私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

夕焼け雲 5

2010-09-01 08:24:29 | Weblog
 「宗治公は申されます。
 『今、この高松城内には六千余名の武者たちが籠城しておりまする。・・・此の者たちは、過去、幾多の戦場で多くの武勇で名を馳せた者たちばかりです。そんな者たちを、敵と一戦も交えずして、そうです、戦わずして此の泥水の藻屑となって、あらた命を失わせると思えば断腸の念が一入高まりまする。「嗚呼、無念なり」と、声なきうめき声が、城の天井からも、歩く板の隙間からも、壁からも、ありとあらゆるところから、我が耳に伝わってくるのでございます。・・・・だが、その恨みがましい亡者の如き声に対して、この城を預かる責任ある者として、無念だが、どうしてやることも出来ないのです。・・・・・静かに死を待つ以外には遣りようのない空しさが辺り一面に亡霊の如くに漂っているのです。天下の武士として、これほど哀れな事がありましょうや。・・・武士としての面目が施せない、腰の刀の置き所のない戦いほど武士にとっては無残な戦いです。こんな戦いがかって何処かにあったでしょうか。戦わずして敗者の汚名を着る、何とこの戦いの「無残なり」としか言いようのないの哀れな姿なのです。蛇や鼠までが、敵味方と分かれ、互いに覇権を競い争う事の疎かさを呪うているようでもあります。
 その昔、唐土の国に杜甫と云う詩人が兵車行と云う詩を作って歌っています。
  古來白骨無人收    古來 白骨 人の收むる無く 
  新鬼煩冤舊鬼哭    新鬼は煩冤して舊鬼は哭し
  天陰雨濕聲啾啾    天陰り 雨濕して 聲啾啾たるを

 戦いとは所詮こんなものでしょう。死んだ者の魂は恨みをいだき、更に、嘆き叫び、天は曇り、雨はそぼ降り、戦士たちの魂の叫びが啾啾と響くのを。と歌っています。そんな場にこの高松城にするわけにはいきません。それが回避できるのは、拙者を置いては誰もいません。
 
 我々此の城に籠っている者たちの運命の時が目前に差し迫っています。このまま手をこまねいて見過ごすことは、どうしてもできないのです。どうして宗治は六千もの城兵を虫けらのように見殺しにしたと後世の者たちからも、きっと非難されること必至です。
 今、此の清水長左衛門宗治は、いったい何を為すべきか。例え、誰がこの高松城主であって考えると思いまする。人あってこその毛利家のご繁栄なのです。人を大切にしてこそ、国は栄えるのです。その毛利家の御為になるならば、草に宿す朝露ごとくに散り消えるとも、一向に惜しくありません。そうすることが、かえって、清水宗治の名誉にすらなると思うのです。

 そこで、『我は如何に』と、兄月清などと相諮って、明朝、秀吉の本陣へ遣いを遣ろうとしていた折なのだ。と」
 

 どうです。・・・元長様・・・あの大井川の、どうすることも出来ない渦巻き流れ落ちる濁水のように、総て清水長左衛門宗治公ご自分のご意志従うわけにはいかないでしょうか。それは、宗治公の助命よりも、大きな意義があるように思えるのですが。・・・・宗治公お独りでしかできない、毛利家の武門としての名誉を、一身に背負われて、この戦いを終結できるのでは有りませんでしょうか。それは又、杜甫の“聲啾啾たるを”と云う戦いの悲しみを、この高松の地で、いや、後世の人々が聞かないですむ、唯一の方法だと思うのですが・・・・」