私の町 吉備津

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吉備津宮日参札がやってきました

2010-09-20 11:59:29 | Weblog
 昨日、我が家に「吉備津宮日参」と、誠に堂々と書かれた木札が、4か月ぶりに届いてきました。

 此の木札は、日本広しといえども、我が向畑町内だけしかない吉備津神社の氏子としての面白い風習を今に伝える珍しいものです。昔は、吉備津神社の氏子として、吉備津神社周辺の各ごとにあったのではと想像されるのですが、現在残っているのは、自慢ではないのですが、我が向畑だけにしか有りません。それぐらい大変珍しい風習なのです。なお、此の木札には造られた年号「宝暦八年」が刻まれています。1750年頃に出来たものです。
     

 此の木札は、120軒ある向畑の一軒一軒を、毎日、順々に廻って来るのです。
 言い伝えによりますと、廻って来た木札は、先ず、家の床の間に恭しく置かれます。それから、
 「木札が今日我が家にやってきました。どうぞ我が家の家内安全をお守りください」   と、吉備津神社に報告方々お参りに行くのです。もう250年以上も、戦後の一時期を除いて、続けられてきた大変に珍しい向畑町独特の風習なのです。無形文化財にでも指定されてもいいような文化的な無形の寶でもあるのです。
 でも、いいことか悪いことかは分からないのですが、現在は、此の札の持つ意味については、向畑町内の人でも、知らない人の方が多く、廻って来ると、即、翌日には、お宮さんにお参りすることもなく、そのままお隣へと廻して、「それで終わり」とする人が多いのではと思います。

 昨日、我が家にお出で頂いた此の日参札の報告方々に、私は、今朝、吉備津神社にお参りしてきました。
 広々とした神殿に、型通りに深々と敬礼し大きく拍手を打ちました。その音は拝殿の中いっぱいに響いて、壇上にあるきらびやかな神殿の中に吸い込まれるように入っていたのではと思えました。一瞬、その音を聞いている時が、仏教などが言う、あの「無我」ではないだろうかと云う気になるように思えました。
 お参りを済まして帰りがけに、信仰心があるかないかに関わらず「おじぎ」をするという事は何か考えてみました。
 どうして、お宮さんの前に来た時は「おじぎ」をするのでしょうかね??????
 
 お宮からの帰り道で、田圃のあぜ道に彼岸花が咲いているの出会いました。9月に入っても、連日30度を越す「暑い暑い」夏日です。もう日本には、秋は来ないのかなと思っていたのですが、やっぱり秋はありました。彼岸花が、その秋に自分を忘れさせないように、そっと畦道にあの真っ赤な花びらを開いて、確実に秋を歓迎しているように優しく向い入れていましたでした。 
 なんだかほっとした気分になり、思わず「咲いてくれてありがとう」と、無意識のうちに彼岸花にお辞儀をしていました。

 そうか。お宮でする「おじぎ」も、これとよく似ている感情かもしれないと?

    

 この花の中にも神様がいるようにも思われるのですが。