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河童の歌声

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スポーツカーが売れない

2019-06-27 13:56:49 | 自動車
今、スポーツカーがまるで売れないんだそうです。



ニッサン・フェアレディーZ。
現在、日本のスポーツカーを代表する様な車ですが、
こいつの販売台数が、まるで目を覆いたくなる状態とか。

私が若い頃のスポーツカーは、皆あこがれたものです。
尤も当時は国産車にスポーツカーはほぼ無く、みな外車でしたが・・・
MG・トライアンフ・ポルシェといった具合に。





私が初めて乗ったスポーツカーが、これでした。

ニッサンというより、当時はダットサン・フェアレディー。
あれはフェアレディーという名前が付いていたんだろうか?

この車は他人からの借り物でしたが、
それが誰だったのか?どういう経緯だったのか?
まるで記憶に無いのです。
とに角、現在の車に比べてとても小さく、
オープンカーに布製の幌を張った車で、
幌がガタピシと派手な音を立てているのが、実にうるさかった。

そして、今に至るも、私にはスポーツカーは縁が無いのです。
というか私は車は大好きなんですが、
いわゆる(飛ばし屋)ではないので、スポーツカーにはあまり魅力を感じないのです。



その後、ダットサンはニッサンとなり、
スポーツカー(もどき)を本格的に作り直し、
フェアレディーとして名乗りをあげたのです。
名乗りをあげたどころか、
フェアレディーは世界で最も売れたスポーツカーになります。

スポーツカーという物は、
ラジオもヒーター(暖房)も無く、
無骨そのものでかっ飛ばすといったイメージを根本から塗り替え、
エアコン・カーステレオ・その他、全部付いてる車であり、
今までの無骨スタイルを蹴散らして一等賞を総なめにしたのです。
それは世界の自動車メーカーにとって、画期的な出来事でした。

その世界に冠たるスポーツカーがというと、チョッと大袈裟ですが、
とに角売れない時代となっているのですね。

私は最初からスポーツカーには向かない車好きですが・・・





こいつにだけは、乗りたかった。
というか今でも胸がときめく車です。

イギリス製の、アストンマーティンDB-5。
言わずと知れた(ボンドカー)
私は若い頃から、好きな車をピックアップすると、
何故かイギリス車に行き着くのです。

英国紳士・・如何にもそんなイメージがプンプン匂う車。
ベントレー・ジャガー・ディムラー・アストンマーティン・
そういった車に行き着くのです。
でも、イギリス車に乗った事は皆無。
でも、大好き。
アストンマーティンDB-5。
こういう車を所有したかった。



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スカG伝説

2019-04-09 09:01:02 | 自動車
スカイライン伝説の始まり


私の車遍歴は13歳の時に50CCのバイクに乗ったのが始まりです。
勿論、無免許。
14歳で今で言う原付免許(当時は許可証)を取りました。
私の誕生日の5日後に、14歳で取れる免許証は法的に無くなり、
それ以後は16歳からに改正されました。

そういった意味では、私は子供の時からの車好きでした。
その私が最も強烈な思いを持った車は(スカG)です。

スカGとは、スカイラインGTの事です。
当時はプリンス自動車でした。
その後プリンス自動車は、ご存じの様にニッサンに吸収されましたが。

そもそもGTとは・・・
英語で言うと、グランドツーリング。
イタリア語だと、グランツーリスモ。
私はイタリア語の方で呼んでいましたが。

長距離を快適に走れる車。
余裕のあるエンジンパワー。乗り心地の良さ。
運転疲労の少なさ。走行安定性など・・・



スカGの基になったのは、
2代目のプリンス・スカイラインでした。
1963年9月に登場。
4気筒・1500CC・OHVエンジン。
OHVとは、オーバー・ヘッド・バルブの事で、
シリンダーの上(オーバーヘッド)にバルブが在るという意味です。
この車は完全なるファミリーカーで、
家族4人が乗って快適なドライブが出来る車でした。

翌1964年5月。
第2回全日本グランプリレースが鈴鹿サーキットで開催されます。
プリンス自動車にはレースに勝てるような車などはありません。



そこでスカイラインの開発者である、桜井眞一郎は、
既成のスカイラインにグロリアのエンジンを、
載せるという方法を考え出します。





ファミリーカーであるスカイラインの全長を20センチ伸ばして、
そこに2000CC、6気筒・OHCのグロリアのエンジンを載せるのです。
写真で見ても鼻っ面が伸びているのが見てとれます。
OHCとは、オーバーヘッド・カムの事で、
OHVのバルブが連結棒のブレやロスが出るのに比べ、
カムは連結棒が無く、回転部分だけなので効率が良いのです。

OHV1500CCに比べ、OHC2000CCのエンジン。
それで勝負に挑んだのでした。



それに対するライバルはドイツの、ポルシェ904。
それは車のスタイルからして勝負にならない圧倒的な差。
しかもポルシェのドライバーは式場壮吉。
(彼は後に台湾の歌手の欧陽フィフィと結婚しました)



それに対してスカイラインのドライバーは、
14歳で2輪のレースで名を挙げた生沢徹です。
結果は勿論ポルシェに凱歌があがりましたが、
そのポルシェを生沢の駆うスカイラインは、
一瞬ではありましたが追い抜きトップを走ったのです。

その時のスカイラインのけな気な、全身を血でほとばしらせ、
ポルシェの足音を背後に感じながら必死の形相で駆け抜けるスカイラインの、
魂の走りは、日本中の車好きの血を最高潮に燃え立たせたのでした。

スカGがポルシェの前を走ってる。
あのポルシェがスカGの後塵を拝している。
あれほどの興奮は・・チョッと考えても身震いがする。本当に物凄かったのです。

それ以来、
スカイラインは伝説になり、名車となったのでした。





私も、スカイラインGTのファンであり、
特に4ドアのスタイルが大好きでした。
4代目のスカイラインはワインレッドに色を塗り直し、
暇さえあれば主に信州を駆け抜けたものでした。






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雪道を走るのが好き

2018-12-29 05:49:00 | 自動車


実は、私は車で雪道を走るのが好きなんです。
滑って尻を振り振り走る緊迫感が好きなんです。

雪道の常識として「登り優先」というのがありますが、
あれは本当で言うと「下り優先」ですね。

確かに、登り坂でストップしてしまうと、それ以上は進めない。
というのはありますが、
むしろ、下り坂でスリップが始まると、もうコントロール出来ない、
「対向車よ~、そこで待っててくれ~ッ」という方が優先ですね。

本当に下りで滑り出すと実に恐い。
これが登りだったら、登れなくなったら、一旦戻ってやり直せばいいのですから。



東京のドライバーの雪道での下手さは知っての通りですが、
雪道は、走って体で覚えるしか上達方法はありません。
とに角(急)の付く行為は絶対にやってはなりません。

急ブレーキ。急ハンドル。急加速。
何をするんでも、ゆっくり落ち着いてやる事です。

いつだったか、近所の急坂でチェーンを巻いた乗用車が、
急坂に恐れをなして、アクセルを目一杯吹かしているが為に、
逆にタイヤが空回りしている、なんて馬鹿々々しい光景を見て、
思わず笑ってしまった事がありました。
ゆっくりやればちゃんと登れるのにね~(笑)

広い誰も走っていない道路で、
時速50キロくらいで、思いっきり急ブレーキを踏んだ事があります。
勿論、どのくらい滑るかを実験したのです。

イヤー、面白かったですね~。
360度、一回転しました。
そういった場所がもしあったら、貴方も一度体感した方がいいですよ。
「なるほど、このくらい滑るんだな~」と体で理解できますから。

現在と違って、古い信州峠の雪道をノーマルタイヤで行った事があります。
走っている車など誰も居ません。
もうこれ以上は進めないという所まで登って行きました。
登れない以上、引き返すしかありません。
しかし、道幅は狭く、そこで方向変換するしかありません。

さて、一体どっち(前か後か)を道の脇に寄せるか?
私は悩みました。
そこで失敗すれば、車は恐らく雪溶けになるまで放置になるでしょう。
私は後輪駆動車である、(コロナ1700SL)の後輪を道路脇にする方を選びました。

道路の真ん中は盛り上がっています。
だから下がっている方の道路脇を駆動輪にして、
過重が後輪にかかる方を選んだのです。

その状態で少しづつ少しづつ車体を揺さぶり、
何とか方向転換できた時は、本当にバンザイーっと叫びたくなりました。

失敗したのは、2015年の1月。
初めて行った、信州・戸隠のロッジ・アコールデでした。
前々から行きたかったアコールデ。
急に思い立って行ったのです。

スノータイヤなど持っていないので、
レンタルタイヤを履いて行きました。
その帰り、蕎麦が食べたくなり行った店がお休み。
仕方なく元の道路に戻ろうと真っ白で何処が道路か分からない道を走っていたら、
右側から急に現れた車。
仰天してブレーキをかけたけど間に合わずに、ドッカーン。
凹んでみっともない恰好の車で帰京しました。



とに角、雪道というのは、運転が上手くなるかどうかの別れ道。
一生、下手でいいというなら、雪になったら死んだふり。
何が何でも上手くなりたいというなら、
自分の車が凹んだっていいからと、突撃あるのみ。

車の運転は「上手くなりたい」の一心がなければ、絶対に上手くはなりませんよ。





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お客さ~ん、59リッターですよ~!

2018-10-17 13:05:37 | 自動車




これは私の若い頃の愛車だった、
4代目のニッサン・スカイラインです。
私はこのスタイルが好きで好きで・・・

写真では若干のシャコタン(背を低くする)に改造していますが、
私はそういった改造はしませんでした。

しかし、30万円かけてやった事があります。
色をワインレッドに塗り替えたのです。
いわゆるオールペン(全塗装)



私が塗装屋さんに指定した色は・・・
イギリス車のジャガーのワインレッド。

写真のジャガーはその当時より新しい型ですが、
私の時のジャガーの色は、もっと素晴らしかった。と思う。

とに角、指定を受けた塗装屋さんが最初にやった事は、
あちこちの中古屋さんに行って、
ワインレッド色のジャガーを探し出す事でした。

中古車というのは年月が経っているので、
当然、色あせし本来の色とは違ってくるものです。
そんな中で、塗装屋さんはどうするかというと、
後のドアを開けた時の、タイヤハウスの丸い出っ張り部分。
そこが最も色あせしていない部分なのです。

その部分から見本を取って、色合わせをするのです。
そして完成したスカイラインの美しい事ったらありませんでした。
本物のジャガーより、いい色になっていました。
それはそうです、私達が見ているのは、
少しづつ色あせしたワインレッドなのに比べ、
全くの新車といっていい色がそこにあるのですから。
その素晴らしさにはため息と共に、うっとりしました。

私はワインレッドのスカイラインを駈って、
休日前夜ともなると出撃し、
主に信州一帯を昼夜を挙げて走り回ったものでした。

さて、ある時ガソリン残量が残り少なくなりました。
私は悪い癖で給油回数をあまり取りたがらないのです。
スカイラインのガソリンタンクは60リットル。
ガソリン残量の警告灯が点き始めましたが、
私は、そこから何キロ走るとガス欠するかを大体把握していました。

面倒なので私はギリギリまで粘りました。
そして、次のスタンドで入れないとアウトという所まで粘り、
とあるガソリンスタンドに入りました。
そこは軽井沢でした。

給油をするスタンド店員。
しかし、彼の顔つきが段々、不安顔になってきました。
「エッ、おかっしいな~?」

やっと長い給油が終わって、
レシートを持ってくる彼の声が、若干震えています。
「お客さ~ん、59リッターですよ~!」
そうなんです、スカイラインのガソリンタンクは60リッターなんです。
残り1リッター。
そりゃ、おっかしいな~?ですよね。

この話を妻にしたら、
あるテレビ番組のドッキリで、
軽四輪を改造して、最も大型のガソリンタンクを積んで、
スタンドに行ったそうです。
多分70リッターとかなんでしょうね。
軽四輪のタンクは普通40リッターとかだと思いますが。

鼻歌交じりで給油する店員。
その内、彼は車の下を覗き込んだりします。
だって、いくら入れたって満タンにならないんですから。
いくらなんでも不安になりますよね。

でも、こういったドッキリって面白いですね。

私の場合も、そんなドッキリを思わせましたね。
店員も「これってドッキリじゃ?」と、
思ってくれたかな~?

でも、後になって思い出すと面白かったな~。
「お客さ~ん、59リッターですよ~」






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フォルクスワーゲン・トランスポーター

2018-08-28 06:40:27 | 自動車
Die Geschichte des VW Bulli Motorvision blickt zurü


ドイツのフォルクスワーゲンが製造した、
この、トランスポーター・シリーズは、
1950年(昭和25年)に製造が開始され、
日本には1953年(昭和28年)から輸入販売されました。

当時のスペックは、
全長4,1メートル。全幅1,7メートル。高1,9メートル。
車重1045キロ。
エンジンは、水平対向(これは日本のスバルと同じ)4気筒。
4サイクルOHV・1131CC。
25馬力・最高速度80キロ。





驚くのは、1045キロという軽さ。
そして25馬力という、現在では250CCバイクにも劣る性能。
よって最高速度は、たった80キロ。
この性能では、現在の高速道路を走るには、
青息吐息・気息奄々状態で、アクセルは常に目一杯。

とはいえ、このスタイルは、あまりにも魅力的。
そして、当時は多分珍しかったのかな・・
全輪独立懸架・・つまり乗り心地が良かったのです。











その為に、あらゆるタイプが製造されました。
トラック・ライトバン・マイクロバス・乗用車・・



運転席の窓の後には、同じ大きさの窓が、
きれいに4枚並んでいるという可愛いスタイルが何とも言えませんね。

最終的には、
1493CC,53馬力、時速105キロとなり、かなり余裕も出ましたが、
それでも現在の車から見れば、可愛いものです。
しかし、累計生産台数は200万台を越す、大ヒットでした。


さて、これが現代の日本で再び脚光を浴びている、
というか、これの模倣版がかなり存在するのです。





こういった具合に、軽四輪を、
フォルクスワーゲンに似せた車をよく見かけるのです。

それどころか、
先日は、軽四輪ではなく、
ハイエース並の中型車を、同じ大きさの窓4枚にして、
前面もフォルクスワーゲンそっくりに改造した車を見かけました。

現在、日本のワンボックス車は、
「おっかない顔」の車が多いのですが、
こういった可愛く、優しい顔の車が、
人の心を和ませ、愛着・親しみを感じさせるから、
安くはない改造費をかけても造るのでしょうね。



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