私の町 吉備津

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吉備って知っている  58 細谷川を歩く⑥

2008-12-02 19:28:08 | Weblog
  もう40年以上も昔から、戦後の激動の昭和史と一緒に歩んできたと言っていい吉備津神社の朝詣会は、この12月1日をもって最後となり、大勢のフアンと共に惜しみながら、いつもの通りの豆ごはんと誠に質素なおかずに、それでも感謝しながら舌鼓を打ちました。
 私は、これが最後ということもあり倉敷から2人の友人夫妻を招き一緒に頂きました。
 「どうしてやめるのか。おしいことだな」
 と話しながら、拝殿で最後となる朝詣会のお祓いを受けます。続いて、本殿に上り、中陣に恭しく正座して神の御加護を頂きます。代表者による漆も真新しくなった朱の檀で玉ぐし奉奠も済み、再び拝殿へと階段を降ります。
 いつもながらの朝のすがすがしさが誰もの身をも包み、敬けんな思いが胸に押しいるようでもあります。人々は、ただ、無言で、自分では決して発てない足音を、それでもなお探すがごとくに一歩一歩いとおしむ様に降りています。
 神殿から拝殿までのたった七段の歩みがこれほど重々しく感じることは他では味わうことができない歩みになります。人は誰しも、下を向いて静々と拝殿まで降ります。
 拝殿に降りると、今度は、次の直食(なおらい)へと砂利のお庭を進みます。
 葉っぱをすべて落した大銀杏の木が朝の大空のにつったています。真っ青な空が光っています。
 いよいよ直会の会場です。最後ということもあって近来まれなる大盛況、大勢の人が、直会の会場の隅に、また、待合の椅子に腰をおろして無言で、黙々とただ順番の来るのを一途に待つだけです。今朝の賄い方の大変さを思って待つだけです。 赤白の衣装をひらめかせながら巫女さんたちも額に汗しながら小忙しく賄っています。

 ようやく順番がやってきました。ここでは待つということは、普通のお店やんかとはまた違った、もっと何か楽しみみたいな妙な気分にさせてくれるようでもありました。
 やるせないせつないような今朝だけしか味わえない特別な最期の朝詣会の直会でした。

 そなん朝詣会を済ませ、遠来の友を案内して、これもまた吉備津だけの特別な秋の風景である「もみじせぬ細谷川」に案内しました。
 「これは真っ赤にならない種類のモミジを植えているのだ。きっとそうだ」
 「きっとそうだ。わざわざそんな木を選んで昔の人が植えたのだよきっと」
 「もみじが赤くならないのはちょっとばかり変だが、この赤ではない黄色も又なかなか いかすよ。細谷川とあうんじゃない。いや絶対に合う」
 てんでバラバラそんなことをてんでに口々におしゃべりしながら、2、300mぐらいしかないのですが、自分達の細谷川の秋、を結構楽しんでの散策でした。

 四節を持つ日本人であってよかったとしみじみ感じた平成20年12月1日でした。

 


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