私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

紙魚室雑記にある文政の京都地震

2011-06-01 10:08:09 | Weblog

 文政13年に起きた京都の地震に付いての城戸千楯の記録をもう少々。
 
 地震の起きた7月2日以後京都の町中では、5日まで、余震による「ゆり」(千楯はそのゆれをゆりと書いています)やいわゆる風評被害にあって人々は大方家の中でなく「今夜も大道に夜を明かす人おほし」と記しています。なお、街角の「凡て門々用水出す」とあり、人々が大層火事を心配していて、その為の備えをしていたことが分かります。
 それが6日になると、余震も12、3回に減り、人々が安心したのでしょうか「今夜は大方大道に出る人なし」とあり、ようやく地震発生から5日目にして人々は安堵して、元道理の自分の家での生活が出来るようになったのでしょうた。しかし、それでも、「猶盗賊火付の噂有て物騒なり」と記しています。
 6,7日になると、余震も1日に7,8回と、次第に納まったかに思えたのですが、すると8日の夜になって、再び、余程大きな「ゆり」が続けて
 「五七度に及ぶ、夜寅の刻斗り也皆々騒ぎて又大道へ逃出、夜を明かす事先々の夜のごとし」
 とあります。
 普通なら「五六度」と書くのですが、そこは宣長のお弟子さんです。「五七度」と書いて、「五、六回はゆれたか、否七回はあった。それも相当大きい奴が」と云うくらい感じたのでしょう。こんな表現を方法を取っています。巧みな文章表現だと、感心させられます。


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