私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

清水宗治

2008-03-16 10:10:37 | Weblog
 近世日本の夜明け高松城の水攻めシリーズも今回をもって終わります。
 戦国最後の義と名を一杯に輝かせて、「武士たらん者は斯くありたし」と秀吉に言わしめた、濁流の湖面に散っていった武将清水宗治にも、人の親としての心情を
物語る書面が残っています。
 

[宗治元行銘々へ申し渡すは、城中清掃仕り、武具を銘々持口に飾り、注文張付置き、弥屋孫市郎中島孫兵衛に相渡すべし。嫡子清水源三郎・孫中島吉十郎。三原城へ遣置き、当城に有合ざれば、末期の三首を残置、成人の後此心を悟り、忠勤抽くべし。」
 と、書き記して、その歌を付けています。

 ・恩をしり慈悲正直にかねひなく辛労気つくし天にまかせよ
 ・朝起きや上意算用武具普請人をつかひて事をつつしめ
 ・談合や公事と書状と威儀法度酒と女に心みたすな

 六月三日  清水源三郎参
 とあります。切腹前日に記しています。
 なお、奥方宛ての書状もあったと思われるのですが、未だその資料は見つかっていないということです。もし見つかればもう少し違った人間としての宗治が見えるのにと思っています。

 JR吉備線高松駅を出た列車が、400年前の秀吉の堤防跡をスピードを増しながら、石井山鼓山に警笛を響かせ通り過ぎています。もう其処には“昔の姿今何処”で、列車の巻き起こす風だけが、かっての喧騒をひゅうひゅうと語りかけているだけです。

 

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