私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

永忠の瀑によす思いと序破急

2009-11-16 12:02:17 | Weblog
 後楽園は、遠州流造庭の代表である京都桂離宮の庭園と酷似していると云われています。
 平地(元々は、河川の中洲にあった田んぼだった所です)に旭川の水を取り込み、水路・池・滝・池と3段から4段に利用して、それ以外の平地には芝(6千坪)を付け、種々の梅桜蘇鉄などの樹木を植え、また、中央には小高い岡を取り入れて、四季折々の景色が楽しめるようにした回遊式の庭園です。
 操山などの借景も取り入れつつ、平面的な平地に上手に岡などを設けて、高低の差を設けながら種々なる多くの佳景(後楽園十勝)の場所を造ったのです。
 それらの総ては、ただ、平面的で具象的な色彩的な自然の美しさ(横に広がるの美)を鑑賞するだけのことで、そこからは、何か深い抽象的な精神的な美しさまでを発見することはできません。
 こんな庭園ですと、そこを歩きまわるだけで、橋や池や山や木といった自然に擬して造った物を、ただ眺めて、
 「ああ、秋だなあ、もみじが本当にきれいだな。」
 などと言う、単純な癒し以外の何物も造りだせない、見て、歩いて、それだけで終わってしまうような庭園になり下がってしまう恐れがあります。それでは、あまりにも、一般的な、どこにでもあるようなごくありふれた普通の庭園にしかなりません。
 そこで、永忠は もう少し、人々の心の奥底にある、人間としての思惟的作用としての時間的精神的美(縦に連なった美)への追求の場の後楽園にと、それが日本唯一の名園になると確信して、この「序破急」の花交瀑も、わざわざ、ここに造ったのだと、私は考えています。
 だから、
 「この瀑を見ずして、後楽園を語るなかれ」
 と、言われそうな場所でもあるのです。ここは???・
 
 なお、芝生は、江戸の昔には、沢の池の西側だけに植えてあったのだそうです。今みたいに前面に植えられたのは明治になったからのことだそうです、念のために。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿