私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

藤井茂弥という女

2012-03-03 10:47:31 | Weblog
 随分と遅い今年の春ですが、庭にある梅の小枝の蕾が、一昨日・昨日と続いたほんの少々の暖かい春風に誘われたのでしょうか、其の先っぽにあるかなきかのような薄緑を浮き立たせ、随分と遅い梅の開花とはいえないかもしれませんが、梅からの春の一便りが届きました。また、これも例年ならもっと遅いのですが、どうしたことか分からないのですが、今朝も、2,3日前より随分上達した鶯の囀りを沢山耳にすることができました。

 そんな我が吉備津ですが、吉備津と言えば、誰でもがご存じの藤井高尚大人を生んだ土地でもあります。しかし、この藤井高尚なら兎も角、「藤井茂弥」という名前は、恐らく此の吉備津だけでなく岡山県でも、余程郷土史の深い研究をされているお方でもご存じではないと思われます。
 この人は、藤井高尚の奥様です。高尚の影響かも知れませんが、文化文政頃の吉備津に於ける相当な女流歌人であったことは確かです。ということはそれだけ此の地では和歌を詠んでいた人が多くいたと云うことです。なお、此の事については、高尚の書簡にも「自分は遊女の理加に歌詠みを教えた」と、書き残しています。それぐらい多くの人が、当時、この吉備津の地で、風雅の気風を味わっていたと云う証拠ともなるのです

 この人の歌に、

    “なつかしき 香にこそ匂へ 誰かやとの
                     梅さきたりと 告る風そふ”
 
 という歌が残っています。
 2,3日来の温かさに誘われてか、それこそ今日のような天気だったのでしょう、少々うすら寒さの温かさの中でほんのりと顔をだした梅の花の何とも云われぬ香りにいじらしさ共感して歌った歌なのです。茂弥さんの人となりが伺われる歌のように私は思われて仕方ありません。

 どうでしょう。いい歌でしょう。そんなに有名な歌ではありませんが、私には日本の秀歌の中の一つに入るよう名歌だと思います。
 なお、この歌は永山卯三郎の「岡山県通史」にも紹介されています。

 そんな雰囲気を漂われる今日は3月3日雛祭りです。

      
 
 今年も、昨日、我が家のお雛様を出しました。・・・・・・おっと、これは蛇足ですが。

備前吉備津神社の神池は太古の港か???

2012-03-02 19:38:50 | Weblog
 吉備線の一宮駅を下りて踏切を渡ると、目の前に大きな備前焼の立派な狛犬が出迎えてくれます、其の傍を通り参道を西に進むと左右にやや大きな神池があります、其の池には島があり、右側の島が鶴島で、もう一方が亀島です。この二つの島にも、吉備津彦神社の末社がそれぞれお祭りされてあります。住吉神と宗像神です。この二神様は、何れも海に関係がある神様で、航海の守護神なのです。それがどうしてこの吉備津彦神社の前の池の島の中にお祭りされているのでしょうかね。其の事について考えてみました。

 この地域一帯は太古の日本といっても、奈良平安頃迄は、「吉備の穴海」と呼ばれていた所で、海人部の活躍していたところなのです。仁徳天皇の時代のあの黒媛の父親も海人部直だったとされています。また、平安時代に、この一帯の海を支配していたのがあの平家物語に出てくる「難波経遠(なんばつねとう)」一族だったと思われます。江戸の始めぐらいまでは、現在の吉備津彦神社辺りまで、海が入り込んでいてたのではと考えられています。
 
 なお、此のお宮さん近くには「吉備津」もそうですが「楢津」「平津」「津島」等という地名が今でも残っています。ということは、此のお宮さんが出来た頃には、この辺り一体に沢山の大小の港があり、そこを中心とした大きな勢力を持った穴海の支配者(その代表的人物が難波経遠や妹尾兼康など)がいて、その人達の手で、海の航行の安全を祈願する神様を一つじゃなくて、序での事に住吉・宗像のふたつの神様を並べて、吉備津彦神社の辺りに造ったのではないかと考えても、決して、不思議ではないと思われるのですが。それが現在にまで伝わって来たのではないでしょうか???どうでしょうかね。

郷土の誇りが偏った郷土愛に

2012-03-01 18:32:41 | Weblog
 今ある吉備津彦神社の一番古い建物は元禄十年池田綱政は復興させたものだそうです。しかし、この建物の多くは昭和初期の火災でほとんどが焼失されたのだそうですが、幸いなことに、本殿と随神門だけは被災せずに残ったのだそうです。

 まあ、ともあれ「吉備の中山」に備前備中の一宮が2ケ所にも鎮座ましますということは全国的に見ても大変珍しい吉備の国にしかない例なのです。どちらが先に出来たとか、どちらが優れているとかいうのではなく、2つもの大変美しい壮大な神社が此の地にあると云うことはそれだけでも希有なことで、それを誇りにしてもいいことなのです。
 でも中には、どうしても此のお宮さんが一番だと言いたい輩がいらっしゃるようですね。それが郷土愛というのかもしれませんが??????