢)なんです。
でも、こいつを買う幸せな奴がいると思うと嫉妬します。









世の中に、こんな美しいバイクなど何処にも無い。

世界最高のバイク・トライアンフ・ボンネヴィル。
ちなみに世界一美しい軍艦は、ドイツの戦艦・シャルンホルスト。

いいよね~。
こういった最高の美しさを眺めるというのは・・

セルモーターなどというのは無い。
エンジンをかける時は、右足でキックペダルを踏み下ろします。
バリバリっと小気味いい、それでいてリズミカルな、
トライアンフ、サウンドが始まります。

胸はこれから始まる桃源郷を想い、ワクワクします。
エンジンからは微かにガソリンとオイルの混じった匂い。
これが一層、胸をときめかすのです。
そして左手でクラッチレバーを握り、
右足でギヤペダルを踏み(日本車の左足とは反対)
おもむろにローギヤを入れます。

そして左手のクラッチレバーを徐々に緩めると、
トライアンフは、あの特有の排気音を轟かせて発車します。
その瞬間はバイク乗りには、たまらない瞬間です。

ハーレーなど眼中にありません。
トライアンフこそ、バイクの中のバイク。
トライアンフを知ったら他のバイクなどに興味は無くなります。

いいんだよな~。
で、315万円ね、チョッと言葉を失います。
こいつを買う奴は本当に幸せ者です。






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世界一美しいオートバイ

2017-07-07 03:14:57 | バイク
1963 Triumph Bonneville T120)


イギリス製・トライアンフ・ボンネヴィル・650CC
私が世界で一番美しいと思うオートバイです。
特に燃料タンクが白いタイプは本当に惚れ惚れします。

私が若い頃に乗っていたのは、
1958年型だったと思いますが、
それから1963年型あたりまでが、最もトライアンフらしいですね。
それ以降のトライアンフは、あまり良くない。
現在のタイプに私は乗りたいとは、もう思いません。

1962 Triumph Bonneville


【クリッパーズ】 トライアンフ ボンネビル(69年式)
[parts:eNozsjJkhAOz1FQjkyTTFC9vjzy3yoBiY69yJjMTAyZjMwMmAyYEcHBwAAAPOwkJ



これは、その頃あったオートバイ。
やはりイギリス製の、ノートン・ドミネーターです。
ですが、これを目にする事は殆どありませんでした。





これは、トライアンフのライバルであった、BSAですが、
スタイルはトライアンフとよく似ていたのですが、
何故かトライアンフに負けてしまった印象があります。



やっぱりこのスタイルは世界で一番美しい。



バーチカルツイン(垂直2気筒)エンジン。
これぞトライアンフ。
そして、燃料タンクのエンブレムが凄くカッコ良かった。



これは、アリエル4気筒1000CC。
見た事は一度もありませんが、
「モーターサイクル誌」で、ツーリング記を見た事があり、印象に残っています。



やっぱり、これですね。
このタイプが今でも一番美しいオートバイだったと思います。

1963 Triumph Bonneville


高速道路のサービスエリアなどに行くと、
ハーレーばかりが目に付きますが、
あのファッションは好きになれない。
如何にも、イージーライダー風のにぎにぎしいやつ。

Triumph Bonneville 1961 T120 with Rodark panniers


それに比べて、イギリスのオートバイは、謙虚でカッコいい。
オートバイの神髄は、トライアンフにありと、私は頑固一徹に思っているのです。

The Great Escape (La gran evasión) - Hilts escapes in motorcycle


映画「大脱走」で、スティーヴ・マックィーンがドイツ兵から奪って、
走り回ったオートバイが、トライアンフでしたね。







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死ぬほど愛したオートバイ

2017-06-09 23:40:27 | バイク
私がオートバイ(現在ではバイクという言い方をしますね)を、
大好きになったのは中学生になった頃でした。

最初に好きになったバイクは、
ホンダのスポーツカブでした。





いや~、もう死ぬほど憧れました。
明けても暮れても頭の中は、この青とクリーム色のスポーツカブだけ。
58000円だったかな?
泥棒をしてでもそれが欲しかった。
歌声喫茶に「かなわぬ恋」という歌がありますが、
それを唄うと何だかその頃の心境を思い出してしまうんです(泣き笑い)
私だってね、一応はそれ相応に可愛かったんですよ~。



中学校にこういったエンジン付きの自転車を乗ってくる奴が居たんです。
勿論、学校側ではそういった行為は禁止していましたが、秘密で乗って来るんです。
羨ましくて嫉妬しましたね。



そいつと同じで、多分親父さんの、こんなバイクに乗ってる奴も居ました。
このバイクは(BSチャンピオン)というバイクで、
当時はタイヤメーカーのブリジストンも、こんなバイクを造っていたのです。
その男はデブだったので、バイクに乗る姿が全然カッコよくなかった。
ザマー見ろってんだヤイッ!(半ば嫉妬)



で、私が生まれて初めて乗ったバイクが、
この東昌エコーというバイクでした。
これは、やはり学校に秘密で乗って来て、
学校の裏にひっそりと隠して置いていた友達の物なんですが、
私はそれがキーが無くても動く事を知っていて、
図画工作の時間(2時間)を抜け出しては街中を乗り回していたんです。
イヤー死ぬほど楽しい時間でした。



そのバイクはエンジンの上に付いている、このレバーを引っ張り上げる事で、
エンジンが始動するというバイクでしたが、
たった2馬力、時速50キロという代物でした。

授業を抜け出して学生服で、これを乗り回す中学生を世間は一体どう思ったんでしょうかね~。
勿論、免許なんか持ってる訳ないでしょ~(笑)

私のそんな秘密行為は誰も知らないと思っていたら、
ある友人は「知ってたよ~」なんて30年も経ってから言ったので、
私は自分の恥部を見られた様に感じて、内心、赤面しました。



この(山口オートペット)というスポーツタイプのバイクにも憧れましたが、
実際に目にした事は一度もありませんでした。



同じ山口でも、この実用車はスーパーカブと同じでよく見かけました。



そのホンダ・スーパーカブは、以前のブログにも書きましたが、
世界一の生産台数を誇る、日本が世界に誇る物凄い車です。
何せ、私達が一旦外出しようものなら、このバイクを見かけない事など皆無なんですから。
あまりにもありふれているので、もはや(空気)的な存在で、
自分がこのバイクを見たか見ないかなんて、まるで思いもしないのです。
こんな物凄い車なんて、世界中には、このバイクしか絶対に無いのです。



このバイクは(トーハツ・ランペット)というバイクで、
今は無き(東京発動機)が誇る名車でした。
バイクレースでは、スポーツカブとしのぎを削る名勝負を演じたものです。
因みに(東昌エコー)という車は、
東京発動機と、昌和製作所が共同で作ったバイクでした。



近所の酒屋さんの若旦那がいつも乗り回していたのが、
このヤマハの250CCのバイクでした。
彼はバイク好きだったみたいで、これをカッコよく乗り回していました。



そのバイクはその後、このヤマハYDSとして、
スポーツタイプバイクの創成期に輝くのです。
金茶色の塗色と、ウォーンという2サイクルエンジン特有の排気音は、一世を風靡しました。



その対抗馬がこの、ホンダ・CB-72でした。
と言うより、ヤマハよりこっちが先行していたんだと思います。
私の家の向かいにあった木型屋さんの若い職人がバイク好きで、
いつだったか、発表なって間もなくの、このCB-72を買ったんです。
当時このバイクは世間の大注目だったのです。
彼が仕事を終えて、このバイクにうち跨り、颯爽とスタートする姿は、
今でも私の眼に焼き付いているんですね。
イヤー、実にカッコ良かった。



同じ頃、その素晴らしい姿に惚れたのが、このライラック。
ライラック・ランサーマークV。
今は無き丸正自動車のバイク。
250と300CCのがあり、その特徴は、かのドイツ製のBMWと同じ、
シャフトドライブ駆動だった事です。
今でも、その美しい姿を思い出します。



私が初めて買ったバイクが、このホンダ・C-72(250CC)でした。
神社仏閣スタイルと言われた、角ばったスタイルでした。
馬力が、たった20馬力。
箱根の坂を登るのにもあえぎながら登ったものです。
今では250CCでも50馬力近くあるのですから、
まさに隔世の感がありますね。



これは、ヤマハの通称(赤とんぼ)と呼ばれたバイクで、
私が「モーターサイクル社」主催のラリーに行った時、
このバイクのハンドルを上下2段に着けてた方が居ました。
つまり、一般的な走行用とレース用のアンダーハンドルと・・・
これも(名車)の範疇に入るバイクでしたね。



そして、結論ですが・・・
私が最も、死ぬほど愛したバイクが、
このイギリス製の、トライアンフ・ボンネヴィル(650CC)です。
乗っていた月日は短かったのですが、
今でも、あの排気音、感覚は魂を揺さぶられる思いです。

バリバリバリーッ!
その音、その振動・・死ぬほどしびれた。
何だか(死ぬほど)って言葉がよく出てくるな~。



その頃のオートバイのイメージを再現してるのが、
この、ロイヤル・エンフィールドなのかな?
イギリス製の、ロイヤル・エンフィールドは1970年に倒産したのですが、
その当時、それを製作していたインドの会社が、それを引き継いで、
今でもロイヤル・エンフィールドのバイクを造っているんです。
私も以前、それを都内で見かけた事があります。

我が青春のオートバイ。
良き日でしたね。





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