私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

宮内遊廓の誕生

2012-09-10 09:54:25 | Weblog

 その書付によりますと、毎年春秋の2回行う宮内大市の為に、近隣の農家などから臨時の婦女を雇い入れて居ったのですが、この市が大きく固定化されるに従って、常雇の専門の酌婦が必要になり、それに伴い、「飯盛奉公人」の設置を幕府に願い出て、それが許可させます。時代的に言えば、元禄の時代にはもう相当数の女性が諸国からこの宮内にやって来たのだと思われます。その制度が次第に大きくなり全国に其名を馳せる「宮内遊廓」の誕生なのです。

 吉備津神社の知行地が戦国の100分の1程度に縮小された代償として設置が許された春秋の宮内の大市が元になって発展したものなのです。

 これは余談ですが、あの上田秋成の雨月物語に出てくる、主人公の井沢庄太夫は吉備の国の賀夜郡庭妹の郷に住んでいたのですが、此の男が足しげく通ったのが鞆の浦の遊女「袖」です。どうして秋成は、その物語の中で、普通なら当然取り上げられるだろう宮内でなく鞆の浦と言う備後の国の遊女の所まで通って行ったのかよく分かりません。男女の情愛というものは、近い遠いというだけでなない、摩訶不思議な心の働きによるものであるそうですから、地理的距離からだけでは、決して判断できないのかもしれませんね。そこら辺りの心理が読めない私がいけないのでしょうかね????


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