私の町 吉備津

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仁徳天皇の世 (古事記より)

2011-01-19 21:31:34 | Weblog

 仁徳天皇といえば、三年間も税金を、一切、取らなかったというで有名な天皇です。その様子を、古事記には、次のように書いています。

 ある時、天皇は、高い山に登られて四方を見渡たされます。するとどうでしょう。ご飯を用意しようにも、米がないのでしょうか、どこの家の竈からも煙が立ち上っていなかったのだそうです。当時の人々がかいかに「貧窮」ーこれを(まづし)と読ませていますーしていたかわかります。そんな様子をご覧になった仁徳天皇は、直ちに、「税は、3年間、一切徴収しない」という詔を発し、直ちに、実行したのだそうです。
 
 「高速料金は只にする」などと、国民との間に約束したマニフェストを、税収が不足するからと言って、安易ではないにしても、反古にするような腰砕けのどこかの国の政治家とは違います。
 
 そうしますと、当然のことですが、 国家には、3年間、一銭も税が入らないのです。国家財政は、当然、破綻するに決まっています。結果、「大殿は破壊(やれこぼれ)て、悉くに雨漏れども、修理(つくらひ)たまわず」です。楲(ひ)?でその雨漏りを受けて、雨漏りがしない所で政務を行ったのだそうです。このように徹底的に国家財政の無駄を省き、ひたすら財政の立て直しをしたのです。

 それが三年間続きます。すると、人々の竈から煙が立ち上るようになったのです。それから、漸く、税を徴収して、以後、天皇も国も栄えたというのです。

 又、この仁徳天皇の時代には、我が吉備地方にも多くの秦人が入って来て、秦・半田・幡多・土田などの地名のある場所の土地を切り開いて、新しいを作ったと言い伝えられてはいますが、大和の秦人の活躍については、特別に、古事記の中に見る事が出来ます。 「茨田堤、茨田三宅、丸邇池、依網池、難波の堀江、小椅江、墨江之津等を作った」と、。

 なお、この記事が見えるのは「三年間も税と取らなかった」という史実より前に書かれています。よほど、当時、秦人の活躍が目立ち、それらの人々によって国家財政再建がもたらされたからではないでしょうか????


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