私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  119 藤井高雅の歌⑦

2009-03-13 10:03:59 | Weblog
 一昨日、散歩の足を少しのばして、例の細谷川をしばらく遡ってみました。谷川の向こうの山の斜面にあるタラの木の芽も未だ固くつぼみを閉ざしていましたが、桜のつぼみと同じように、知らない間にほんのわずかにあるかないかのようでしたが、膨らんでいるように思えました。
 そんな木々の中で、鴬だけは、十分に本来のあの美しい鳴き声ではなく、「何だへたくそ」と叫びたいような、いたってへたくそな鳴き声を立てながら枝から枝へ鳴き渡っています。春まだきの感がする3月半ばの谷川の風情が漂っています。
 そんな景色の中をかき分けるようにして流れる谷川の水は、近頃の雨のため、「細谷川のさやけさ」はどこを探しても見つかりません、いたるところにたぎつ瀬が顔をのぞかせています。
 そんな谷川をしばらく眺めた後、家に帰って、高起の歌集を出して読んでみました。その中の一首を。

   山水も 末は浮世に 流れけり
          すみうる物と おもいけるかな
 
 高起もきっと今日のような谷川を見て読んだのではないかと思われます。
 “雨で水量の増した谷川に茶色に染まった濁り水が流れていたのでしょうか。こンナ泥水でも、この谷川を流れ下って里に出れば、流れも緩やかになり、きっときれいな水になることだろう”と、歌っているのです。すみは住むと澄む(清む)の掛け言葉です。
 高起は自分をこの山水に比して詠んだのではないでしょうか。


 その歌につられて駄作が浮かび出ました
   
      谷水も 滝っ瀬となり 流れけり
              さやけき音を おもいけるかな
      鶯の 声寒々と 谷渡る
              タラの木芽吹く 春を待ちおり  亮 
  

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