古事記の仁徳紀の最初に書かれているのが、3年間税と徴収しないという天皇の仁政です。仁徳天皇を国民は「聖帝の世」と言って奉ったのでした。
さて、この後に書かれているのが、わが吉備の国の超美女「黒日売」の記事です。以前にも、このブログで「吉備の国の美女」の一人としてご紹介しましたが、「其容姿端正(かおよし)」とお聞きになって天皇は自分の妃にと思って侍らせたのです。
ここまでだったらどういう事もなく、特別に歴史にその名を刻まれる程の事でもなかったのですが、ここに誠に個性の強い一人の女性が天皇のお側に、というより、皇后としてお仕えしていたのです。ご存じ、あの「石之日売」大后(いはのひめおほぎさき)です。
この大后について、古事記は、次のように書いています。原文のままの方が、その描かれている様子が、よりリアルにお分かりになるのではと思いましたので書いておきます。
「甚多嫉妬。故天皇所使之妾者、不得臨宮中、言立者、足母阿賀迦邇嫉妬」と。これは次のように読むのだそうです。
「はなはだ ウハナリ ネタミシタマイキ 。かれすめらみことの ツカハス ミメタチハ ミヤノウチヲモ エノゾカズ。コトタテバ、アシモアガガニ ねたみたまいき」
要するに、もし、天皇のお情けを受けようでもしたら、皇后の嫉妬がどのような形で仕打ちとして我が身にかかるかもしれません。“危うきに近寄らず”の例えで、出来るだけ天皇のお傍から離れて、顔を合わせないようにして、仕えて居ったのです。この天皇にお仕えしている女性は「妥女(うねめ)」と呼ばれた、地方の豪族たちの子女の内から選りすぐられて、天皇に献上された見目麗しい美女たちのようでした。
この妥女たちの中でも、当時一番の美女として名高かったのが、吉備の国の「黒日売」です。天皇がほっとくはずがありません。お手は付きます。皇后の「甚多嫉妬」に会うのは当然です。どのような仕打ちに、この吉備の美女はあったのでしょうか????
さて、このお話どうなりましょうや。また明日にでも。本日はこれまでにござります。
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