私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

熊沢了介の略伝 1

2010-09-19 19:49:02 | Weblog
 「常山紀談」にも、あの熊沢蕃山の関する記事も見ることが出来ます。2,3回に分けてそれを紹介します。

 「池田の家にて政を執り四海のほまれ高き熊沢次郎八伯継了介は本姓野尻なり。」から、熊沢蕃山の略伝が始まります。
 それによると、彼は加藤義明に仕えていた野尻藤兵衛一利の子で、母方の父、熊沢半右衛門守久の養子になります。この守久は福島正則に仕えておりました。正則が安芸備後から信州の川中島に流されます。その時に、正則は江戸藩邸にいました。幕府の役人たちが、その屋敷を取り囲み、
 「幕府の命に従わない時には、藩邸にいる者はことごとく討ち滅ぼす」
 と、言われます。その幕府の命に恐れおののいた藩邸にいた者は、ほとんど、総ての人が逃げ去ってしまいます。しかし、たった七人だけだったのですが、最後まで主君正則のお側に仕えたのだそうです。その一人が、後に蕃山の養父となる熊沢半右衛門守久でした。
 その後、正則一行は江戸から川中島へ流されます。この旅の途中で、「正則一行は総て暗殺されるだろう」と江戸中に噂が立っていたのですが、この熊沢守久は、殺されることを覚悟して、最後まで、福島正則に付き従い川中島まで行きます。その時、正則は
 「日頃、そんなにお前を寵愛したとは思わんのだが、それほどまで尽くしてくれるのか」
 と、涙したのだそうです。
 その後、守久は水戸家に仕えています。
 一方、父である一利は鍋島家に仕え、島原の乱の時武功があり、唯、「岡山に卒し、蕃山に葬りぬ」とのみ記されています。池田家とどんな関係があったかは全くの不明です。

 まあ蕃山と岡山の関係は、この父一利を通して何らかの関係があったのではないかと想像することもできます。