私の町 吉備津

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「いけえ」 こんな備中地方の方言知っていますか??

2011-01-20 13:54:08 | Weblog

 古事記はちょっと置いといて、今日は、もう、とっくの昔になくなってしまったのではと思えるような備中地方の方言について書いてみます。
 黒姫の続きに、突拍子もなく、こんなつまらねえことを書きますと、我ながらに、「てえげえにせえよ、おめは でえれえ ええかげんな男じゃのう」と、また、あの筆敬氏から、お叱りを受ける事は確かだと思われるのですが、気が付いたからには、今、書いておかなければ、明日には完全に忘却の彼方に逃げ去ってしまいそうですので書きます。「いかい」という言葉です。・・・・・ご存知ですか。「いかい」?・・・「それは何だ。そんな言葉聞いたこともねえで」と、お思いのお方が多いのではと思われます。

 というのは、今朝、東郷 豊が書いている新聞小説「青銭大名」の中で見つけました。
  「何さ、今日はいかい稼ぎが良かった。かようなものを得たが、・・・・・」
 と。

 この「いかい」という言葉は、我々が、随分と昔になるのですが、平生よく口にしていた「いけえ」という言葉と同じ語源の言葉ではないかと、ふと頭を横切ったのです。その思いを、「黒日売」はほっておいて、書かずにはおれなくなった次第なのです。

 随分昔と、いっても、昭和15、6年頃の事になるのですが、私の家もそうですが、当時の農村では、2、3軒で、共同で使っていたのではないかと思われる「釣る瓶井戸」がありました。生活用水は、総てこの共同の「釣る瓶井戸」に頼っていたのです。ご飯を焚くのも、洗濯をするのも、お風呂も雑巾掛けも、総て、この井戸水に頼って生活していました。だから、井戸端会議等という言葉が生まれたのです。もし、昔から現代のような水道に頼った生活ならば、決して生まれてはこなかった言葉だと思われます。
 まあ、そんなことは兎に角として、農村でも都会でもそうですが、この井戸を中心として生活と言いましょうか、ご近所が成立していたのです。井戸が生活の要だったのです。すると、どうしても、みんなして井戸を守らなくてはいけないという思いが生まれます。その為には、何時も井戸の周りは、きれいに衛生に気をつけなくてはならないという思いが自然に生まれてきます。また、その必要もあったのです。ペストだとかチフスだとかいう恐ろしい病は、常に、この井戸を媒介して起っていた事を誰も知っていたのです。だから、「井戸の周りでは決して遊んではならない」という事は年端の行かない子供たちでも知っていたのです。若し、そこで子供たちが、仮に、立ち小便でもしようものならば、誰かれなしに見つけられ次第に、お尻を引っぱたかれ、こっぴどく叱られます。理屈も何もあったものではありません。「だめなものは、だめなのです」という教えが厳重に守られたのです。そんなことを通して、やっていいことと悪い事の区別が、言い換えますと、子供たちへの社会による教育が、年端の行かない子供まで、はっきりとなされていたのです。 
 そんな社会生活の要であったのがこの井戸なのです。その井戸を使っている家数軒のおっさんたちによる井戸替えも、数年に一回ぐらいの程度で、秋口が多かったように思えますが、必ず、していました。大体1mか1.5mぐらくいかの大きさの穴が地下4~6mぐらい掘られ、その周りは高梁川の川原から取って来た丸い大小の石が上手に積み重ねてあります。その石を上手に伝っておじさんたちは底まで下りるのです。「とうやん」と呼ばれてい左官のおじさんが何時もその役をしていました。底まで下りると、竹で編まれた泥浚い用の「テミ」と呼ばれていたと思うのですが、それを使って、底に溜まっている泥を掻き集めて、外に出すのです。これを「ベエスケ」と呼ばれていたと思うのですが、竹を編んで〈こせえた〉入れ物に、「テミ」ですくった泥を入れると、地上にいた他のおっさんたち「すけやん」「やっさん」達の男たちが、その「ベエスケ」いっぱい入っている底にたまったいた数年間の泥を何回となく引き上げます。

 そなんな時だと思うのですが、周りで見ていたまだ私が、4歳か5歳だったと思うのですが、その「とうやん」が入って行った暗い井戸の底から、狭い井戸の石を積み重ねた壁を伝わって反響したのでしょうか、何か奇妙な、よくいたずらした時など祖母から聞かされてい「ミサキ様」という人食い鬼の声ではないかと思われる様な声が聞こえてきました。
 「ことしゃあ、いけえあるぞ。ほねがおれるど」とか、なんとか。この「いけえー」という言葉の何と恐ろしかったか。「えー」という音が、なんとも云えず空恐ろしく、恰も地獄底から響いて来る閻魔様の声ではないかと思えたのです。私は、その声の余りの恐ろしさに、突然に、白いかっぽう前掛けの中に顔を突っ込んで、おばあさんを驚かしたことなどが思い出されました。

 今では、とうの昔に忘れてしまっていた懐かしいこの「いけえ」という言葉が、今朝の新聞の中い突然に降って湧いたように出ていたのを目にして、何をさておいても、今日はこれを書かなくちゃと思いついたのです。
 なお、われわれがその昔使っていたこの「いけえ」という方言の意味は。「ぼっけえ」「でえれえ」「どえれえ」「ぎょうさん」等と同じように数的に多いという事を表す方言として使用されていました。これらの方言には、それぞれの、又、多少の意味の違いはあります。「ぼっけえある」と「いけえある」とは、その使い方には、勿論、違いは当然あります。

 この「いかい」という言葉が出ていた新聞を読んで、しばらく、この昔の思いに馳せて、何となくぼんやりと思いに耽っていたのですが、家人からの「ねにゅうしょんでえー、はようしてえなあ。わたしゃあいそがしんでえ」と、せき立てられます。私は、無言で、大急ぎで、食卓を離れました。


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