私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

ビスカイノが見た日本

2012-03-22 20:48:55 | Weblog
 1611年頃、慶長年間です。其の当時の日本の国の統治について、ビスカイノの報告がこの金銀島探検報告書の中に書いてありますので、それをご紹介して、長い間お付き合いくださいました、ビスカイノ報告書とのお別れとしたいものだと思っています。

 まず。最初に
 
 此の国に於いて皇帝(将軍)も領主(大名)等も少しも確定安全なることなし。蓋し他の人々の官職を有するは暴力に拠る所にして、力多き者多く達成するが故なり。」

 と、この報告書には書かれています。

 この報告書が書かれたのは1611年のことです。江戸幕府が家康によって開かれてから、いわゆる徳川政権に代わって間もなくのことです。世の中は、いや徳川だ、いや豊臣だと、依然として旧体制の持続か否かということについて、国中を上げて、議論沸騰の世でして、誠に不安定な戦国末期の社会なのです。
 戦国の名残りを引いた、力によって、依然と、世の中の地域的な安定が保たれていた時代です。統一日本何て事は考えていなかった時代なのでう。正義だ、倫理だ、道徳だ、そんな社会実序の道徳が、端から世の中にあるなんてことが誰も考えてはなかった時代の出来事です。兎に角、力がものを云う社会です。

 そん様子をビスカイノは「官職を有するは暴力に拠る」と言わしめたのだと思います。武士が支配する下剋上の混沌たる力の支配する無秩序な世の中です。その力を暴力という言葉でビスカイノは表現したのでしょうか。現代のわれわれが使っている暴力という観念と同じような感覚でその暴力という言葉の意味をビスカイノは捉えていたのではないかと思われます。的確な世相の観察眼だと思われます。
 そのな下剋上の社会でもやはり古代からの日本文化の伝統が根強くあったからこそ徳川幕府も成立できたのだと思われますが、その辺りの歴史観は、イスパニア人には、到底、理解できなかったことではないかと思われます。