
アンリ・カルティエ・ブレッソンは、フランスの写真家です。
1908年~2004年(95歳)
まだ一眼レフカメラが出来る前の、レンジファインダーカメラとして、
あまりにも有名なカメラ・ドイツの(ライカ)を駆使して、

世界的な名作写真を数多く発表しました。





私が写真に目覚めた時には、既に確固たる名声を得ていました。
私もブレッソンの写真には、大いに刺激されたものです。
また、日本版ブレッソンと言われる、
木村伊兵衛にも、大いに影響を受けました。
彼等に共通するのは、ライカカメラの名手だったという事と、
スナップ写真(いわゆるキャンディット、フォト)の世界が得意分野だったという事です。
カメラ本体が構造上、多少大きくならざるを得ない一眼レフは、
またミラー(鏡)の跳ね上がり音が響くという、音の大きさも欠点でした。
しかし、レンジファインダーカメラには無い良さも勿論あったのですが。
若かった私はブレッソンを気取ってライカを使いたい気持ちは勿論ありましたが、
それはあまりにも高価で手が出なかったのです。

私がその手足となって使ったのは、名機ニコンF。
その名機ぶりは、現在に至っても鳴り響いているといったカメラでした。
私はニコンFに標準レンズ(50ミリ)だけを付けて撮りまくったのです。
広角レンズも望遠レンズも一年間は全く使いませんでした。
それは、標準レンズくらい難しいレンズは無いからです。
でも、ブレッソンも木村伊平衛も、主に使ったのが標準レンズだったのです。
この難しいレンズを使いこなせれば、腕前は確実に上がるのですね。
当時はズームレンズは殆ど無かったし、
あっても性能的にまだまだ未熟でした。
私は、その標準レンズを目で確認しなくても焦点距離を合わせる事が出来ました。
そうでなければならないのです。
手の感覚だけで、被写体までの距離を正確に合わせるのです。
まだ、オートフォーカスなんてものは無かったし。
ライカは金持ちの道楽カメラ的な、見せるカメラといった側面もありましたが、
若くてもライカを使いこなしている人も勿論いました。
私は、いわゆるカメラマニアではなく、
カメラというのは写真を撮る為の(道具)に過ぎませんでしたから、
いい写真さえ撮れれば、カメラは何でも良かったのです。
現在、彼等ライカの名手的な写真家の作品はあまり受けません。
時代の進歩に合わなくなってしまった様ですね。
現代は、もっと刺激的で、アッと驚くくらいのインパクトが無いと難しいのでしょうね。
でも、写真の本質、真髄といった部分を私は感じるので、
やはり、ブレッソンは私の師匠でもあり続けるのです。