私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている 7

2008-09-28 08:15:10 | Weblog
 桃太郎のお話は岡山だけでなく各地にあります。あって当たり前な話です。“むかしむかし、あるところに”で始まるのですから当然です。
 その当然の話を、今度はこんな話をすると、出雲の人は怒るだろうなと思いながらします。
 素盞鳴命の大蛇退治の場所が出雲でなく備前だと言うのです。日本書紀に出ている簸川は出雲ではない備前の川(現在の旭川)なのだそうです。念のため、出雲にある川は肥川なのだそうです。
 だから、当然、素盞鳴命は高天原から吉備の国に降りてこられます。そこで例の足名椎・手名椎(あしなつち・てなつち)の老夫婦に出会い、八岐(やまた)の大蛇を退治して、その尾の部分から天叢雲剣を見つけます。この剣が後に日本武尊に渡り、吉備武彦と共に蝦夷征伐に行きます。蝦夷を焼き殺した剣です。それが廻りに廻って、今は、備前の神部のもとにあるといわれています。
 「蛇之麁正」(おろちのあらまさ)となずけられて、備前国赤阪郡石上布都之魂神社にあると伝えられています。現在はどうなっているのか、私は確かめてはいませんが。
 
 まあ、色々と異説があって神話は成り立つものです。余り深く信頼は出来ないにしても、素盞鳴命が得た大蛇の中にあった剣も、足名椎・手名椎・稲田姫も吉備の国にあったことというのも何かほのぼのとして面白いお話ではあります。
 (この説は江戸の後期の学者土肥氏による。)
 備前長船の名刀や真金吹く吉備などから考えても、大蛇から得た草薙剣の出所は出雲でなく、やはり鉄を生む吉備地方であったと考えるのは吉備人としてはいいのではないでしょうか。
 そして、土肥氏は、また、当時、出雲にそんなに大蛇が酔っ払ってしまうほどのいい酒はないはずだとも言います。
 それに対して吉備には、万葉集に
   古人の 飲(たま)へしめたる 吉備の酒
        病(や)まばすべなし 貫簀(ぬきす)賜(たば)らむ
 という歌があるような大変にいい酒が大昔からあったのです。
 
 “昔からある吉備の酒は大変美味しくて、ついつい沢山飲んで酔っ払ってしまい、戻しそうになります。それが服に掛からないようにするために、洗い物をする時に水が飛び散らないようにするために使う竹で編んだ簾をついでに贈ってくださいな”
  と、いうぐらいの意味です。吉備の酒が特に美味かったのです。灘でもなく伏見でもなく吉備にです。

 そんなの美味い酒が吉備(特に備後地方に)にあったからこそ大蛇が酔いつぶれ退治することが出来たのだと、この土肥氏は言うのです。
 出雲では、とてもそんな大蛇が酔いつぶれるほどの、うまい酒は作れない。だから、大蛇退治は吉備でなくてはならないと言うのです。
 なかなか細かい所までに視点を当てて、大蛇退治が、出雲でなく吉備で行われた道理を土肥さんは言うのです。
 皆さん、どう思われます。
 面白い説ですのでご紹介しました。


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