私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備津の料理人

2011-03-24 19:38:19 | Weblog

 1月晦日、足守藩主、木下虎彪侯に拝謁した江漢は、前日狩りした鹿3疋を賜ります。

 次の日。即ち、二月の朔、江漢は宿していた備前屋の料理人に、この賜った鹿の肉の料理を依頼します。此処から、へんてこりんなと言いましょうか、当時、日本における文明の最先端を行く江漢が味わった足守の人たちの、驚くべき保守的な旧態然とした風習に驚きを覚えたのでしょうか、皮肉たっぷりではないのですが、そのようすをお書き綴っています。
 
 江戸人である江漢とすれば、たかが鹿の肉など何でもありません。たちまちのうちにぺろりと平らげることなど日常茶飯事のことで、当たり前の生活です。何も奇異なことではなかったはずです。「当世流行り」を自称していた江漢です。日常の生活の中でも、平気で動物の肉、といっても、とりや猪や鹿の肉だと思いますが、平気で、何の感情の入れずに、平然と口にしていたのです。あの平賀源内らと一緒に、江戸の街角で、泰平を謳歌していた江漢です。鹿の肉などにびびついてはいません。それが大変おいしい食べ物である事を知っていたのです「。江戸末期の最先端の文明文化人だと自称していた人物です。だからこそ、洋画の処方を日本で最初に取り入れて、油絵を描いたのです。
 そのような江漢の気風を知っていたのでしょうか、木下侯も、悠然と、その猟した鹿を江漢に与えたのです。

 これは余分の事ですが、足守藩主虎彪という人も、こんな江漢と付き合っていたのですから、また相当なヨーロッパナイズされたアプレゲールな人ではないかと思われます。
 しかし、この足守は日本の片田舎です。当然ですが、一般の人々の間では、獣の肉を食べるという習慣はなかったと思われます。寧ろ、仏教徒としては、決してしてはならなない戒律の一つとして、厳重に守られていた事ではないかと思われます。動物の肉は、決して、人が口にすべきものではないという決まりみたいなののが生活の中に滲みついていたのです。

 この仏教徒としての戒律が、特に、神のお子である吉備津彦命のおひざ元に有る吉備津神社の氏子には、ことさら、厳重な戒律として、神代の昔から、生活の一部となって、根強く生き付いていたのです。
 鳥だってウサギだって動物の肉は一切口にしないとを言う決まりが、生活の隅々にまで守られていたのです。

 なお、余談事ですが、此の事は、まだ、今でも私の周りにも、そんなん風習を、後生大事と、こんな近代的な世中なのですが、厳重に守って生きているような古風な人を見かけます。

 そんな吉備津の料理人に鹿の肉の料理を依頼するのです。

 さて、この吉備津の料理人は、如何に、忌諱されていた鹿の肉の料理をしたのでしょうかね????

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿