高尚は、また、鎌倉・室町二期の勅撰和歌集にもその論を展開しております。玉葉・風雅和歌集です。一般に此の集については、伝統を踏襲するを良とせず、斬新を表現する大胆な技法が重んじられ清新自然な風体を大切にしたのですが、この作風に付いても言及しております。
なお、玉葉集は鎌倉期、風雅集は室町期の勅撰集です。
これ等の歌集について高尚は、
“こはむかしよりいやしみて歌によまざりしものさへ、情をさへとり出ていふからに、事のこころしらぬ人は、めずらしくおもしろくおもひてほめやはしよみあへり。これなんとるかたなくくちおしききはなりける。”
と。こなん歌がもてはやされているとは、甚だ、情けない限りだと嘆いております。そして、“いずれもまことの歌のさまにはあらねば、なまなびならいそ。”「決して、こんな歌に付いて学んだり習ったりするでないぞ」と、警告を発しております。
この玉葉風雅の二集だけでも、およそ5千首の歌がありますが。それを彼は総て読んでいたのでしょうか。これだけ大胆にもこれ等の歌集を評しているのですから、総てにわたって読破しているものとしか言いようがありません。前の雪玉集などを入れれば、日本古来からの和歌に付いて、一万首を優に超す、大変な数の歌に付いて目を通うしていたことに成ります。こんな人がこの人を除いていたと思われますか。有史以来の最大の和歌の研究家だと云っても過言ではないように思われるのですが?どうおもわれますか。
しかし、この高尚の「歌のしるべ」についてかの正岡子規は目を通していたとは思われません。こんな意味からも、此の二人の対談が実現したとするならば、たいそう面白い論戦に成っていたと思われるのですが。
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