古事記の中で、伊邪那岐命は、黄泉の国にいる死んだ妻、伊邪那美の「ウジ」を見て、怖くなり、急いで高天原の国へ逃げ帰るります。怒った伊邪那美命は大勢の黄泉軍に、伊邪那岐命を追わせます。何回かの危機があって。ようやく伊邪那岐命は、黄泉の国の比良坂の坂本に着きます。そして、そこにあった桃の実3個をとりて敵に投げつけます。(記には「待撃」という字を宛てていますが、「マチウツ」)。すると、千五百もの黄泉軍は、戦わずしてたちまちの内に、悉く黄泉の国目指して逃げ帰ったとあります。
これから見ても、桃の力の程が知れます。戦わずして、敵を撃退する事が出来る霊力が「桃」にはあるということです。桃は鬼のたぐいの最も嫌いなものであったのでした。
本居宣長は、この比良坂は黄泉の軍が逃返った坂で坂返(さかがえる)としています。反対に、伊邪那岐命のように黄泉(よみ)の国から帰ったのが「よみがえる」で「甦る」になったとも言われています。
又、この他に、「今昔物語」にも、鬼が来るのを防ぐのは、門に物忌の札を立てて、桃の木を切り、塞いだということも書かれています。その他「西宮記」には、桃の弓と葦の矢で鬼を防いだともか書かれています。
要するに鬼のたぐいを来させないようにするには、桃の木を持って防ぐのが一番よいのだそうです。
私事(ひとりごと);
我、桃太郎のお話は、この古事記などが元となって、作られたのではないかと思われます。
昔、まだ、大和の勢力がこの地に及ぼされてない時です、吉備地方の豪族に温羅一族が住んで支配していました。大和は、この吉備を早くから自分の支配出来る国にしたかったのですが、なかなかこの吉備の大国は「うん」と言いません。そこで、力づくでもと、吉備津彦命を派遣します。
大和の都合のよい話しにするために、この温羅を、悪者、即ち、鬼にしたのです。そして、鬼が一番嫌いなものは、高尚先生が言われるように、『桃』です。この「桃」という字を、温羅を退治した吉備津彦命に当てはめて、「桃太郎」という名に変えて、『温羅』を鬼に仕立てて、いかにも正義有らしめた、誰にでもすぐ分るような昔話を作り上げたのではないでしょうか。
前に書いた「さる、きじ、いぬ」の話にしても、この「桃太郎」のお話を作った人の頭のよさには感心させられます。
これから見ても、桃の力の程が知れます。戦わずして、敵を撃退する事が出来る霊力が「桃」にはあるということです。桃は鬼のたぐいの最も嫌いなものであったのでした。
本居宣長は、この比良坂は黄泉の軍が逃返った坂で坂返(さかがえる)としています。反対に、伊邪那岐命のように黄泉(よみ)の国から帰ったのが「よみがえる」で「甦る」になったとも言われています。
又、この他に、「今昔物語」にも、鬼が来るのを防ぐのは、門に物忌の札を立てて、桃の木を切り、塞いだということも書かれています。その他「西宮記」には、桃の弓と葦の矢で鬼を防いだともか書かれています。
要するに鬼のたぐいを来させないようにするには、桃の木を持って防ぐのが一番よいのだそうです。
私事(ひとりごと);
我、桃太郎のお話は、この古事記などが元となって、作られたのではないかと思われます。
昔、まだ、大和の勢力がこの地に及ぼされてない時です、吉備地方の豪族に温羅一族が住んで支配していました。大和は、この吉備を早くから自分の支配出来る国にしたかったのですが、なかなかこの吉備の大国は「うん」と言いません。そこで、力づくでもと、吉備津彦命を派遣します。
大和の都合のよい話しにするために、この温羅を、悪者、即ち、鬼にしたのです。そして、鬼が一番嫌いなものは、高尚先生が言われるように、『桃』です。この「桃」という字を、温羅を退治した吉備津彦命に当てはめて、「桃太郎」という名に変えて、『温羅』を鬼に仕立てて、いかにも正義有らしめた、誰にでもすぐ分るような昔話を作り上げたのではないでしょうか。
前に書いた「さる、きじ、いぬ」の話にしても、この「桃太郎」のお話を作った人の頭のよさには感心させられます。
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