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この枝の張り出す道が、奈良時代の昔から設定された山陽街道なのです。
この道を人や物が行き来して多くの物語が生まれています。
奈良時代にはこの辺りまで海が入り込んでいたと言う事です。吉備の穴海と呼ばれていたそうです。その海岸べりに道が設置されたと言うことです。
現在、江戸時代の初期に作られたと言われている「真金一里塚」が、比較的当時の姿を比較的よく留めて残っています。松(山側)と反対側に榎を植えた塚が残っています。
その塚のにある松や榎は何代目かは定かではありませんが今も植え継がれています。
次は、吉備津宮参道を取り上げます。
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