私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

熊沢了介の略伝 2

2010-09-22 07:05:10 | Weblog
 「常山紀談」に出ている熊沢蕃山について、暫らく書きます

 熊沢蕃山事次郎八は寛永8年(1634)16歳の時に備前に来て、光政に仕えています。寛永13年に島原の乱が起こった時は光政侯は江戸にいたのですが、もし、この戦が終わらない時には出陣しなくてはんらないので岡山に帰ります。しかし、その時、次郎八は、まだ、元服してなかったので、江戸に留置かれていました。しかし、何を思ったのかまでは記されてはいないのですが、次郎八は、俄かに、元服して、密かない岡山に戻っています。
 学問も武術も、未熟な自分には備前藩に仕える価値がない、もっと自分を磨いて仕えるべきであると思い、寛永15年には岡山を去って、近江の桐原と云う所に移り住んでいます。そして、24歳の時、中江藤樹を師として弟子入りしています。父野尻氏は、家族の面倒を次郎八に任せて、江戸に、職を求めて赴きます。
 残った家族は母と妹です。家は貧しく、江州の至って貧しい農家と同じような生活だったそうです。「ゆりのこ雑水を飯とし」と記されていますが、どのようなご飯であったかは分かりません。多分、お米などろくに入ってない芋や粟などの雑穀が入っている極貧の者が食するような雑炊だったのでしょう。『糠を食して魚肉酒茶の味を知らず。やうやう帋子を着て寒を防ぐ』とも、その生活の様子を伝えています。帋子とは、これも、又、貧者の着る表面を柿渋で加工した紙製の防寒用の衣服のことだそうです。
 其のような暮しが5年も続いていました。廻りの人は
 「ああ、可哀想に。あの家の者は、いつか飢え死にするよ」
 と云われるぐらい、貧しかった、と、此の常山紀談には書かれています。