私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

光政にちいて書かにゃあおえんど

2010-02-25 21:01:23 | Weblog
 後楽園・津田永忠・熊沢蕃山と、「つれづれなるまゝに、日くらし、硯(スズリ)にむかひて、心に移りゆくよしなし事(ゴト)を、そこはかとなく・・」ではないのですが、
何やかやと、五目飯のように、それこそ何もかにもごちゃごちゃまぜにして「書きつくれば」しました。でも、残念ですが、生来、無粋で、風流を解する心がありません、兼好のようには「あやしうこそものぐるほしけれ」の心情には、なかなか到達することができません。 
 そんな時、またまたあの飯亭寶泥氏からのメールです。

 「そげんに、知ったかぶりして、いつも、要らんことを言わんでもええのに。もうちいたあ、おめえのけえたものを読んでおる者の気にもなってみいや。そんな人の事を考んげえてものをいわんと、おえりゃあせんど」
 
 「時間がよっぽどあるんじゃなあ。つれずれにしては、しつけえど。まあ、せえでもおめえの情念みてえなもんは、みとめてやらんでもねえが。もお、ええかげんにしとけえよ・・・・・。けえから なにゅう書くんかはしらんけえど。けえだけ けえたんだけえなあ、おせえてえたるけえなー。 岡山城の初代藩主池田光政侯の事も もうちょっとばかりは書かんといけんどう」
 と。
 
 まあ、これで岡山藩の事は終わりにしようと思ったのですが、メール氏の御助言を頂きました、ちょっとばかりその光政侯についてのエピソードみたいなものを書かなくてはと思い、「有斐録」などの以外に、光政侯に関する記録はないかと探してみました。

 明治27年に出た「三百諸侯]という本に、この光政侯の記事が出ているではありませんか。
 それをと思ったのですが、いささかこれも長ったらしいので、それはまた明日にでも。
 

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