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河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

写真展に行ってきました

2016-11-19 04:47:49 | 写真
昨日は「師弟による東日本大震災」の写真展に行って来ました。

肝心の写真展会場の写真を撮らなかったという大チョンボ。
所沢市役所の真っ只中という会場で、
壁板一枚の向こう側では、市役所業務そのものでした。

会場に行ったら友人の山崎が居たので、早速の挨拶と見学。
先生の姿が見えないので不思議に思っていたら、
さっき受付に座っていた老人が、かの先生だという事でびっくり。
40年も経つと分からないよ~。
山崎は、私が先生の前を素通りしたので、それにビックリしていたとか。



さて、先生は一体誰だ?
みんな、いい歳こいたオヤジになっちゃって、
誰が誰やらもう分からんね。
正解は、座っている男性が、安達浩先生(81歳)でした。

話が46歳でいきなり逝ってしまった(周平)の事になると、
彼と最も親しかった山崎は涙ぐんでしまい、
こいつは本当にいい奴だなと思いました。
左から2番目、白ヒゲの隣の禿げ頭が、山崎です。

早くに行ったので、所沢航空公園を散策しました。
日本の航空発祥の地という事ですが、綺麗に紅葉していました。



航空公園駅の前には、YS-11が展示されています。
私は沖縄で一度だけYS-11に乗った事があります。

















記念館にはこんな飛行機が展示されていました。



所沢という場所は、私には全く縁の無い場所で、
どのくらい時間がかかるのかと不安でしたが、
バスを使うと意外と近いのでビックリしました。

友人たちは何度も逢っているので全然違和感はありませんでしたが、
先生はというと・・やっぱり40年の歳月はね~・・・



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師弟による東日本大震災写真展

2016-11-15 08:06:39 | 写真
11月17(木)~19(土)。時間9時~5時。
所沢市役所1階・市民ギャラリーで、
安達浩・・山崎芳郎の「師弟が撮った、東日本大震災」の写真展があります。





場所は、西武新宿線・航空公園駅下車、徒歩3分の、所沢市役所です。



私はこういう駅がある事すら知りませんでしたが、
新宿から西武新宿線で行くと、所沢駅の次の駅がそうなんですね。

新宿から行った場合、右側に下車すると、
駅前にYS-11(国産初の双発旅客機)が展示されている前を通り、
そのまま真っ直ぐ行った右側に市役所があります。



安達浩という写真家は、私も教わった事のある先生で、
「瞽女さん」・・ごぜさん
(三味線を弾き歌を唄って銭を貰い歩いた盲目の女)
その写真集など出していた所沢在住の写真家です。

山崎という奴は、私と写真学校の同期生で、
私より3歳年下だというのに、既に頭など禿げらかした釣りバカ男で、
千葉の誉田という所で写真店を営んでいますが、
彼の特技は(どんな人とも合わせられる)ことです。

寅さんが大好きで本籍を、山梨県から葛飾柴又に替えてしまった、
寅さんバカでもあります。

東日本大震災後は現地に行ってボランティア活動などやったみたいです。
また、福島原発により避難した町の写真を撮り続け、
先日、自費出版で写真集を出しました。

その写真集は、歌声喫茶ともしびの司会者・吉田正勝さんに、
先日私が、プレゼントしました。
吉田正勝さんは福島県の浪江町出身で、実家は避難地区に指定されてしまい、
事実上、もう戻る事は出来なくなってしまいました。
その写真集の中には彼の知っている場所がいっぱい写っていました。


師匠と生徒が、いまだに密な交際をしていたなんて全然知らず、
いきなりの写真展なのでビックリしました。

皆さん、ど~せヒマなんでしょ~から、行きましょ~ね。
私は幹事さん・・「中央線が好きだ」の写真家Nに、
一番乗りで「祝賀会行くよ」と電話しました。 あ、関係ないか・・

いいね、行きなさいね。行かないともう遊んでやんな~いッ!


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楽しかった暗室作業

2016-09-20 07:55:05 | 写真
暗室プリントデモ


若い頃に撮っていたのは、その全てが白黒写真でした。
カラー写真は、記念写真しか撮りませんでした。

ずっと後になって、カラーでも、
ネガフィルムではなく、リバーサルフィルムで撮る様にもなりましたが、
やはり、写真は基本的には白黒で勝負という思いがあったのです。

白黒写真となると、それは当然、暗室作業に結びつきます。
4畳半の私の部屋を、黒いカーテンで覆って真っ暗にします。
カーテンと言っても、隙間からの光を防ぐ為に、
端には目張りのテープを張るのです。
私の部屋は、いちいち暗室カーテンをセットするのが面倒なので、
常時付けっ放しで、普通は電気を点けて過ごす様になってしまいました。
思えば暗い青春になってしまったな~(笑)

真っ暗では何も見えないので暗室ランプを点けます。
それは赤い電球なので、部屋は薄暗い赤色になっています。
緑色の暗室ランプもあったらしいのですが、
仲間内でも緑色のランプを使っている奴は誰も居ませんでした。
どっちでも同じだとは思うのですが。

テーブルの上にあるのは引き伸ばし機。
引き伸ばし機には、ラッキーとフジの2種類がありました。
その他にも、確かニコンのもあった様な・・
私はラッキーを使っていました。
引き伸ばし機にフィルムをセットして下のイーゼルに載せてある、
印画紙に感光させる訳です。
その感光時間が最大の決め手でした。

印画紙には、主に月光とフジの2種類があった様に記憶しています。
どっちでも好きな方を選ぶといっても、
結局は何となく選んでいたみたいですが。
印画紙には何号という型番があった様な記憶があるのですが、
はっきりとは忘れました。

感光させた印画紙を、薄暗い赤い電球の下で、
バットと言われる四角い金属製の箱に入った現像液に浸します。
すると徐々に映像が浮かび上がってくるのです。
この瞬間が暗室では最もワクワクする瞬間なのです。
暗い中で、写真の仕上がり具合を判断して引き揚げ、
次に停止液という強烈な酸の匂いのする液体の中に浸します。
暗室は、この停止液の為に酸っぱい匂いで充満しているのです。

像が停止すると、次は定着液です。
これが済むと、もう明るい所に出しても何の心配はありません。
むしろ、早く出来上がり具合を明るい場所で見たいのです。

これは余談ですが、
この定着液を毎日少しづつ飲ませると、
医者にも解らない様に人を殺せるそうです。
これは写真の先生がそう言ってました・・・
ヒ素なんかではバレちゃうんですね。

暗室も慣れると、色々なテクニックが使える様になります。
目玉焼き・・知る人ぞ知る作業ですね。
私は一旦現像した印画紙を、印画紙同士で張り合わせ、
もう一度感光させて、独特の写真を作り上げたりしました。
また、コピーフィルムという特殊なフィルムがあり、
それは黄色い色をしたフィルムでしたが、
こいつで写真を撮ると、意外な写真になったのを覚えています。



また、新宿のヨドバシカメラでは、24フィートだったかな?
長いフィルムを買ってきて、それを普通目にするパトローネと呼ばれる
丸い筒に詰め直す作業をするのですが、
それは暗室ではなく、暗箱と言われる箱に手を入れてしたのです。

近所に懇意にしている写真屋があって、
ヒマな時など、そこに行っては時間潰しをしていました。
その写真屋のオヤジは野鳥を撮るのが趣味で、
長野県とかに時間があると行ってたみたいですが、
撮った写真を見せてもらったら、あまりの下手さにビックリ。
以後、そういった手の話をするのは禁句になってしまいました(笑)

そのオヤジの話ですが、
「暗室ランプが切れた~」と言って駆け込んでくる若者が居た時代は良かった。
母親に連れられて高級カメラをセットで売って下さいなんて、
ばか者が来る様になると、もうやってらんね~やと・・そんな事を言ってましたね。

友人に安アパートの一階に独り暮らしの小汚い男が居て、
彼は、小便は流し台で放尿。(便所まで行くのが面倒)
暗室作業で使った液体は全部、窓の外に棄てていたので、
窓の外には雑草の一本も生えていなかった。
彼の部屋は6畳でど真ん中に万年布団が敷きっぱなし、
引き戸を開けると、万年布団まで、ポーンと跳んで行くのです。
彼の部屋を訪問しても、万年布団だけが唯一座れる場所でしたね(爆)

その同じアパートにはやはり写真の仲間が住んでいました。
そいつは、薄汚いその男と正反対で、いっつも綺麗にしてました。
ちゃんと彼女なんかも居て、キチンとデートもして、
サイモン&ガーファンクルのCDなど聴いて青春をやってたな~。
どこか地方の営業写真館の息子だったけど、
今ではオヤジの後を継いで写真館やってるのかな?

暗室には色々な思い出が復活します。
あれも青春の一ページだったんですね。
真っ暗な部屋での暗い作業・・でも楽しかった。


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カメラボディーを買ってしまいました

2016-08-15 23:20:44 | 写真


この所、常時持ち歩いているカメラ・Sony・α6000。
先日、土曜日の町田の歌声喫茶でレンズ交換をしている時に床に落としてしまいました。
見た感じ何ともなかったので「大丈夫だ」と言ったのですが、
いざ、スイッチを入れると、
(レンズの装着が不完全です)みたいな警告メッセージが出てきて、
ファインダーも真っ白状態だったので、
「あ~、逝っちゃったよ」と、カメラが壊れた事を認めざるを得ませんでした。

同じテーブルに居た人達からは、
「あ~、河童さんは又カメラを壊しちゃったよ」と冷たい視線。
5月15日のブログに(高くついた墓参り)にも書いたのですが、
転んだ時にカメラを思い切り墓石に叩きつけてしまい、
思いっきりぶっ壊してしまったのでした。
その時は新品でカメラを買い直ししたので、
今回も皆さんからは、
「河童さんは金持ちだからまた新しいカメラを買うんでしょ」と、
嫌味っぽく言われてしまいました。

私も流石に自分のカメラ扱いの雑な事を認めざるをえず、
修理を覚悟したのです。
「一体、何万円かかるのかな~?」

その日の深夜、
私はカメラのボディーだけでも買い直すかなとネットを見ていたら、
中古品のボディーが45000円で出ていたのです。
新品だと61000~62000円の物がです。
思い切ってそれを注文したのでした。


さてと、翌朝、エリカさんが何気にカメラをいじくり回していたんですが、
・・・治っちゃったんです。

何がって・・壊れたとばっか思っていたカメラがですよン。
そんな~・・・

壊れたって思ったからこそ中古品のボディーを発注したってのに、
アンタは何だって治しちゃうのよ~。
「ゴッドハンド」・・まさか~?

それで、今日そのカメラが早速届いちゃったんです。
梱包をといてみたら、何と中古なんかじゃなく、
車で言う所の(新古車)
つまり、物は新品だけど何らかの事情があっての中古品。

イエーッ!
やったぜベイビーッ!新品なんだぜ~。

新品が62000円から45000円に大幅値下がりだ~。
今度からは、2台のボディーに、
広角レンズと望遠レンズの使い分けで撮るんですね。
そうすれば、レンズ交換時にボディー内に埃が入るのが防げるのですね。

落とさなくて済むしね~。
コメント (4)
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デジタルカメラという怪物

2016-08-14 12:12:43 | 写真
今の若い人が(カメラ)といえば、
それは即ちデジカメの事であり、フィルムという概念はもうありません。

私が若い頃には、
カメラといえば、当たり前にフィルムカメラであり、
それ以外の媒体など無いし、考えてもいませんでした。
写真を撮るという事は、使用する媒体(フィルム)の特性を理解し、
使いこなす様に腕を磨いたものです。

当たり前だったフィルムは既に過去の遺物(とまでは言わないが・・)
そんな存在になってしまいました。
本当にこれほど劇的な変化が訪れようとは、考えもしませんでした。


デジタルカメラは、1975年にアメリカのコダック社が開発したとの事。
コダックと言えば、言わずと知れたフィルムメーカーの大手。
「エクタクローム」や「コダクローム」といった、
リバーサルフィルムでは、圧倒的にプロが使うフィルムの代名詞的存在でした。

リバーサルの様な写真の専門家的な人が使うフィルムとは別に、
ネガカラーといわれる、一般的なカラーフィルムとなると、
日本にもフジカラーとか、コニカフィルムとかが有りましたが、
やはりアメリカのコダックフィルムは、相当の人気がありました。

そのフィルムメーカーの旗手的存在のコダックが、
フィルム不要のカメラを開発したというのは、本当に皮肉ですね。
コダック社は2012年に倒産してしまったのですから。

若い頃は別にして、
途中ブランクのある私が初めてデジカメを買ったのは、
今から15年くらい前だったか・・?
凄く小さな、ポケットに入るサイズのカメラでした。

それはすぐに物足りなくなり、少し大きなカメラを買ったり。
デジカメはフィルムカメラに比べて、小さいというのが最も優れた部分だと私には思えました。
その思いは現在に至っても変わらないので、
私は20万円、30万円といった大型で重いデジカメを買う気にはなれません。

かつてはアサヒ・ペンタックス6×7といった、
重く大きなカメラを使っていた事もありましたが、
あれを又やれと言っても、もうあんな重たいカメラを振り回す気にはなりませんね。

それに今のデジカメは小さくても、その描写性能は凄いのです。
あんな重たいカメラでなくても、充分に綺麗に写るのです。
特大のポスターでも撮るのでなければ、
素人カメラマンには、もう充分過ぎるほど充分な写真が撮れるのですね。

そして、フィルムカメラには絶対に無いもの。
それはカメラでありながら、(動画)が撮れるという点です。
これは、昔の常識で言ったら、
まさに、青天の霹靂、なんですね。

私は若い頃には、普通の写真とムービー(動画)の両方をやっていましたので、
ムービー用には、フジカ・シングル8というカメラを別に持っていました。
それが現在では、普通のデジカメ一台で、スチール写真と動画と、
両方が何の問題もなく撮れるんですから、もうビックリです。
こんなのは、昔の常識で言ったら(手品)みたいなもんです。

2008年だったか、2009年だったか・・
歌声喫茶にはまり始めた私は、歌声仲間たちの尾瀬旅行には一緒に行けず、
一日遅れとかで独りで彼等と合流すべく尾瀬に行きました。
バス停を降りて、さて写真を撮り始め様とカメラを取り出した私は・・・
「ウッソー!」

カメラにメモリーが入っていなかったのです。
つまりフィルムの入っていないカメラを持っていったと同じ事。
その日が、私にとって初めてのデジカメ旅行だったのです。
本来が写真好きな私にとって、カメラの無い旅行は、
女性の居ない世界に来たと同じ意味ですから、
その口惜しさったらありませんでしたね。

売店では、一般的なフィルムは売っているのに、
メモリーはまるで扱っていなかったのです。
「バッカヤローッ」
・・でも、本当の「バッカヤロー」は俺だったんです。(泣)

今でもあの口惜しさを思うと、地団駄踏んでしまうのです。
私は黙ってモクモクと初めての尾瀬を歩いたんですね。
いい女を見たって、それを撮れないんですから、
もう黙って死んだフリをするしかなかったんですね。

しかし、何だかんだ言ったって、世はデジタルの時代になっちゃったんだから、
フィルムカメラに比べてあまりにも難解な使用法をマスターして、
「いい女」の写真を撮っていくっきゃないんです。
時々は、歌声喫茶の写真も、そりゃま~撮るけどさ・・・
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