私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

地震に方向があるのでしょうか?????

2011-06-09 16:38:09 | Weblog

 7月23日の、この文政の京都地震の、おそらく最後の余震となったのではと思える地震について報告しています。その中で、此の時に起こった地震の方向を、ご丁寧にも、千楯先生は「戌亥から辰巳」と記しています。それも、「諸人の説同斯如」と、誰もがそう思ったと書いています。
 その証しだと思うのですが、次のように説明しています。

 「愛宕山大黒にて漸坊二軒残り、其余並に茶店等皆谷へ崩れ落山割れしよしなり。高雄山も同様本堂大破の由。禁庭摂家公卿の御築地、皆崩れて大破也。御城同様御門石にゑこみ、北の方南の方石垣堀へ崩れこみたり。城内はことに荒れたる趣に思われる」

 と。

 この愛宕山から高雄山、御所、更に、御城の地震の影響を揚げています。この一帯が京都の町中の「戌亥から辰巳」の方向に当たるのかどうかは分かりんが、兎に角、このように書いています。
 中でも。愛宕山大黒さんは、二十三日の余震のため大損害を受けたのです。千楯先生の記録によりますと、そこにあった宿坊でしょうか二軒だけを残して、後は周りにあるお店とともに、総て、谷へ崩れ落ちたと、書かれています。このお宮さんには参った事はないのですが、相当大きな御社だと、想像していますが。
 又、天皇がおられた御所だけでなく、二条城も相当被害にあったもようです、その外側は周りから十分見えますので、被害の様子は分かりますが、その城中の様子までは分かりません。そこで、「城内はことに荒れたる趣に思われる」としか、書くことはできません。城中の被害はその周りの御濠の様子からしか判断できなかったのでしょうか。その時の地震の被害の大きさに肝を潰している京都司所代につめている御役人の右往左往している趣を感じさせずにはいません。

  七月二日以来、「これでもか、これでもか」と、幾度となく、京都を襲う自然災害に対しての人々の不安を何となく感じさせるような文章です。何処かの偉いさんではないのですが、京都人に対する天罰かもしれないという思いが何か現われているように、私には、感じられてなりません。どうでしょうか。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿