私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

熊沢了介の略伝 5

2010-09-30 09:12:40 | Weblog
 「蕃山」、一般には、そうです。「ばんざん」です。しかし、この「常山紀談」には、ちゃんと「しげやま」とルビがふってあります。その書に

 「かくて和気郡寺口村は其禄地なれば蕃山(しげやま)と名を更世を遁るヽこヽろざしあり」
 と。

 この「蕃山(しげやま)」というのは、源重之の

     “つくば山 は山しげ山 しげヽれど
              思ひ入には さはらざりけり”
 と云う和歌の心から名付けたのだそうです。
 それから、その年、明暦三年には、この蕃山は禄を辞し、京に出ています。そこでも、蕃山の道を慕い多くの門人が出来ます。
 中院大納言通茂卿、同通躬卿、野々宮中納言家縁卿、清水谷大納言資照卿など多くの公家たちから師として教えを請うておりました。
 しかし、京都所司代牧野佐渡守親成が、人の云う讒言を信じ、又、蕃山の才を妬む者等によって、寛文七年(1668)、大和の芳野に匿れます。蕃山の49歳の時です。京にある事11年でした。
 
 その時、吉野で読んだ歌に
       
      この春は よしのゝ山の 山もりと
               なりてこそ知れ 花のこゝろを

 があります。

 芳野の桜、何と見事なもんでしょうか。人の世の醜いいざこざなんかは一つも知らないふりをして、確実に春が来ればきちんと花は姿を見せてくれます。その咲く花の心はどんなものでしょうかね。
 「そんなにあくせくせんで、まあゆっくりと桜の花でも見て、浮世の憂さを払い去ってくれませんか」
 と、語りかけてくれているようです。
 「アア、本当に芳野の桜を眺めていると憂さが何処へ飛んで行ってしまいます。此処へ来てよかったな。このさくらも、そんにあくせくせずに、ゆっくり世の中を生きて行こうではありませんかと話しかけてくれているようだ」
 と、桜しか話相手のいない我が身を、自ら慰めているような心境の歌ではないでしょうか。         


   この春は よしのゝ山の 山もりと
               なりてこそ知れ 花のこゝろを