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河童の歌声

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死神博士・怪優、天本英世

2023-04-14 15:28:36 | 芸能


俳優・天本英世と聞いても知らないと答える人の方が多いと思うのですが、
「死神博士」と聞くと、知っていると答える人は多いと思います。

天本英世は1926年(大正15年)に福岡の裕福な家庭に生まれました。
鹿児島大学に進みましたが、1945年(昭和20年)に学徒出陣。
宮崎県に送られましたが、180センチという長身をねたまれ、
上官から鉄拳制裁の名の下にいじめを受け、そこが原点なのか(?)反骨精神を生んだ様です。





若い頃の天本英世は、そりゃイケメンでカッコ良かったですから、
彼に容姿で敵わない上官達からは目の敵にされたんでしょうね。
敗戦後の1948年(昭和23年・22歳)に東大法学部に入学。
その当時は外交官を目指していましたが、当時の政府の政治姿勢に失望し、
文学や演劇に没頭するようになりました。

1958年(昭和33年)東宝と専属契約を結びます。
天本は20代からスペインに傾倒し、独学でスペイン語をマスターしたそうです。
1972年(46歳)より「仮面ライダー」で、死神博士を演じる様になります。
これが彼を有名にする役になるのですから、分からないものですね。



天本は、スカルキャップ(例の帽子)とブーツとマント姿がお気に入りだったそうで、
そのスタイルのままで出演した事もあったそうです。

私も20代の頃、横浜の元町商店街で彼を見かけた事があります。
何かのロケ撮影をしていたらしいグループのスタッフ達に、
親し気に腰を折って挨拶をしてたのですが、
その頃50歳くらいだったかの天本英世は、
180センチの長身痩躯、細いズボンにブーツ。マントを羽織り、とに角目立つのです。
一目見ただけで(ただ者じゃない)といったムードを漂わせているのです。





1991年(65歳)からフジテレビの「たけし逸見の平成教育委員会」に、
東大出身の回答者としてレギュラー出演。
それまでの年間収入以上を1ヵ月で稼ぐ様になったと、本人がビックリしていましたね。

彼は後に世田谷公園近くのクリーニング屋の2階だったかに住み、
日がな一日そこらを散歩とかする日常を送っていたとか。
東大時代に失恋した11歳年上の女性を想い続け、生涯独身を貫きました。



スペインの詩人、フェデリコ・ガルシア・ロルカの詩を愛し、
朗請する活動を行っていました。
生涯で20回くらいスペインを訪れ、スペインの民族音楽に関しては、
日本有数のレコードコレクションを持っていたそうです。
2003年に急性肺炎の為、福岡で亡くなりました。77歳でした。
彼の遺骨は、スペインのグワダルキビール川、源流に散骨されました。

彼ほど怪優という言葉がぴったりな役者はいませんでしたね。




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絶対に観ない紅白

2022-12-23 07:37:55 | 芸能
今年の紅白歌合戦の顔ぶれが決まったそうですが・・・
私はもう何年も観た事がありません。
妻は流行歌の世界に多少なりとも関心があるので、
全部とはいかないまでも時々、チャンネルを変えて観ています。
私が観るのは、そういった時にチラ見するだけです。

で、出場者というのを見てみました。
男性22組・女性22組の合計44組なんですね。
その他に特別企画というのがあり、そこには6組の出場者が載ってました。

女性出場者で知っているのは、        
〇 石川さゆり             
〇 工藤静香              
〇 坂本冬美(多分、あの女性だと思う) 
〇 天童よしみ             
〇 水森かおり

男性出場者
〇 郷ひろみ
〇 純烈
〇 福山雅治
〇 三山ひろし(多分、彼だと思う)

この9人しかいませんでした。
というか厳密には7人ですね。

特別企画の方で知ってるのは、
加山雄三・桑田佳祐・世良公則・野口五郎・松任谷由美の5人だけ。

毎年、司会者は誰だと噂になりますが、
今年は・・・



大泉洋(顔は知ってるけど、この人って何する人?)



橋本環奈(まるで知らない)

審査員も、いつも誰になるか話題になりますが、
全部で10人の中で知ってるのは4人。
あとの方はほぼ知らない。

肝心の歌ですが、ほぼ全滅的に聴いた事もない。
知ってる歌は古い歌の焼き直し。
紅白歌合戦って、今年流行った歌を唄う番組だった気がするんですが、
そもそも、今年流行った歌なんてあったんだろうか?

今を去る数十年昔。
私の姉は、出場者の名前と歌を克明に記録してた。
私と母もそういった年越しのイベントを全員で楽しく観てた。
あの、ほのぼのとした日本人の典型的な過ごし方。
今になってみると、懐かしく微笑ましく拍手でもしたくなる様な時間帯だった。

で、今年は?
観ない、こんなモン絶対に観ない。
こんなの観たって、それは時間の無駄としか思わない。
NHKさんよ~、もう何とかしろよって・・・
そもそも流行歌の世界が、これほどまでに劣化するとは誰だって思っていなかったんだから、
もう、ドーショモナイよな。

でも、大昔楽しかったあの時間帯は何をして過ごしゃいいの?
ビデオレンタルも今は無くなってしまったんで、
観たい映画のDVDでも、今の内に買い込むしかないのかな・・・
早く年明けして、箱根駅伝を観たいね。
彼等のあの純粋さは、紅白のねじ曲がった虚構とは違うからね。



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ロバート・フラー

2022-10-10 13:16:08 | 芸能
「ララミー牧場、LARAMIE」ver2 デューク・エイセス


ロバート・フラーは、日本では1960年から1963年7月まで、
日本のテレビで放映された「ララミー牧場」の主人公の一人でした。



1860年代のアメリカ西部のある牧場を舞台にして、
スリム・シャーマン兄弟(ジョン・スミス)らと、
流れ者だったガンマン、ジェス・ハーパー(ロバート・フラー)ら、
4人が様々な事件、出来事に立ち向かう物語でした。



ロバート・フラーは1933年7月生まれで、180センチ、当時26歳~30歳。
相棒の背の高い方は、ジョン・スミスで188センチ、彼は2歳年上の28歳~32歳でした。
テレビの最高視聴率は43,7パーセントで、
これはやはり人気ドラマだった「ローハイド」の視聴率を超えたのでした。





日本では甘い顔のロバート・フラーが大人気となりましたが、



私はそれと共に、誠実を絵に描いた様な、ジョン・スミスも好きでした。
しかし、芸名とはいえ、ジョン・スミスなどという平凡極まりない名前。
日本で言うと(鈴木一郎)みたいな、聞いてるそばから忘れそうな名前ですね(笑)

あまりの人気の為に、日本はロバート・フラーを招聘しました。
1961年4月17日来日。当時彼はまだ27歳の青年でした。





その異常とも取れる状況は、まさに空前の出来事となり、
10万人のファンが殺到し、当時の首相、池田隼人氏が歓迎会に招かれるなどの社会現象になり、
それは後に来日したビートルズさえ、この様な厚遇は受けませんでした。
その熱狂がいかに凄かったかと驚かされます。



あの大横綱、大鵬さえ彼の人気には遠く及ばず。



また、テレビで彼の声の吹き替えをした、俳優の久松保夫氏との握手。

その後のロバート・フラーは、映画「続・荒野の七人」などに出演し、
2004年に70歳で映画界を引退し、
現在は家族とテキサスで牧場を経営しているそうです。

それにしても私は当時まだ中学生だったのですが、
あの大騒動、日本中が狂った様な大騒ぎは少しですが覚えています。
本当に、空前絶後ではないかの大騒ぎでしたね。
ロバート・フラーは現在生きていれば89歳。
きっと引退後、彼は「俺の人生にはこんなに輝いていた時があったんだよ」と、
周囲に語り、多少の自慢を含ませながら、懐かしんでいたのかも知れません。
あれほど燦然と輝きのあった人生なんて、それは本当に羨ましくなりますね。



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どうなる路線バス乗り継ぎ旅

2022-10-02 05:42:30 | 芸能


私が大好きな番組、テレビ東京の「路線バス乗り継ぎ旅」
第一回は2007年10月から始まったらしい。



あの太川陽介と蛭子能収の名コンビ。
私は太川陽介の明るいキャラクターが好きだった。

宿でビールを一気飲みしたり、蛭子さんのベッドにいち早く滑り込む悪戯をしたり・・
そういったキャラクターが好きだった。
2007年というと、本来テレビを殆ど観ない私は、全然知りませんでした。
私が観たのは、全部が再放送版だったのでしょう。



しかし、それが大好きになると、
その続編みたいな「バス対鉄道乗り継ぎ対決旅」も大好きになりました。
村井美樹という素敵な女優さんも知ったし。

しかし、本来の路線バス旅は蛭子能収さんに認知症の気が出てきて、
2017年1月を最後に終了してしまいました。
それに代わって第2弾として新メンバーでの番組が始まりました。



太川陽介&蛭子能収に代わる顔ぶれは、
俳優の田中要次と作家の羽田圭介です。

しかし、この顔ぶれでは観る気がしなくなってしまいました。
太川陽介に比べて田中要次の印象は暗いし、実際、明るさが殆ど無かった。
そして、何だって芸能人でもない作家先生などを起用したのか理解できません。
二人の暗い印象は視聴者からも、番組スタッフからもあまり評判は良くなく、
局はどこかで二人をお払い箱にしたかったのだとか。
それで9勝10敗と成否が負け越したのを口実にお役御免にしたんだそうな。
作家先生はこの番組が好きだったみたいで「ギャラは半分でいいから」と、
懇願したらしいのですが、それは勿論認められませんでした。

さて・・・
ここからが重要なんですが、では第3弾では誰を起用するのでしょう?



それが、どうも中山秀征らしいのです。
(この人の下の名前が読めない)
私は、この中山秀征という芸能人をあまり好きになれないのです。
彼を何かの番組で観るとすぐにチャンネルを変えてしまうのです。

何故?
天然ボケ(いわゆる、テンネン)というキャラクターの人がいます。
それはほぼ全部が女性なんですが、その個性は大好きです、とても魅力的です。
歌声喫茶界でも、私は3人のそういった女性を知っています。
これは、その要素の無い人には真似しようにも出来ない自然なものです。

しかし、テンネンの要素の無い人が、その魅力に気づいて真似する人が稀に居ます。
そうなると、それはトンデモない嫌味としてしか感じられなくなります。
中山秀征は、これとは少しニュアンスは違うのですが、
誰からも好かれる様に(受け狙い)的な言動を感じて、そこが好きになれないのです。
ですから、彼がバス旅の主演になったら、もうあの番組は観なくなると思います。

では誰がやればいいのか?と色々思っていたら、居ました適役が。



この人です。
モデル出身の俳優、照英(しょうえい)・・本名は高橋照英。
彼は明るいし、涙もろさで有名な激情家。
彼の個性だったら、行った先の人達と魂胆なく話し笑う事が出来るし、
その涙もろい個性は多くの人達の心に溶け込み、彼の虜にしてしまう要素を持っています。

あの番組はひたすら主演タレントの個性が全てみたいなものです。
それを読み間違えると、もうどう仕様もないものとなってしまいます。
とは言っても決めるのは局のスタッフ。
どうか、・・と言ってもどうにもならないけど。




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座布団運びの山田たかおが介護職へ

2022-08-15 06:21:55 | 芸能


人気番組「笑点」で38年間に渡って座布団運びで親しまれている、
山田たかお氏(65歳)が、
この程、介護職員初任者(ヘルパー2級)の資格をとったとのニュースがありました。
と言っても彼は別に老人ホームの職員として働こうというのではなく、
自分で新たな老人施設を立ち上げるという事です。

山田氏が言う老人ホームは、
大理石の建物などは要らない、ここが自分の(家)なんだという施設。
老人達が楽しく、暖かな気持ちで人生を終えられる施設を造りたいが理想という事です。
嬉しいですね。
そういう理想を貫く施設を是非、造っていただきたいと思います。

私の母は96歳で亡くなるまで、何ヶ所かの施設を回され、
最終的には横浜郊外の老健が最後でした。



しかし、ある日体調が悪くなり救急車で大きな病院に運ばれました。
そこは横浜、青葉区の田園都市線・藤が丘駅近くの病院でした。
そこで二日後に逝ってしまったのですが、
母は自分が何処にいるのかなど全然分からずのベッドで亡くなったのです。
自分が今いる場所は何処なんだろう?という気持ちは、私だったらイヤですね。
自宅で逝く人は、そういった意味では本当に幸せです。





老健側でも、そういった老人達の気持ちを考えて、
夏祭りや、誕生会など色々志向を凝らしてのイベントを行ってくれました。
でも、老人達の本当の気持ちはどうだったんでしょうか。





母がそういった施設を数か所、回されていた時、
私は何十回と母の面会に行きました。
自分が初めてそういった施設の中に入った時のショックは忘れません。
テーブルの周りを老人達が椅子に座って所在なくしています。
「この人達はいったい何をしてるんだろう?」が最初のショックでした。

みな何するでもなく、ただ黙って座っているだけ。
皆が何かを話題にして語りあう・・そんな事はまるでありません。
ただただ黙って座っているだけなんです。
人によってはテレビを観ている人もいますが、
それだって別にストーリーを追っているのではなく、
画面に写っている(動き)を意味もなく追っているだけなんです。

最もショックだったのは、私より若い(60歳くらいの)男性がいたことです。
彼はその歳で既に痴呆症なんだとか。
「あ~、嫌だ、俺は老人になっても絶対にこんな施設には入りたくない」
心底、私はそう思いました。

よく、家の中で独りポツネンとしていた老人が、
施設に入ると見違えて生き生きしてきたなんて話も聞きました。
きっとその人にはそういったムードが合っていたのでしょう。
私も母にそういった事になるのを期待していました。
しかし、母はまるで違っていました。
老人施設に馴染めず、最後まで嫌っていたのです。
ですから「家に帰りたい」と母がつぶやいた時は、
切なく、やり切れなく、どうしようもなく辛かった。

私だって、そうしてあげたい。
でも、それは物理的にどうにもならない事が分かっているから施設を頼ったのです。
今更どうなるものではないのです。
でも、私の心は張り裂けそうになりました。

山田たかお氏が言う「ここが自分の家なんだ」
それは実に、本当にそうだと思います。
みながそう思える私設であったら「家に帰りたい」の言葉は、
家族は聞かなくて済むでしょう。
そういった老人ホームを是非、実現させてください。
心からそう願っています。


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