私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

敬業館

2012-03-08 10:16:54 | Weblog
 未曽有の災害が東北地方を覆って漸く1年が過ぎようとしています。
 この地震について、我が吉備津で行われた昨日の「中山尚歯会」の中心的人物、藤井高尚と随分親しくしていた、京の国学者「城戸千楯」の紙魚室雑記に書かれている地震体験を取り上げて、次に、今度は地震の記録として書かれた笠亭仙果の「ないの日並」、更に、さかのぼって慶長年間に体験したイスパニア人ビスカイノの地震記録などを取り上げてきました。それが、総て終わらないうちに、いつもの浮気性分で正月の吉備津の行事等をご紹介しているうちに、あの3・11の一周年が来てしまいましたが、あと一回だけ、この高尚先生の私塾について取り上げてみます。

 吉備津神社には、今、梅林になっている辺りですが、江戸の初期の絵地図によりますと、この辺りに三重の塔があったと書かれています。この辺りは高尚の時代には、もう三重塔はなくなっており、そこには「敬業館」という建物が立っているように画かれています。
 此の館は今はありませんが、その説明によると、ここで高尚が彼の学問所である私熟を開いていたと言われております。そのため社家の中から多くの歌文が上手な人達が多く出たのは事実です。昨日の中山尚歯会も、そのような文学的素養を付けた多くの人が育っていたために、此の狭い地域でも結構開く事が出来たのかもしれませんね。

 一人の非凡な人物はその土地全体をその人の影響で文化的な価値ある土地に高め上げることができるものだと感心させられます。当時、この宮内では遊女まで和歌を頻りに詠んでいたと言い伝えられてます。それらの女性に対しても高尚は和歌の指導をしていたようです。