私の町 吉備津

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大和の加夜臣奈留美命が吉備津神社を????

2010-12-02 16:39:39 | Weblog

 吉備の国は、大陸や半島からの多くの渡来人がもたらした高度な文化や技術によって強大な国にして行ったことは間違いないのですが、しかし、それら帰化人が実際に、どのように関わっていたかはよく分かってはいません。
 しかし、わずかですが、当時の中国や朝鮮の国々と関係があったのではないかと思われる言い伝えや伝説が、吉備地方に残っています。その一部をご紹介してみます。

 まず、「加夜臣奈留美命(「かやのおみなるみのみこと)」です。

 吉備津神社の社伝によりますと、吉備津神社の社殿を造営したのは「加夜臣奈留美命」と言う人で、この人が、吉備地方平定の為に大和から派遣させて来ます。その時、命は、吉備の中山の麓に「茅葺宮」を造り、そこを拠点にして吉備地方を大和の勢力下に置きます。その跡に、吉備津彦命を祭る社殿を造ります。これが吉備津神社の始まりだとしています。この「加夜臣」というのも、朝鮮半島で新羅等によって滅ぼされた金官加耶からの帰化人と何らかの関係があると思われます。
 この事からも、吉備と朝鮮半島との関係の深さが伺われます。
 この「かやなるみ命」を祭っている神殿は、大和の明日香村にあります、ぢうして大和政権の一翼を担ったと思われる大和の神が吉備に来て、天皇家の皇子の社を作らねばならなかったのかは不明ですが、朝鮮からの帰化人を語る時にはどうしても見逃すことが出来ない話だと思われます。

 「加夜臣奈留美命」が吉備津神社を造営して以降、その神官が「賀陽氏」を名乗ったのだそうです。これも、又、吉備津神社と吉備の国と朝鮮半島からの帰化人と、どのように結びついているのかは不明ですが。


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