私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

綱政侯は魯か

2010-03-15 20:34:27 | Weblog
 又、飯亭寶泥氏からお叱りのメールを頂きました。
 「池田の殿さんにちいて、光政侯だけで、もう、おしめえにすんか。・・・・いつだったか とおの昔に忘れてしもうたが、おめえが書えておった、おおあんごんな殿さん綱政侯にちいても、もうちょびっと書えてやらにゃあおえりゃあへんど。津田永忠を使えこなした、てえしたもんじゃと けえとったじゃあねえか」

 考えて見たら、そんなことも確かに書いたと思います。それならと言うわけでもないのですが、メ-ル氏のお言葉に従いまして、この綱政侯についても、少しですが書いてみたいと思います。バカ殿と江戸幕府では言われておったと言うのは間違いない事ですが、本当はすごい教養人であったと言われています。

 池田綱政侯の母はあの千姫の一人娘である勝姫なのです。その勝姫が岡山藩主光政侯に輿入れなられたのです。だから、綱政侯は、3代将軍家光公とは、正真正銘な従兄弟同士になられるお方なのです。
 そんな関係があるにもかかわらず、幕府から馬鹿殿扱いされたと言うのは、ちょっとばかり信じられないような気のします。でも、幕府か作ったとされる「土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)」と言う書物に載っているのだそうです。

 「津田永忠」の時にも、綱政侯は、決して、そのような馬鹿な殿さまではなかったことを証明しておいたのですが、折角のメール氏、[寶泥]氏のおことばです。

 相当な教養人としての、この綱政侯を知っていただくために、「岡山への歌紀行」と言う江戸から岡山までの、彼の歌日記風な紀行文を、幾つかを引き出しながら、漸次、ご紹介して参りたいと思います。10回ぐらいは続くと思いますがお付き合いください。

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